我が家の会話は古典落語
夕食後、今日の出来事を私が凡句にして披露するのが最近の流れ。
それを妻と四歳息子が感覚で判定する。これが馬鹿にならない。
昨夜は
「オムライスのケチャップが切れたので急遽皆でコンビニに買いに出た」
ことを句にした。
オムライスのケチャップ切れて朧月
オムライスと朧月の取り合わせがいいなと感じていたが、妻はバッサリ。「報告っぽい」
ならばと「オムライスの」の代わりに「名前書く」は? と提案。
子供と卵の上に文字を書く映像が見える。これならOK。
息子の返答も「うーん」
「切れて」が分からないと言う。語意を説明するも「うーん」
「買いに」ならどう? と聞くとパッと明るい顔で「いいね」
名前描くケチヤツプ購ひに朧月
うん。いいじゃないか。
不意に古典落語『西行鼓ヶ滝』を思い出した。
和歌の名人西行法師の歌を、素人の爺、婆、娘さんに直されるたびに佳くなっていくと言う滑稽噺。
うちと同じだ。
[今日の十七音]
添削を子に受けはたと西行忌
(てんさくをこにうけはたとさいぎょうき)
【季語(春): 西行忌】
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