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一般化と本質、のバランス。

わたしもこれもやっとしていた件。
数年、不登校関係の活動してきて、当事者家庭、こどもたち本人にかかわってきて思うのは、

「こどもたちは意外と冷めた目で見てる」

ってこと。
不登校は○○じゃない、のキャンペーンも、実際こどもたちはあまり気にしてないというか、知らない。
関わっている大人たちが近くにいたりすると参加したりするけれど。
そして、その参加している「こども」自身を、ロールモデルとして、また信頼性に引き合いに出すから、さらにもやっとする。

とはいえ、数年この分野見てると、黙って行政の施策だけ待ってても、半世紀遅れ過ぎて、なんの助けにもならないのもわかっている。
だから、民間が「周知」「一般化」をまずしようと、とイベントごとをするのも理解はできる。まず、偏見がなくなることや知られないと進めないことあるからね。

でも、そこが本質か、っていうと違う。
本質を達成するための手段としてのマーケティングとかイベントごとならいいと思うんだけど、最近の動きはどう見ても、そこまで見えてないひとたちが回している気がする。まともな支援してきたとこまで、ビジネスに寄ってきている感じ。

数年前から、企業的なところも「不登校」をコンテンツ、として商品として売り出したいような動きはあったしね。不登校ビジネスというか。
そういうとこと組めば、動きやすくなるのはわかってる。
周知力や資金が回るからね。

でもそれは事業を動かす、という意味において。
それって、不登校解決になってるのかな?もとはそこが目的だったはずで、
不登校で大変な家庭の現状はイベントやインフルエンサーが大きくなっても解決してないよ?

でも動きが鈍い、長い時間が必要な、社会の変革って向き合い続けるのには忍耐力が要りすぎる。ほぼ収益なく、持ち出しでやっている人が割を食っている状態がどこの分野でもあるだろう。

ただね、すくなくとも、自分以外の「ひと」(今回の場合、不登校の子たち)を商品としたような動きは、そのほうが簡単に印象つけられるとしても避けるべきことだと思うんだよね。

おとなは自分の失敗談や、特徴を売りにするのは、戦略として自己責任でいいと思う。でも、こどもは自分ではないし、ひとりの別人格。
なのに、当たり前のように「売り」になるような動きをするのは、
マーケティングが得意でも、こども・支援・サポートなどが理解できてない人たちがすすめるからだと思っている。

なんども、どうにかうまく回せないか、コンサル系や、マーケティング系にも相談したことあるから予想ではなく実感。

おとなだけが盛り上がって、進んでいるように見えて、ただわいわいしているだけ。現場は変わらず。ほんとに支援とかしたい人は手弁当。

無料、手弁当がいいとも思わない。どこかしらで、妥協はすべき。
でも、不登校って、こども自体が売りにしたいかどうか、って無視して、
大人が勝手に「売りにせねば!」って思っている時点で、
不登校がネガティブな事だ、って伝えているようなもんだよ。

普通のことだよ、そのままでいいよ、って思ってたら。「売りにしなきゃ」
って意識は生まれてこないからね。

そのへん、大人が思うより、大人が気づいてないところまで、こどもたち視てますよ、って思ってる。


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