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「あいつだけは絶対に許せない!」そんな怒りの手放し方

こんにちは!

最近はお弟子仲間で風水心理カウンセラーの七月遥海さんのインスタライブで「次の日の吉方位やラッキーアクション」などを聞けるのが楽しみな橘奈緒美です。

昨日のインスタライブのテーマは「怒りの解消法」でした。

皆さんはどうやって「怒り」を解消していますか?


怒りを溜め込み引きこもる日本人

私は怒りは限界まで我慢して、沸点に達した時に「黙って去る」のですが、脳科学者の澤口俊之さんによると、これは怒りを自分の中に溜め込む「アンガーイン」というタイプのようです。

私は恋人でも友達でも大抵のことでは怒りませんが、もう本当に無理!というところまで行くと「一生関わらないでください」の張り紙付きのシャッターが降ります。

はるみさんも話されていましたが、古事記の中では、弟のあまりの暴れっぷりに怒った天照大神は、「もう知らん!」と岩戸に閉じこもるということをします。

ここに日本人の国民性としての「怒りは外に出さずに引きこもる」という性質が現れているのではないか?というのです。

日本最初の引きこもりが「アンガーインタイプ」の神様なら、そりゃ人間の私たちが怒って引きこもりになっても仕方ないですよね。

まあ武士の時代には義憤のために討ち入りや切腹をしていた国民ですし、安易に「怒り」を表に出すと自分の命に関わるというのがDNAに刻まれているのかもしれません。

逆に怒りを外に出せるタイプは「アンガーアウト」と言うらしいのです。

どちらかというと大陸に住む人たちはアンガーアウト型が多いと思うのですが、これって「今の土地が嫌なら移動すればいいや」という逃げ道があるからかな、と言う気もします。

もし怒りをぶちまけてしまって村八分になったとしても、新たな場所でもう一度やり直せるさ!というような楽観性があれば絶望はしないかもしれません。

バイキングや海遊民族、遊牧民、宣教師など、移動すること自体の精神的なハードルが低かった人たちの子孫は土地に根ざした人間関係にそこまで縛られないのかも、と思いました。

感情をコントロールせよという教育

そしてもう一つ、「感情はコントロールするべきもの」というこれまでの教育も怒りを表せない原因なのかな、と感じます。

小学校ではたまたまクラスが一緒になった2、30人の個性がバラバラな相手と「仲良くしなければいけない」というのが一応の基本ルールですよね。

その環境下で喧嘩や揉め事が起こったとき、納得していないのに謝ったり仲直りを強要されるということを経験したという方もいるのではないでしょうか?

そういう経験のなかで、「苦手なあの子とも頑張って仲良くしなくちゃ」「嫌なことをされても怒っちゃいけない」というのが先に植え付けられてしまって「自分を大事にすること」が置き去りにされてしまうというのはありがちなことかもしれません。

私は、「自分を大切に扱ってくれない人とは距離を置いていいんだよ」という教育も必要だと思うんです。

最近になってやっと子供に「仲が良い相手でもプライベートゾーンに触らせてはいけないよ」という教育が始まったそうですが、身体を守ることと同時に、心を守る大切さも小さい頃から知っていたらよかっただろうな、と思うことがあります。

自分の心を守るための「怒り」を感じることは悪いことではないし、それを相手に伝えることでしか解決しないこともあるかもしれません。

例えば、自分を蔑ろにされたと感じた時も私は「どうせこの人は変わらないな」と去ることしかできなかったけど、そうすると相手は「自分のやり方は正しかった」という思い込みを強化するだけだったりします。

そこで冷静に何が嫌だったのかを伝えられたらまた違う結果もあったかもしれませんが、「怒り慣れ」していないので、感情をコントロールしているつもりが「怒りを抑え込んでいただけ」ということも多々あります。

