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旅を教えてくれた沖縄の狂ったじいさん③

ナオミの夢
 
塩じいや洋樹と別れ私は与論島へ向った。一週間ほど滞在し羽田便に乗るため再び沖縄に戻ったが、次の沖縄再訪がいつになるかと考えると、島にいる内にもう一度だけ塩じいに会っておきたかった。私は急遽レンタカーを借り塩じいの住む東村に向った。

一週間ぶりに塩じい宅に到着し表から声を掛けるも応答はない。今回は事前の約束もしていないのですれ違う可能性もあるが、しばらく観察しているとどうやら家の中に誰かがいる様子もある。鍵などない家だったので勝手に入らせてもらうと、そこには力なく横たわる塩じい、その傍らに隣の家のおじさんが座っていた。

塩じいは全身黄土色でうまく話す事も起き上がる事もままならない哀れな状態であった。一体何がどうなっているのか。静かにリールの修理をしながら塩じいに付き添っている隣家のおじさんに尋ねた。


毎日海を見ながら過ごしているだけの塩じいにとって来客というのは非常に嬉しい事らしく、私や洋樹が遊びに来た事は心から楽しかったのだが、二人が帰ってしまいまた元の日常と顔を突き合わせていると精神が荒廃し、浴びるように酒を飲み全く動けなくなってしまったというのだ。

楽しい想いが目立ち過ぎてぼやけてしまっていたが私は塩じいが末期的なアル中である事を認識した。一週間前まであれほど笑いに満ちた日々を過ごしていたのに、今やほぼ廃人と化し焦点も合わせられない塩じいを見るのはとても悲しかった。


『あまり飲みすぎたらダメだよ…』月並みな言葉が口をついて出た。


一体塩じいの家族はどこで何をしているのだろうか。それぞれの家庭に事情がある故、一概にその様な感情を抱いて良いものではないが家族の無情を嘆いた。もうこれ以上そこには居られなかった。


『またしばらくしたら遊びに来るからそれまでには元気になっておくんだよ!分かったかい?』そう言い残して立ち去る私に塩じいは一言囁いた。


『ナオミ・カムバックトゥーミー…』
(※「ナオミの夢」の歌詞)


どこまでもふざけたじいさんだ。


塩じいにとっては見られたくなかった姿だろう。それを察して付き添っていた隣人も最初の声掛けに応答しなかったのかも知れない。これが本当の塩じいではないがこれが現実の塩じいなのだ。確かに私も見たくはなかった。『ナオミ・カムバックトゥーミー…』そこには「初めて会った時や一週間前のあの楽しい時間が本当なんだよ。俺たちなんだよ。」という精一杯のメッセージが込められていた様に思う。

 

死後発覚した不法侵入
 
2010年秋、久米島で知り合った人が『本島をドライブ中、菅井君(※私)が話していた塩じいさんの家の前を通ったけどなんだか様子が変だったよ…』という連絡をくれた。送られてきた写真を見ると家の前が妙にすっきりしている。最後に塩じいと会った時は酒の飲み過ぎで起き上がる事もままならない状態だった。胸騒ぎがしてすぐに塩じい宅に電話を入れてみた。しかし電話に出たのは塩じいではなく全く声に聞き覚えのないおばさんであった。

私は戸惑いつつも『砂川さんのお宅ではないですか?(※砂川=塩じいの本名)』と尋ねると『うちは〇〇ですが…』とあっさり否定されてしまった。いやいや!確かに以前この電話番号から塩じいは電話してきたのだから赤の他人が出るのはおかしい。しかし受話器の向こうのおばさんからも何の事か分からず戸惑っている様子が窺える。しばらく会話は平行線だったが私が一からこの電話に至る経緯を説明すると、そのおばさんは全てを理解したらしく場の空気を一旦全て引き取った後、静かにこう切り出した。


