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複合的な視点を持てば|Rhizomatiks_Multiplex

東京オリンピックの開会式を巡っては不正ばかりが明らかになる中、前回リオの閉会式でのパフォーマンスも高く評価されたテクノロジー・アーティスト集団ライゾマティクスは、東京都現代美術館にて個展「ライゾマティクス_マルティプレックス」を開いています。アートとして表現される先端技術は、私たちに新たな視点をもたらしてくれると思うのです。

 日本が世界に誇るテクノロジー・アーティスト集団、Rhizomatiks(ライゾマティクス)。同チームが設立15周年を記念して、東京都現代美術館で開催する大規模な個展は「マルティプレックス(Multiplex)」と題された。日本語にして「複合的」。新作と旧作、オンラインとオフライン、本イベントではいくつもの作品が様々な観点の組み合わせによって展開される。中でもタイトルナンバーとなっているELEVENPLAYとの共作は、「複合的」な要素をふんだんに盛り込んだ興味深い作品だ。

 人間と機械の複合は、彼ら彼女らの最も得意とするところで、演出振付家MIKIKO氏の門下のELEVENPLAYやPerfumeとのコラボレーションが、今のRhizomatiksを作り上げたといっても過言ではないだろう。今回、新作として展示される本作品は、現実世界において正確に位置をコントロールされるボックスと、仮想世界に取り込まれたダンサーとが、スクリーンの上で共演をはたす。目の前で連なって自走するボックスを認識しつつも、前室で観た、それに乗って美しく舞うELEVENPLAYの面々を思い起こすと、何がリアルなのか、何がバーチャルなのか、ふと分からなくなるから不思議なものだ。現実と仮想が複合的に扱われる。

 ここで2つの世界を結びつけるのがカメラの視点だ。ステージを縦横無尽に動き回るボックスに混じって、それらを撮影するためのカメラも自走している。高度なAR(Augmented Reality、拡張現実)技術がカメラの位置によらず、常に正確な仮想空間を生み出し続ける。客席からだけではなく、どこから見ても自然なパフォーマンス映像が仮想と現実の境界線を曖昧にするのだ。従来の舞台芸術といえば客席からの視点のみが意識されてきたけれど、ステージの上の世界により没入するために、演者の視点も組み入れることが有効だったりする。

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 今の分断の世界に多様性を受け入れようとすると、当然のように他者の視点を持つことが求められる。それこそ、小学生の頃から「相手の立場に立って考える」ことを啓蒙されてきた私たちは、いつからかそれが不可能だと気づき、諦めるようになってしまった。一方でより具体的に、「視点」であればどうだろう。その人と同じ場所に立って、同じ景色を眺めることはできる。例えば少ししゃがむだけで、子どもの視界を知ることができる。舞台の上の景色が新鮮なのは、普段、演者の視点に立ったことがなかったからなのだ。

 Webマーケティングの台頭する時代にバズる記事を書き続け、かつて「バズライター」とも称された塩谷舞氏はPRの世界を離れ、今は「インフルエンサー」として活躍されている。その違いは、本当に自分の良いと思った物事だけを発信できるという点である。広告主のためではなく、フォロワーのために活動する。一方で、ともに「共感」のプロフェッショナルであることには違いがない。そんな彼女は『視点』というnoteマガジンを発行している。これをまとめた書籍『ここじゃない世界に行きたかった』を開けば、そこには「私」の視点で見る世界が広がっている。

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 アーティストのパートナーを持ち、アメリカで暮らす塩谷氏は、多くの読者にとって違う世界の人だろう。ところが、実際には自分と同じように苦悩する姿を知って、親近感を覚え、それでも自分らしく生きようとする彼女に共感する。そして彼女の目を通じて知る美しい物事に憧れ、その裏側にある社会課題に気付かされる。これが新鮮だからこそフォロワーが集まるわけで、その前提にある「視点」が塩谷氏をインフルエンサーたらしめるのである。しかし、これは何も今に始まった事ではない。小説だって、映画だって、はるか昔からこの役割を担ってきた。ポイントは自分との距離の近さだろう。

 よりリアルな視点を得るために、身近なインフルエンサーが頼られるようになった。それならばいっそ、自分の視界に他者の視点を映し込んでしまえば良いのではないだろうか。たとえ一つの物事でも、人によって見る視点が違う。これこそが国を分け、人種を分け、政党を分け、労使を分けてきたのだ。今こそARの技術を使って、他者の視点を体験すべきだろう。Rhizomatiksの作品を見れば、その準備はすでに整っているように感じる。


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