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大学生の思う「愛する」という事

 壮大だねぇ…って、こう書き出している私が思わずにはいられない。「愛とは何か」とこれからも問われ続けるであろうものについて(というかこういう壮大な問いを考えたり、人と話したりすることが好きなのだけど)、延々と書き続けたい。愛って、なんだ?

毒と共にある

 私の「愛」に対する考えの由来は、内田樹という方の意見です。少し本筋から逸れるけど、私は私自身のオリジナルの意見というものを持ち合わせてはいないのです。だから、あることをに対して意見を持つということは、イコール 誰かのどこかの意見(自分からすっと出てくるまで沈み込んだもの)を投影するということになるのです。「愛」という検索ワードを私という検索エンジンで調べると、「内田樹」がヒットする、という感じですね。

『共生する』ことが『愛する』ことの原初的な形態である。自分自身を愛するということは、自分自身の中に存在するさまざまな『不快な人格要素』となんとか折り合って暮らしてゆくということである。〈中略〉『愛する』とは十全な理解と共感に基づくものではない。そうではなくて、なんだか『よくわからないもの』を冷静に観察し、その『ふるまい方』のパターンをよくわきまえた上で、涼しい顔をして受け入れることである。」(内田樹.2008;276)

内田樹、2008、「ひとりでは生きられないのも芸のうち」、文春文庫。

 この引用文が、私の「愛とは」に対する現状の答え。正解ではないです!でもこの文章を読んだとき、えらく納得させられたんですよね。それはもうえぇ。以来、これ以上の意見は見たことがありません。短く言うなら、愛とは、毒との共生、毒と共にあることだと思っています。決して、自分の好きだものだけに囲まれていることじゃない。だから、難しいっすよねぇ。うん

例えば、NARUTO

 岸本斉史の「NARUTO」という作品が好きなんですけど、あれにも学ぶところがあると思ってます。こと「愛」に注目するなら、主人公の「うずまきナルト」の中に封印されている尾獣の「九喇嘛(くらま)」(九尾)と、ナルトが和解していく過程は、愛ではないか?と。人に厄災をもたらす「九尾」は当初はナルトとの仲も良いものではなく、むしろナルトの命を奪おうと憎しみに溢れている状態。それが物語が進むにつれて、九尾を封印されているナルト自身が、九尾の憎しみも含めて彼を受け入れようとしていく。九尾は、やがて「九喇嘛(くらま)」に。「毒」ではなく、ナルト自身の一部として、仲間として変化していく。いや、「毒」の部分は消えたのではなく、ナルトに新しい意味を与えてもらったのだと思います。
 不快なものでしかなかったものを、むしろ自分の強みにすら変えていく。その共生に至るまでの過程は、まさしく私にとっては「愛」なのでした。

例えば、Venom

 これは、マーベル作品の「Venom」です。映画で公開されたもので、トム・ハーディが主演をつとめています。地球外生命体シンビオートの「ヴェノム(Venom)」は、宿主として適合したエディ・ブロック(トム・ハーディ)と生きていくことになります。面白いのが、「シンビオート」って、「共生」という意味なんです。「共生生物」ともいったりします。まぁこれ、ナルトとクラマ(九尾)との関係とほぼ一緒。いがみあっているのだけれど、どちらかが死ぬとどっちも死ぬ可能性ところもある。いやいや協力しているうちに、身体レベルの共生は、精神での共生につながっていく。お互いが歩み寄り始めるのです。同じことを書きますけど、『不快なものでしかなかったものを、むしろ自分の強みにすら変えていく。その共生に至るまでの過程は、まさしく私にとっては「愛」』なんですよ。きっとね!

例えば、自分らしさ

 これは、「自分らしさ」を考える時にも役に立つ気がします。今までの流れで言えば、例えば「自分を愛すること」とは、「自分の中に毒や、不快な要素と折り合いをつけていく」ということだと思います。でもまぁ、その折り合いの付け方は人それぞれだから難しい。
 「自分らしく生きていくこと」を、腐るほど耳に、目にします。みんなそんなに好きなの?と思うくらい、ニュースや宣伝でも見ます見ます。私は、「自分らしく生きていくこと」が、「自分を愛すること」と対局にあるように感じられます。自分ではない、自分らしくない、自分にはそぐわない、自分の一部であるなんて不快である、憎い、と感じる部分を消し去っていくことを「自分らしく生きていくこと」というならば、それは自分を愛している、「自分の中に毒や、不快な要素と折り合いをつけていく」ことと言えるか…この文脈ではそうではないかもしれません。多分。
 でも、「自分らしく生きていくこと」を否定する気もありません。それで満足ならそれでいい。ただ、こういう風にも言い換えられるのではと、少しの提言?をしているだけですから。

 なぁーんて書いてたら、2000字超えてました。大学のレポートかよってね。続きとかは、また別の記事で。大学生の、「愛」についての言い分でした。

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