社会人3年目 休職するまでを振り返る
今日はとても天気が良かった。
外に出た方が良さそうだったので、やる気を振り絞って1時間ほど散歩をしました。
散歩をしようと思ってから、家を出るまで1時間半かかりました。でも、諦めなかったからヨシ。
11月はじめから休職し、11月末と12月上旬はわけもなく泣くことが減っていたのですが、ここ半月ほどは一転しています。午前中はマイナス思考が私を支配して、やる気というやる気を根こそぎ奪っていく。しんどい。布団にずっと横になっていたい。身体が言うことを聞かない。
今日は散歩しながら泣きました。日差しはポカポカしていて暖かいのにね。
あとは、ご飯を食べたり、人と話したりする時に涙が出ることが多いです。困る…。
さて、話は変わって自分が休職に至るまでを振り返りたいと思います。自己紹介のひとつとして。
リワークでもこういう作業があるみたいですね。絶対泣く。
noteを始めた頃にも少し書いていましたね。
◯社会人1年目
憧れの保育士になる。実家から車で1時間ほどの地で一人暮らしを始める。
1歳児、4人で担任。
初めは優しかったOJTが徐々に厳しくなる。
ちょっとパワハラ?
一年目だし、小さな子どもの命を預かっているし、まだ私自身の判断力は未熟だからと思って「◯◯をしようと思っていますがよろしいですか」と尋ねると
「自分で考えなよ」「そんなこともわかんないの?」「いい加減にしてよこのバカ!」
→自分で考えてやってみたら「なんで聞かなかったの?」と言われる。
(厳しい言葉は多かったけど、教えてもらった事やその先生の仕事の質はとても素晴らしい保育士だと尊敬しています。)
一度怒らせてしまうと、1週間は目を合わせてもらえないし、「おはようございます」と言ってもシカトされてしまう。質問しても「うん、で?」「だからなに?」と教えてもらえなくなる。
でも、他の先生とは楽しそうに話している。辛かった。
私が悪いんだな、もっと頑張らなきゃ。
何回トイレで泣いたか。わからない。
秋に心が折れる。
・泣きながら通勤する
・寝つきが悪くなる
・悪夢を見て中途覚醒する
・ストレスでお菓子やスイーツ爆食。
一年で辞めるのは悔しいので気合いで乗り切る。
あと、同じクラスの他の先生が優しかったので救われた。本当に本当に感謝している。
子どもたちも言葉が出てきて、「てんてー!(先生)」と言って飛びついてきてくれた。本当に癒された。
あと、年度末の3ヶ月だけ彼氏ができた。アクティブな人だったから、色々なところにドライブに連れて行ってくれた。
私が仕事でめちゃくちゃ怒られた日、彼の前で大泣きしてしまった。もちろん励ましてくれた。
でも、そこから彼が「会えない」「仕事で予定が合わない」と言われ続け、挙げ句の果てに振られてしまった。
(感謝はしてる!だって楽しい時間だったから!)