後から「なんであの時言い返せなかったんだろう!」という怒りが遅れてやってくる、というのは良く聞きますよね。

自分の感情をコントロールする=抑えるということをずっとしてきた場合、すぐに反応できずフリーズしてしまうんです。

これは後からでも相手に伝えることができるのであれば「自分は何が悲しかったのか」「自分はどう感じたのか」を伝えられると良いですね。

もし本人に言えないのなら、書き出すなどして「なかったことにしない」「抑え込まない」というのが大切です。

怒りの根っこの感情と向き合う

だからといって怒りをそのまま相手にぶつけるのが良いのか?というとそれもまた違うんです。

そもそも「怒りの原因になった出来事」だけに注目して相手に伝えたとしても、相手には相手の正義があって、お互いに正義の主張になると結局どちらが勝っても負けても禍根が残り、幸せにはなれません。

心理学では、怒りはニ次感情と言われていて、怒りの下には「悲しい」「寂しい」「不安」「恥ずかしい」「わかって欲しい」などの感情があったりします。

怒りを抑え込む人だけでなく、怒りを外に出すタイプであっても、相手に対して暴言を吐いたり、フィジカルに攻撃しても怒りが治らないなら、この根本の感情が癒やされていないからかもしれません。

「怒りの下の根本の感情」を癒して解放された時、やっと相手を許すこともできるし、その過程で自分を許すこともできて、今まで押さえ込んで、なかったものにしていた感情をスッキリと手放せたりします。

そもそも感情は勝手に出てくるものなので、コントロールすることは難しいんですよね。
そしてコントロールしようと考えると、私たちはどうしても「抑え込む」という方に行きがちです。

だから感情はコントロールするのではなく、感じて受け入れた上でその感情をまだ感じていたいか?もう手放したいか?を自分に問いかけてみる。

もしその感情を手放したいなら、手放すと決めて腹をくくる

という段階を踏んで手放していくのが良いようです。

人に「話すこと=放すこと」とも言われているので、誰かに話を聞いてもらうことは共感してもらうことで安心できます。
そしてこれからのことを一緒に考えてもらえるというのも心強いですよね。

一人でできることとしては、お恨み帖に思いを書き綴ったり、それをビリビリに破いたり燃やしたり。
ジャーナリングで日々の心の動きを記録したり、瞑想で自分の思考を観察して感情を客観視できるようにしていく、というのはとても有効です。

まず客観視してみることの重要性とやり方

なぜ感情の客観視が必要かと言うと、「感情=自分」いう一体化の状態から、「その感情を持っている自分」という状態を目指すことで感情に飲み込まれなくなるからです。

感情に飲み込まれている状態で自分を幸せにする行動をするのはとても難しいのですが、感情を感じた上で「その感情を採用し続けるのかしないのか?」というところまで向き合えると、より幸せに近づく行動をとっていけるようになるはずです。

そして体を動かすことでも怒りを発散することはできるかもしれませんが、この場合は「自分の感情を言語化する」ということをしていないので、感情を取り残したまま一時的に思考が止まっているだけということもあるので、ここはカウンセラーに相談するなど、見極めが必要かもしれません。

状況にもよると思いますが、怒りに関しては激しく体を動かして頭を空っぽにするというのは、思考でいっぱいになっているときや感情が抑圧されている段階でするのがおすすめかな、と個人的には思っています。

そして今誰かに怒りを感じているとして、例え怒りの感情であってもその相手と繋がっていたいのであれば、それはそれだけその人のことが大切だったということ。

その場合は「潜在意識的には手放したくない」または「手放すことが不可能だ」と思っている場合もあるので、カウンセラーや私のようなカードリーダーを頼っていただけると良いかと思います。
私はカードリーディングを通しても、自分の本音と繋がるお手伝いをしています。

そして単純に合わないとか嫌いな人に対しての怒りは「とっとと手放せ!」と自分に言いたくなりますが、本当は仲良くしたかったのかもしれないし、「私なりに愛情を持って接していたから悲しかったんだな、それが怒りとして表面化していたんだな」ということが腑に落ちれば「そろそろこの感情はいらない」という時が来ます。

できればあまり感じたくない「怒り」の感情ですが、何かに対して怒れるというのは、「自分を大切にしたい」という思いの表現の一つでもあります。

「怒りは悪いもの」と決めつけずに、「自分を守ってくれるもの」「本当の自分の感情に気づかせてくれるもの」として丁寧に扱ってみると、人間関係がスムーズになったり、何年も忘れられなかった辛い思い出が解消されていくかもしれません。

私もそのお手伝いをさせていただきますので、ぜひセッションもご活用くださいね。



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