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これもルールかもしれない|J-POP、K-POPにおける言語

六本木・21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「ルール?展」は、無意識にルールに縛られている私たちに警告を鳴らしています。それは本来、安心に暮らすために自分たちで作り上げるもの。言語を例に、J-POP、K-POPの世界で新たに運用されるルールを見れば、それがこれからのコミュニティの前提となるように思うのです。

 国内音楽ユニット・YOASOBIが発表した、自身のヒット曲「夜に駆ける」の英語版「Into The Night」が話題になっている。

 沈むように溶けてゆくように 二人だけの空が広がる世界に
 (「夜に駆ける」より)

 Seize a move, you're on me, falling, and we were dissolving
 You and me, skies above and wide, it brings on the true night on me
 
(「Into The Night」より)

 小説をテーマとするユニットらしく、楽曲の世界観をそのまま英語に置き換えた歌詞は、ただ読んでいても気が付かないけれど、一部に日本語の音があてられている。例えば、冒頭の「Seize a move, you're on me,」は「シズムヨウニ」と聴こえる。簡単な言葉遊びではあるけれど、彼らの主要なファン層である中高生にとっては、大きな驚きだったに違いない。

 まるで日本語のように聴こえる英語の歌詞は古くからネタとして扱われ、テレビ朝日系の深夜番組「タモリ倶楽部」がその特集コーナー「空耳アワー」を始めたのは1992年だ。英米の硬派なハードロッカーたちがおかしな日本語を絶叫する様子は、誰もが意図しなかった偶然の笑いを提供してくれるわけで、30年近くにわたって支持され続けている。番組に空耳情報を提供する「ソラミミスト」の発想を、今の若い世代のアーティストが作品に取り入れたとすると興味深い。音楽のフォーマットが西洋式に統一されて、文化が混ざり合い、歌詞以外ではどの国で生まれた楽曲なのかを聴き分けられなくなってしまった現代において、わずかに埋め込まれた日本語が識別子として機能する可能性を秘めている。ただ、本家のソラミミストにも喜ばれるように、もう少しこっそりと混ぜ込んでみても面白かったのかもしれない。

 いわゆるJ-POPが世界で評価されにくい理由の一つに日本語のディスアドバンテージがあると言われてきた。日本からの輸出によって、アメリカのBillboardにチャートインした楽曲は数えるほどだ。その中の一曲、かの「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」にはご存知のとおり日本語が含まれていない。とはいえ、今のK-POPの世界的評価を見れば、必ずしも英語でなければ受け入れられないわけではないはずだ。BTSも、BLACKPINKも、韓国語の歌詞を基本としている。全編英語の「Dynamite」がチャートの1位を獲得し、その後にリリースされた「Butter」も英語歌詞だった際には論争が起きたように、韓国人は韓国語を自分たちのアイデンティティとして大切にしている。

 K-POPの実情は、ライター・田中絵里菜氏の著書『K-POPはなぜ世界を熱くするのか』(朝日新聞社)に詳しい。同氏によれば、K-POPにおける他国との言葉の壁はファンによって埋められているという。すなわち歌詞を含め、韓国語で発信される情報の多くは、ファンの善意によって、タイムリーに世界中の言語に翻訳されるのだ。アーティストに対する貢献を以って忠誠度を示そうとする彼ら彼女らにとって、それは大切な活動の一つであって、アーティストが英語歌詞を使って直接グローバルにアプローチすることは、ファンの気持ちを踏みにじる行為なのかもしれない。

 田中氏の書籍を読めば、K-POPアーティストをファンが支えたくなる仕組みが、韓国の緩やかな法規制の上に成り立っていることが分かる。翻訳をはじめとする作品の二次利用は著作権管理に厳しい欧米や日本では認められないことが多い。歌詞は著作物であり、たとえ個人のブログサイトであっても、それを掲載するにあたっては作者の許可が必要だ。これをゆるりと許容する韓国のレコード会社の戦略がファンに活動機会を提供しているという。法律に杓子定規に従うのではなく、独自のルールを作り上げる運用がアジア的とも言えるだろう。K-POPのアーティストが原則的に韓国語で歌うことも一つのルールであって、ルール変更にはステークホルダー間の合意が求められる。一方で、常に変化の期待される韓国市場において、いつまでも同じルールが適用されるわけではないのだろうけれど。

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 考えてみれば、言葉だって一つのルールに過ぎない。標準語を中心に単語の意味や語法・文法は定められているけれど、普段のコミュニケーションでは多分にその外側にある暗黙的な合意が用いられる。間違った用法が法に触れないのはもちろんのこと、当初、仲間内でしか通じない言語表現が社会全体に認知されていくことも多い。K-POPファンによる翻訳が支持を集めやすいのも、この内輪言葉がちゃんと使われるからだと田中絵里菜氏は説く。その言葉の通じる範囲を自分たちの信頼できる共同体として、いわゆるコミュニティとして扱うことで私たちは安心を得ている。そう思うと、YOASOBIは「夜に駆ける」の冒頭、「ソシドラソファ」のフレーズを言語によらず、「シズムヨウニ」と発音するルールを提唱してみせたのかもしれない。これによって、日本語圏のファンも、英語圏のファンも、翻訳を介さずに同じコミュニティに属することができる。

 六本木・21_21 DESIGN SIGHTで開かれている「ルール?展」において、ディレクターの一人、法律家・水野祐氏は「誰かが作ったルール」から「私たちが作るルール」への転換を投げかける。ルールには従わなければいけないと思い込んできた私たちは、そのルールがなぜ作られたのかを考えること、ルールを疑うことを忘れてしまっている。ルールは私たちが安心して暮らすためにあるものなのだから、誰に強制されるものでもなく、私たち自身で作らなければいけない。YOASOBIはちょっとした言葉遊びから、その可能性を示唆してくれているように思うのだ。


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