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時を越えて、点と点がつながれば・・・。

災害後、支援開始、その時から・・・。


AMDAは災害が発生した時、直後から支援が必要か、否か。
支援必要なら、
どのような支援を行うか

誰が行くか、誰と行くか

何処に行くか

何処を拠点とするか

このようなプロセスを時間と競うようにたどっていきます。その時、頭の中では、「誰かいないか」とこれまで活動で知り合った人たちの顔や名前が頭の中で、ぐるぐる、ぐるぐる、高速回転・・・。

ウクライナ避難者支援活動のはじまり・・。

 ウクライナ避難者支援活動の始まりもそうでした。ウクライナで人道危機が起こったのが2月24日、そこから何かできないか、でもこれは自然災害ではない、人災、正確な情報や状況把握が難しい・・・。どうするのか、やるのか、やらないのか・・・。
3月4日、AMDAの代表が2016年に元ハンガリー駐日大使にお会いしていたことをきっかけに、ハンガリーで支援活動をすることを決定。じゃぁ、誰が行くのか・・。すぐにメールでAMDA ERネットワークに登録している医療者にむけて支援活動参加の募集をしました。
 その数日前、何気なくFacebookを見ていたら、知り合いの医師がオランダにいることを知りました。私が、彼女を知ったのは、彼女がまだ医学生だった頃です。もう10年以上前です。その頃からとても優秀でした。すぐに彼女に一緒に活動にできないかと連絡しました。「行けます!」と彼女から連絡。あぁ、ありがたい。でも彼女一人ではいかせられない・・・。誰かハンガリーにいないかな・・・と、ドイツにいる医師に連絡。この医師は、熊本地震の時に一緒に活動してくれた心臓内科が専門の女性医師。私は活動の最終日まで彼女の専門は心療内科だと勘違いしていたくらい、物腰が柔らかく、人当たりも良い、被災者に寄り添う、何より人として素晴らしい医師でした。彼女からすぐに、ハンガリー国立大学に通う医学生を紹介すると連絡があり、私は心の中で、「よしっ!つながった!」と叫びました。そうして、オランダの医師、ハンガリーの医学生、この二人でハンガリーとウクライナの国境の町の調査に入ることになりました。それと同時に、

じゃぁ、日本からは誰が行くのか・・・。
その頃、コロナのワクチンを3回打っていたのは、私だけ・・・。
「ん?私?」
 

 そうして、私はハンガリーに行くことになりました。(冒頭の写真はブダペスト西駅)AMDAの代表の知り合いの医師、調整員、AMDA ERネットワークに登録してくださっている看護師も一緒に。このように最初のチームが決まっても、次に続く人をあたらなくては活動が継続できません。AMDA本部では、その「誰か」を探し続けました。ハンガリーに向かう私たちは、誰もいない羽田空港からハンガリーの首都ブダペストに向けてフライト。経由地、トルコ、イスタンブールでは、一緒に向かっている医師の奥様の知り合いがブダペストにいらっしゃるから協力すると。そして、これまで災害支援に参加してくださった医師も「俺もいける!」と、フライト中にもどんどんチームが出来上がっていきました。
 そのような中、AMDAに8年前に来ていた元派遣職員から、「僕もいけます」とメールが届きました。8年前は、医療ではない分野を勉強しながらAMDAで仕事をしていました。しかし、AMDAの活動を見て、彼は看護学校へ。そして、英語を学んで、今はオランダの上級看護師資格を目指して勉強中。その彼がすぐにオランダから飛んできてくれました。8年前の優しい彼しか記憶にない私の期待を大きく越えるすばらしい看護師に成長していました。彼は、避難してくる人たちの心のひだをうめていくような活動の道筋を拓いてくれました。8年前に会った頃は、一緒に活動することになるなんて全く思ってもいませんでした。
 その他にも、岡山県の事業でお世話になった教育委員会の先生が、ご自身の教え子が、最初に入ってくれた医学生と同じ大学の学生と紹介してくださり、彼らが医学生グループを結成して、一緒に支援活動を行いました。地元の人が活動を続けることでAMDAの活動はより継続的になります。
 このようにウクライナ避難者支援活動の始まりは、これまでのAMDAの活動を通して、その時々で様々なところに散らばったご縁が、まるでするすると一本の糸を紡ぐようにつながっていきました。

活動を終えた看護師とハンガリーの医学生


時を越えて点と点がつながって

 このように災害支援は、様々な人たちのご縁が繋がって、実現していきます。これまでの他の災害支援でも医学生だった人が卒業して医師となって、災害現場に戻ってきてくれたり、中には結婚して、医師のご主人まで引き連れてきてくれたり。被災地で再会することは本意ではないけれど、このようにこれまでのご縁が地域も国も、そして時間も越えて繋がって、「誰かの力になりたい」とその温かい気持ちがあふれる瞬間、私の心は、感動で震えるのです。

あの日から5か月

 ウクライナで人道危機が起きたのは2月24日、今日でちょうど5か月が過ぎました。様々な困難に直面している人々に思いをはせ、もし、一人ひとりの「誰かの役に立てるなら」という思いがより多くの人に繋がれば、きっと人は優しくなる。そう思いませんか?
そして、世界はきっと幸せに、平和になっていく、そうあなたも信じてみませんか? まずは、そこから・・・。

おまけ

It's a small world!


 もう一つ、びっくりの出逢いがありました。ブダペストから列車で4時間。ウクライナに一番近い小さな駅には、たくさんのウクライナ人が避難してきていました。その駅には、避難者と同時にたくさんの国内外からの支援者が集まり、駅の中は人でごった返ししていました。その雑踏の中で取材をしている人がいました。その人の方から私に「日本からですか?」と話しかけてきました。その人は、大手新聞社のベルリンの支局長でした。「そうです、岡山からです」と私が答えたら、「えっつ、岡山ですか?親父がAMDAでボランティアしてます!」と。「えぇぇ!お父様のことはよく存じ上げています。お世話になってます!」と答えて、話をしているうちにだんだん、そのお父様と話しをしていると錯覚するくらいそっくりの息子さん。
広い世界のこんなに小さな駅でこんな出逢いがあるとは、
まさに”Small world”!


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