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万博を通じて|ティファニー ワンダー展

東京・虎ノ門のTOKYO NODEでは「ティファニー ワンダー」展が行われていました。全500作品のうち、実に180作品が世界初公開だったという意欲的なエキシビションを観てまわれば「万国博覧会出展」という表記が気になります。大阪万博を来年に控える中、それが何を意味するのかを考えると、ハイブランドの陰に隠れた名もなき人々に目がいくと思うのです。

 ティファニーは虎ノ門・TOKYO NODEに500点もの作品を持ち込み、大規模なエキシビジョン「テファニー ワンダー」を開催した。目に鮮やかな水色の抱かせるイメージと、取り扱う商品の価格レンジの広さから比較的に身近な存在であるティファニーも、欧米では権威あるハイジュエリーブランドの一つ。創業の年が和暦にして天保8年(1837年)だと知らされれば、187年の歴史に一層の重みを感じるだろう。大阪では大塩平八郎が飢えに苦しむ市民のために立ち上がっていた頃、ニューヨークの市庁舎近くで文房具や小物を扱う店としてオープンしたのがティファニーだったようだ。その特徴は当時まだ珍しい定価販売、現金販売だったというから面白い。「現金掛け値なし」とも言われるこの商法は、江戸時代に越後屋が買い物を庶民に解放したものとして知られている。当初からの開かれたビジネスマインドが今の幅広い商品ラインナップに繋がっているのだろう。同じく1837年にパリで創業したエルメスが自国やロシアの皇帝に馬具を卸す工房だったこととは大きく異なっている。

 では、一体いつからティファニーはハイブランドへの転身を遂げたのだろうか。1840年代には2月革命で地位を失ったフランスの貴族たちから宝石を買い取ると、宝石事業を本格化し、1850年代には銀職人を招き入れると、銀製品の製造を行うようになった。その後の南北戦争を挟んで、大きなきっかけは1867年のパリ万博だったのかも知れない。ティファニーは銀食器を出品して、アメリカ企業として初めて優秀賞を獲ったという。その頃の作品が今回の展示会場にも並んでいる。それはもう見事な工芸作品であり、日用品の枠を超えている。万国博覧会というある種の競技の場において、作り手の技術を魅せるための作品づくりが富裕層をも虜にしたのだろう。なるほど、かつての万博とは文化的なオリンピックの側面を持ち合わせていたのかも知れない。ティファニーはその後も多くの万博に作品を出している。

 今回のエキシビジョンの目玉の一つとも言える「メドゥーサ ペンダント」。創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(Charles Lewis Tiffany)氏の子息であるルイス・コンフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)氏が工芸作家として初めてつくったとされるジュエリーは、1904年のセントルイス万博に出品されている。それ以前にも、例えば1876年のフィラデルフィア万博には銀細工の見事な「トロフィー」が展示されたようだ。混み合う会場を観てまわり、ティファニーにはこんなにも多くの万博作品があったのかと驚かされる。そういえばエルメスも1867年のパリ万博に鞍を出品し、銀賞だったことを悔いていたという話が残されている。しかし、ここに初めて参加した日本が、実は金賞よりも上位のグランプリを受賞していたことはあまり知られていない。対象出品は和紙・絹製品・漆器であり、フランスからの要請に従い江戸幕府が集めた各地の民藝品が思わぬ形で評価されたようだ。なるほど、私たちは日本文化を前提に、優れた工芸作品が名もなき市民によって作られることを当然に思っている。ハイブランドと逸品が必ずしも結びついてはいない。

 パリ万博をきっかけに欧州を巡った渋沢栄一氏は、現地における官と民の平等な関係性に感銘を受けたとされる。当時の日本は官尊民卑。商人が武士の顔色をうかがいながら行う事業に革新性は薄い。江戸の頃に育った、いわゆる伝統工芸品ですら企業の色がついていないのはそういうことなのだろう。国の発展のためにも企業を中心とした社会への変革を推進した氏は後に「日本資本主義の父」と呼ばれるようになった。あれから150年以上が経って、すっかりグローバル経済の一端を担うようになった日本では2025年に大阪万博の開催が予定されている。世界の161の国と地域が参加を表明している。これだけフラット化した世界において、いまさら順位を争うことには意味がないだろう。だとしたら、それぞれの地域の名もなき市民に注目してはどうだろうか。

 ティファニー ワンダー展のクライマックスを飾る「ザ ティファニー ダイヤモンド」は、1877年に南アフリカで発掘されたイエローダイヤモンドだ。しかし287.42カラットの原石を掘り起こした人々は忘れ去られ、翌年に買い付けたティファニーだけがその名声を得ている。そして、これまで身に付けることのできた4人のセレブリティだけが話題になっている。この歪みに私たちはそろそろ飽き飽きしているのではないだろうか。歴史を遡れば、幾度となく支配と被支配の間の関係修復が図られてきた。その都度、経済が大きく動いているようにも感じられる。ところが、またいつの間にか違う場所で、同じような支配・被支配の関係性が作られていることに気付くだろう。諦めるわけにはいかない。国が万博という西洋中心の価値観を私たちに押し付けようとするならば、少し視点を変えて、その陰に隠れた人々を学びたいと思うのだ。

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