◯社会人2年目
年長担任になる。30代のベテラン先生と2人体制。
子どもたちの個性豊かさと、年長特有の緊張感で大変だったけど楽しかった。
ペアの先生にたくさんのことを教えてもらった一年。保育って楽しい、子ども(幼児)って面白くて可愛い。と改めて気付いた。
ただ、
体調を崩す事が増える
休日に夕方まで起きられなかったり、訳もわからず泣く日があったり。どんより、黒い雲が私をとり囲むような感覚だった。
5〜6月ごろ「あ、私このままじゃ死ぬかも」と思い心療内科受診を決意する。
ちなみにこの時の私は
・駅のホームで飛び降りようとする感覚になる
・遮断機が降りているところに入ろうとする
・歩いている時に車に突っ込みたくなる
常に「死」について考えている感じ。
受診できるまで1ヶ月ほど時間があったので、そこから落ちないように気をつける日々。
そして初診。お医者さんの前に看護師さん(?)と生い立ちや今の症状について話す。
お医者さんと話し、「適応障害」ですね、と診断される。
休職を勧められるも、年長だし休みたくないことを伝える。
睡眠を手助けする漢方薬を服用することになる。
2週間に一度通院し、次第に月に一度になる。
秋ごろもしんどかった。(「曇天」参照)
(しかし奇跡的に彼氏ができる。)
この頃、出かける時に玄関の施錠や家電を消したか、不安になる事が増える。大丈夫な日もある。
頓服として「クロチアゼパム」を処方してもらう。お守りとして助けられた。
3月、卒園式準備の忙しさと年度末の仕事の立て込み具合とが相まってキャパオーバーする。
・10分間隔で大泣きと落ち着きを取り戻す(休日)
・食欲がなくゼリーなどで食事を済ませる
2月にコロナに罹って後遺症(耳の痛み)に悩まされつつでもあったので余計にきつかったのかなと思う。一年前より5〜6キロ痩せる。
◯社会人3年目 (現在)
(以前こちらにも少し書いてありました)
年少。クラス主任になる。ベテランパートの先生2人と、3人体制のクラス(1人加配)
お気づきの方もいると思いますが、一年目の時に担任した子どもたちの担任を再び任せてもらえたのです。しかもクラス主任として。
たくさん遊び、絵本を読んで笑って、楽しいクラスにしたいという思いでいっぱいの春でした。
が、そんな私の思いとは裏腹に…
体調が急激に悪化
・休日はひたすら泣く
・少しずつ趣味から興味が薄れる
・ずっと気持ちがもやもやする
・食欲が無くなる
・頭が働かない
・読書ができなくなる
・夜が怖い(泣く/気持ちが落ちるから)
・誰かといるときは元気に振る舞える。1人になると電池が切れたように動けない
・音がしんどい
テレビをほとんど見なくなる/ゲームセンターの近くに行けない
車内で音楽が聞けなくなる/物が倒れるなどの音に過敏になる
・常に身体がだるい
・希死念慮(ベランダから飛び降りてしまおうか…線路に入ろうか…とふとした瞬間に考える)
・睡眠の異常(寝付けない/夜中に起きる/早朝に目覚める)
・次第に人と会えなくなる
日記に書いてあったものと記憶を辿って。
この頃は本当にしんどくて、鍵閉めやガスの元栓など延々と確認していた。あまりにも私が玄関のドアの前で立ち尽くしているから、清掃のおじちゃんが一緒に玄関の鍵を確認してくれる事があった。
5月中旬
心療内科で、「診断名をつけるなら強迫性障害です。今までの経過と合わせて、休職することや業務量を減らしてもらうことなど、早急の環境調整をおすすめします。」と言われる。
初めてのクラス主任だし、休むことは難しいと思う。環境調整もできるかわからない。と私が伝える。
強迫性障害に使う薬を処方される。
ちなみに、一つ目の薬が身体にとても合わなくて、寝ても2時間おきに覚醒してしまった。
2週間で薬が変更。
変更後は身体にあっていたものの、2週間ごとに量を増やすタイミングでひどい吐き気に襲われる。仕事を2日くらい休む。
家族にも「早く休みなさい」「実家に帰ってきなさい」と言われる。でも、実家から通う事がイメージできなかった。
5月末、園長にも症状を伝え、実家から通うことを勧められた。
でも、すぐに実家に戻らなかった。