『あの方はね… 亡くなりましたよ。三ヶ月ほど前の事です。』


耳の奥でキーンという音が小さく響いた。言葉は何も出てこない。首都高4号線を通る車のクラクションは遠くに聞こえていた。他人同士の無言通話は何十秒か続いた。そして私ははっと気付いた。いくらショックでもずっと沈黙しているのは相手に失礼だと。何か発しないといけない!何かを発しないと… だがそれでもなお何の言葉も出てはこなかった。するとそのおばさんが穏やかな口調で話し始めた。


『…あの方は幸せだね。そんな風に思ってくれる人がいるなんて。絶対に天国で喜んでいると思うよ』。


涙が溢れすぐに零れ落ちた。また溢れまた零れ落ちた。何度も何度も零れ落ちた。すすり泣く私をおばさんはまた沈黙で包んでくれた。

あんな酒の飲み方をしていたら死ぬだろう事は想像できたが本当に死んでしまったのか。あのふざけたじんさんでも死ぬんだな。おばさんはその後も落ち込む私に塩じいの話をたくさんしてくれ、見ず知らずの人間の悲しみにいつまでも寄り添ってくれた。

そんな会話の中で塩じいの自宅にはやはり電話がない事も判明した。塩じいの家の固定電話だと思っていたこの番号は実は何軒か隣に住むそのおばさん宅のもので、塩じいが勝手に進入して使っていたという事だったのだ。私もおばさんも呆れ返ってしまったが塩じいらしいエピソードに少し空気が和んだ。

おばさんに心からの礼を言って電話を切った後、最後に塩じいに会った時の事を思い返してある重大な事実に気付いた。あの日塩じいはアル中で黄土色になった体を起こす事もできない中、私に小さな声で『ナオミ・カムバックトゥーミー』と歌の文句を囁いた。心配を掛けている私にちょっとふざけてみせたのだろうが『ナオミ・カムバックトゥーミー』が塩じいの最後の言葉になってしまった訳だ!最後の最後までふざけたじいさんだ。


たった三回会っただけ、たった二晩語っただけだが、屈託のない塩じいの笑顔、言葉、しぐさが私の心の中に散らかって整理が付かない。



塩じいの他界からしばらく経ってから私は再び沖縄を訪れた。久米仙とアクエリアスを買って塩じいの家に行ってみると、目の前のビーチでは大規模な工事が行われていて塩じい宅は工事事務所として使われていた。海に向ってマガキ貝をつまみにビールを飲んだあの時間はもうどこにも流れていない。自宅壁面に描かれた樹木の画も物悲しいだけであの時と同じものには見えなかった。『物には意味はない。じいさんと過ごした時間に意味があるんだぞ。』小さな声で自分に言い聞かせたが、それでもその寂しみを変える事はできなかった。

私は何十回と沖縄を旅してきたがそれ以降全く行かなくなった。そして私の旅は世界へと舞台を変えていく…

 


《あとがき》

これは2010年春から夏に経験した出来事で2018年末にまとめたものである。それをnote掲載用に再度修正しようとしたのだが、文章力はともかくとして、今より未熟な当時の私をよく表している文章の修正は憚られたので概ねそのままの掲載する事にした。

過去の自分が書いた文章を何度も読み返してみたがあの頃の想いが全くもって色褪せない。その後の10年で私は100回以上の海外渡航を繰り返し想い出を積み重ねてきたが、この旅、この出会いの位置づけが変わる事はなく、私の初めての“旅”の経験として燦然と輝いている。

旅と旅行は違う。その二つに優劣はないが確かな違いがあって、私の東京-福岡&沖縄自転車旅は間違いなく“旅”であった。そして塩じいとの出会いと別れが私を世界に誘った事も間違いない。彼は私の恩人なのだ。


文章:菅井洋仁(すがいきよと)



◾️旅の鳴る木◾️

旅と日常のクロスオーバーをテーマにネットラヂオを制作中。100回以上の海外渡航、海外自転車旅、キャンプ、釣り… 様々な体験から得た自分なりの考え方を実生活に結びつけたい。20〜25分程度の短いラヂオです。ぜひ聴いてみて下さい。一緒に旅の続きを楽しみましょう!
 
ネットラヂオ『旅の鳴る木』
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