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テクノロジーという熱:ChatGPT活用日記

この数日で、急激にChatGPTにハマっている。

よく言われる通り、ChatGPTに検索機能を求めてもあまり意味はなく、フレーズを考えさせたり、文章の添削・要約や英訳に使うのに向いているようだ。

打ち合わせでエクセルにメモした適当な単語の羅列を「この文章を議事録風にまとめて」とお願いすると、それっぽく仕上がる。
「大見出し、中見出しをつけて」とか「段落に番号を振って」とか「である調ではなく、ですます調にして」などと付け加えれば、さらに自分の求めるものに近いアウトプットが得られる。

この技術を人間の、例えば新入社員なんかに教えようとすると、こんなに簡単にはいかない。
「インデントはこれでいいですか?」とか「段落番号は①と⒈のどちらがいいですか?」とか、下手したら「大見出し、中見出しってなんですか?」とか、色々と質問が返ってきてしまう。

質問できる能力が人間らしいといえばその通りかもしれないが、こういう質問に答えるのもなかなかに億劫である。本当なら「適当にやっといて」と答えたいところだが、そんな質問をわざわざしてくる人なわけだから「適当にやって失敗したら嫌だな」とか「適当ってどれくらい適当ならいいんだ?」とか「適当って言われてもわかんねーんだよ。それを考えるのがお前の仕事だろタコ」とか、色々悩ませたり無意味に血圧を上げさせてしまうので、ぐっと堪えて「それはね…」と答えてあげる。

相手にもよるが、このプロセスはけっこうめんどくさいし、ほんの数分のコミュニケーションでも、積み重ねればけっこう体力を消費する感覚がある。

その点、ChatGPTは良い。まず、こちらからの指示に対して疑問や反感を覚えず、言われた通りにやってくれる。「そうじゃなくて、やっぱり●●みたいにして」とやり直しを命じても、即座に言った通りの成果が返ってくる。

なんて素晴らしい。わたしたちはついに面倒な雑用仕事を機械に押し付け、煩わしいコミュニケーションから脱却し、浮いた時間をもっと本質的でクリエイティブなことを考えるために使うことができる。
テクノロジーの進歩による時代の変化をまざまざと体験する機会となった。



…ここまで考えて、ふと思う。

ChatGPTの登場以前、私が後輩やスタッフにお願いしていた仕事は面倒な雑用で、彼・彼女らとのコミュニケーションは煩わしいだけのものだったのだろうか。そんな面倒な雑用を人間に押し付け、煩わしい・鬱陶しいとばかり思いながら日々コミュニケーションを行っていたのだとしたら、なんと非人間的な扱いだろうか。

ここでは、ChatGPTの登場によって変化した価値観が、ChatGPTが存在しなかったはずの過去の出来事に逆照射されている。
かつて当たり前だった職場の風景が、価値観が変化した後の私たちにとっては「非人間的な労働環境」と見えてしまう。

思えば、こういう価値観の変化をわたしたちは幾度も経験してきている。
インターネット検索に慣れきった人間は、図書館に赴いて自力で文献を探す手間に耐えられない。Amazonで買い物をすることに慣れきった人間は、余程のことがなければ実店舗に足を運ぶことはない。
図書館も実店舗も完全に消滅することはないだろうが、長い目で見ればその役割は徐々に薄れて、少なくない割合が消滅していく運命にあるだろう。

テクノロジーの進化による価値観の変化が、今まで慣れ親しんだ実世界を確実に変えている。


人間の価値観が変わるということは、過去の記憶を書き換えるということだ。過去の記憶が変わると、今度は未来の世界が変わる。

そうやって、記憶と未来がそれぞれ相照らしあう世界において、テクノロジーはその光を生み出す熱源の役割を果たしている。



参考動画

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