帰省はしたけど、結局一人暮らしの家に戻って仕事に行っていた。
実家から仕事に行く勇気がなかった、と今では思う。
そしてターニングポイント
まさかの骨折
7月
身体が本当に重くてしんどかった。ただ、わずかな気力を振り絞り、推し活やスポーツに顔を出していた。
中旬にクラスで流行っていた酷めの風邪をもらってしまい、ただの風邪のくせに40℃近くまで熱が出る。仕事は3日程休んで、連休も寝込む。
そしてその翌週、趣味のスポーツ中に足を骨折してしまった。幸い、手術は免れた。
仕事は10月上旬まで休むことになる。
ここで実家にようやく帰省。
今までの負債で、身体中が弱りきっていたから骨折したんだと自己嫌悪。
母が、「神様が休ませてくれたんだよ〜」と笑わせてくれた。
あつ森したり、本を読んだり。
気持ちが弱っていたから、セルフケアをきちんとできるようになりたいと思って調べた結果、メンタルヘルスマネジメント検定の勉強を始める。
休んだから、本が読める。文字に目が回らない事が本当に嬉しかった。
10月上旬
療養休暇満了のタイミングがきたので、復帰しては?と打診があった。
自分の体を支えるのが精一杯だし、足を引きずりながら歩いていた。
簡単なことから…有給もたくさんとって、リハビリがてら。という話もあったので、復帰させてもらうことにした。
骨は治ったけど
元から休職や業務量を減らすことを勧められていたのに気力で仕事していた私が、2ヶ月と少し休んだだけで心も身体も完全復活したわけではなかったようだ。
そこに骨折して療養生活を送っていたから、体力が今までの半分以下に減った状況が重なる。
つまり、ストレス耐性は低くなっている。
子どものことは割愛。
仕事になってないし、自分ばかり休みをとっているしで申し訳なくて自己嫌悪をずっとしていたのかもしれない。
ただ、職場に行けば"仕事モード"になれるから。家にいて、塞ぎ込まなくていいから。そんな理由で仕事に行くようになっていた。
とても優しくて、おっとりマイペース、回りくどい言い方をする事が多い彼に対し、私は穏やかさを失った。膨れたハリセンボンのようにトゲトゲしていた。
反対に、彼の些細な言動に傷ついたり、苛立ったりすることが本当に増えた。自分が自分らしくあれない状況に、どうしたらいいかわからなかった。
毎日毎日身体中が痛くて、重くて仕方がなかった。
スポーツサークルに久しぶりに顔を出し、仲間と会話を楽しんだがそこで電池が切れてしまって、帰り道の自分が運転する車の中で何かを話す気力もなかった。そのうち大泣きした。今の自分の感情や状況を整理する気力も、頭を動かすエネルギーも、何にも残っていなかった。言葉にできなかった。泣く、怒る以外の感情がどこかに消えた。
とりあえず寝よう、とベッドに横になると気絶するように寝入っている。でも変な夢を見て、泣き叫びながら起きることが何度もあった。
仕事をしていても、立っているだけでしんどかった。頭が回らなかった。給食を食べられなくなってきていた。
でも、子どもや保護者、職員には普通に接していた。いい意味でも、悪い意味でも誰にも気付かれなかった。
私しか知らない私は、何時間寝たのかわからず、ベッドから転げ落ちるようにして起きあがり、寝る前に泣いたせいでパンパンに腫れた目を冷やしてなんとか仕事に行ける顔に仕上げる。
何を食べても戻してしまうので、唯一身体が受け付けるウィダーインゼリーを半分ほど胃に入れる。
戸締りをして家電のコンセントを抜くが、閉まっているのか抜けているのかがわからない。いや、どう見ても大丈夫なのに、大丈夫という状況を頭が受け入れようとしない。だから、何度も確認する。
家を出るために要する時間が2〜30分かかるようになっていた。もうこれだけで疲労困憊。
頭が回らないので仕事にならない。考えがまとまらない。それなのになぜ仕事をしに来ているのか自分でも分からなかった。心の中では「助けて」「もう無理だよ」と叫んでいるのに、足を止めたくなかった。止めたらいけない気がした。
仕事をしていれば、慣れてくると考えていた。
ある日私の家に泊まりに来た彼と過ごしていると、雷が鳴った。私は小さい頃から雷が苦手で、光る空や稲妻を見なくていいようにシャッターを閉める。
