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愛着にはじまるサスティナビリティ|どんがら

巷ではいよいよ電気自動車が増えはじめています。スマートになった車も、スマートフォンのようにころころと乗り換えられてしまっては、結局、サスティナビリティに貢献しません。一部のスポーツカーの復活を見れば、やはり愛着が欠かせないと思うのです。

 愛用している小さな財布のジッパーが閉まらなくなってしまった。止水式なこともあり、外れたスライダーが自分では元に戻せないのだ。メーカーに相談して現物を見ていただくと、テープごとジッパー全体を交換せざるを得ないとのこと。いちど分解して、縫い直す作業は手で作られた逸品だから可能なものの、それなりに手間と時間を必要とする。提示された見積もりは3年前に新品で購入したときとほぼ同等の金額。おまけに職人の人手不足により2ヶ月ほど掛かると言われてしまった。オンラインストアには今も同じモデルの在庫が残っている。ここは普通に考えて、新品を買い直すところだろう。先方も言葉にこそしないものの、それを薦めているように感じられる。しかし、さほどくたびれてもいない財布を前に、修理をお願いすることにした。

 モノを捨てないことが難しい時代にある。財布に限らず、鞄だって、靴だって、何年か使えば愛着が湧いてくる。それでもハンドルやソールはへたるわけで、直そうとすると買い替えられるほどの費用と、相応の時間が求められる。だとすれば、サスティナビリティなんて、進むはずもないだろう。リユースは新品に近い状態であり続けることが前提となっている。中古車市場は今も昔も、はじめての車検前の3年落ちの車で賑わっている。買取価格を基準に選ぶ買い物は味気なく、所有品の入れ替わりを加速させるばかりなのだ。エコとはほど遠い。本来のサスティナビリティを実現できるかは、そのモノとの間に手放したくないと思える関係性をいかに早く構築するかに掛かっているだろう。

 トヨタ自動車は排ガス規制が進み、プリウスが売れている2012年に、5年ぶりにスポーツカーを復活させた。スバル(当時、富士重工業)との共同開発による86(ハチロク)の成功が、ユーザーによるカスタマイズの奨励という業界の掟破りによって支えられたことは意外と知られていない。ノンフィクション作家・清武英利氏の書籍『どんがら』(講談社、2023)を読めば、チーフエンジニアだった多田哲哉氏がアメリカのNASCARの熱狂にヒントを得て、かつてのハチロク、すなわちレビンとトレノの根強い人気を再現しようと、パーツを交換しやすい車に仕立てられたことがよく分かる。初心者には初心者なりの、上級者には上級者なりの楽しみ方を作り込むことで、スポーツカーの市場自体を拡げようと志されたのだ。安全性に配慮して、カスタマイズに目くじらを立てるのがそれまでのメーカーの常識だったという。

 自分の好みに合わせたカスタマイズが進めば進むほど、愛着が湧き、買い替えが控えられる。それは図らずともサスティナビリティに貢献するだろう。足元にはプリウスのタイヤを履かせてまで燃費を意識した86は、より高い視点でモノとの関係性を問い直すことで、環境への適応を叶えたのだ。先の書籍には、86の初号車を試乗した豊田章男氏(当時、社長)が「いいんだけど、この車とは会話ができない」とコメントしたエピソードが登場する。これを受けて搭載されたのがエンジンの吸気音を車内に取り込む「サウンドクリエーター」であり、要はアクセルを踏み込んだ際の爽快感がドライバーに素直に伝わるよう、細工が仕込まれたのだ。「騒音」というスマートとは言えない発想が、車との関係を取り持つと思うと面白い。そういえば、登場したばかりのプリウスも走行音が静かすぎて、歩行者が気付かないから危ないという話をよく聞いた。

 人とモノのあり方は環境の中で定義される。先日発売されたレクサスのBEV(Battery Electric Vehicle、電気自動車)、RZはエンジン音がない代わりにASC(Active Sound Control)というドライバーに人工的な音を聞かせる仕組みを取り入れているという。やはり無音では運転している楽しさが得られないのだろう。あのポルシェでさえBEVでは音(声)を作り込んでおり、タイカン(Taycan)には、ポルシェ・エレクトリック・スポーツサウンド(Porsche Electric Sport Sound)という有償のオプションが定義されている。一方で計器やスイッチ類はすべてタッチパネル化されてしまっており、あまりに殺風景なインテリアに驚かされる。911のあの機械らしさは何処に行ってしまったのか。いや、しかし、これからの若者はディスプレイにも愛着が湧くものなのかもしれない。

 かつて冷たいものとして扱われたデジタルテクノロジーは、スマートという言葉を以って格好よいものと好まれるようになった。そして、それはいつの間にか地球にやさしいという意味合いを帯び、積極的に取り組まなければならないものに仕立て上げられた。電気自動車もその一環。もちろん方向性は間違っていない。しかし、それによってモノや環境への愛着が失われるとしたら、本末転倒だろう。デジタル化された通貨は財布を小さく、スマートに変えた。それでもジッパーを開け閉めする感覚は体に染み付いている。これを煩わしいと思う頃には、何か大切なことを見失っているのかもしれないと思うのだ。

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