ただ、その日は身体中に音が刺さってきた。耳を塞いで毛布を被ったけど、経験したことのないくらい鋭い音が襲ってくる。停電もしたし、訳が分からなくて私は泣き叫んでいた。彼はそんな私を見て困って、驚いていた。ありがとうとごめんねを伝えて、翌日は仕事に行った。
仕事を終えて車に乗り込んだ途端に涙が止まらなくなった。早く家に帰ろうと思ってなんとか運転して、家に帰ってきたら動けなくなってしまった。1人になりたい、ならないとだめだと思った。金曜の夜と土日を1人で過ごせば、月曜には大丈夫だろうと思っていた。
お風呂に入っても、髪を乾かしても、ベッドに横になっても、ずっと涙が流れていた。金曜の夜は何時間寝られたのかわからない。睡眠薬を飲んでも、オルゴールをかけても頭の中がバチバチして、寝付けなかった。
土日はとうとう叫んでいた。泣いて、叫んで、疲れ果てて寝て、悪夢にうなされて起きて…の繰り返し。お守りのクロチアゼパムを飲んでも治らなかった。
ただ、頭の片隅に冷静な私もいた。「なんで泣いてるの?わかんないよ、止まらないよ、どうしよう、助けて」って、言葉にできていた。
(そしてこの時パニックなのに「返事しなきゃ、やらなきゃ」とわずかな気力を振り絞って彼にLINEの返事をしたから、傷つけて怒らせてしまいお別れすることになる。)
一瞬泣き止む事ができた時、こういう時は散歩をしよう。近所のコンビニに行って、アイスを買おうと思った。
なんとか身体をベッドから引きずり出し、ふらふらしながら外に出た。涙が止まるだろうと思ったら全然で、外に出た刺激のせいなのか、むしろ再びパニックになった。
しばらくして、母に泣きながら電話をした。
忙しい中、車を走らせて来てくれた。
「今のあなたはあなたじゃない!いい加減にしなさい!休みなさい!」と怒られた。
早番だから、明日は行かなきゃと言ったら「その考えがおかしい。今私が園長に電話するから携帯を貸しなさい」と言われた。泣いて拒んだ。
早番をやり、自分で園長に話すことを伝えて母とは解散。
そして翌日、なんとか早番をやって、「もう無理です」と園長に根をあげた。
これが、10月と、11月の一週目の出来事。
たった半月ほどしかマトモに働けず、
残りの半月はボロボロになっているのを誤魔化していた。
診断書をもらうための診察まで、1週間ほどあったが仕事に来ようと思っていた。ただ、月曜日に職場に行ったら、急にもう無理だと思って半休と有給をとって火曜から休んだ。
今振り返ると、こんな状態なのに仕事に行こうとしていたこの時の私は完全におかしいと思う。
というか、「行かなきゃ」「やらなきゃ」という思考になっていた。これも、強迫観念の一種なのだろうか。
翌週の心療内科の受診で、診断書をもらう。
「思い切って、年度いっぱい休みましょう」と言われた。
3/31まで(休み)という診断書の文字を見て大泣きした。
私、本当に病気なんだ。
働けなくなっちゃった。
ごめんなさい。
そればっかりで、ひたすら泣いていた。
一度目に休職を勧められた時に休んでおけばよかったのかな。
あの時すぐ実家に帰って、そこから仕事に行く選択をしていたら…と後悔してしまう。
でも、後悔は、私の人生そのものを否定している気がしてしまうので、やめようと思った。
120%で頑張っているつもりがなくても、頑張ってしまうのが私なんだな、と気付いた。
これが私の人生なんだな、と思った。
悔しいけど。悲しいけど。
大切なものを何もかも失ってしまったけど。
友だちは、「頑張ってたから、いいんだよ。」「ゆっくり休んで」「まだ3年目。焦るなよ、調子崩すことなんか誰だってあるんだから」
それぞれの言葉で励ましてくれて、労ってくれた。
今年はたくさん転んで、傷だらけ。
来年はかさぶたになるといいな。
あわよくば、綺麗に生まれ変われるといいな。
私のペースで、頑張りすぎず、頑張ろうと思う。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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