見出し画像

22.8.25 博士号取得者を採る理由

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

久しぶりに二郎系ラーメンを食べに行きました。若い時にしか食べられないと思っているものなので、太らない程度に嗜んでいきたいですね。
体に悪いものってどうしてこんなにおいしいんでしょうね。まぁそれを悪気なく食べるために普段は健康的な生活を送るようにしていますけども。

さて、僕は現在大学院で研究させていただいている身であり、アカデミックには残らず企業に就職する予定です。予定というか、メーカー様に内々定をいただいております(無事学位取得できれば内定になります。…無事に取得できれば)。運の流れに委ねて、かつ人のご縁があって今に至りますので、本当に人生何が起きるかわかりませんね。非常にありがたいといいますか、恩を形にして少しずつ返していきたいですね。

話を戻し、少し前までは、博士号取得者は「足の裏についた米粒」と企業側に揶揄されたほどでした。現在はそこまで言われず、博士の重要性を訴える人も少なくなくなりましたが、それでも十分な理解は得られていません。年齢とキャリアで見られがちのようです(キャリアはわからんでもない)。ただ専門性だけを見てしまうと、そりゃ活かすのも限定的でしょう。

大事なのはその優秀な人材を自分たちの組織に対してどう活用すればパフォーマンスを発揮してくれるのかを企業が考えることだと考えます(学生がなんか偉そうなこと言ってるぞ)。もちろん相性があると思いますが、専門分野が違うだけで博士を採らないのは早計かなと思います。

AIやDX社会、コロナ禍、ロシア-ウクライナ、中国-台湾、国内テロ、超円安等、日本だけでなく世界中でも混乱が同時に起きている世の中です。一概には言えませんが、激動の時代で振り回されるのは、おそらく個人以上に組織を為す企業にあると思います。これまでのやり方が通用しなかったり、大きく組織内を改革することが求められることだってこの先10年を思えば起きる確率は十分に高いといえます。

だからこそ、未知や変化に対応できる考え方をもつ博士号取得者の存在が必要だったりします(全博士がそうとは限りません、とは言いたくありませんが)。もちろん、研究してきた分野に対して博士は強いですし、さらに新しい分野を学ぶことにも長けていると私は思います。学び方と研究のハウツーを修得しているからです。最も、柔軟性のマインドが求められるといえばそれまでですが。

何度も言いますが、変化を恐れず、挑戦し続け、常に学び直す人材がこの先求められる存在かと思います。これは何も博士に限った話ではありません。大小差があれど、必要性を迫られれば誰でも身に着けられる力だと私は思います。ですが、即戦力を謳うのであれば、博士の存在を見逃すのはもったいないのではないでしょうか(めっちゃプッシュするやん)。

こう熱く語るのも自分が博士課程だからだといえば結局自分の都合がいいように語ってるじゃんと思われかねないですが、的を外した内容かといえばそこまで大筋を外していないとは思います。

自分が化学を学び、理学や工学を学んできたゆえに色眼鏡をかけてしまっているかもわかりませんが、心身健康な人の命の数があってこそ国の原動力ですし、技術あって経済が回り、国を変えていくと考えてます。政治のことは詳しくありませんが、メーカーや情報、医薬等の産業はもちろん、大学院等の学術機関に力を入れていけば、(長期的な目で見れば)よくなっていくのかなと素人ながらそう感じます(今後も勉強していきます)。

まぁ要はもっと僕たちを見て、認識して、理解を示す姿勢をとってほしいってことですね(ここでつぶやいても仕方ありませんが)。

なんであれ、言うだけでは誰も動かないので、「さすが博士だな」と言ってもらえるように、こちらも成果を出していきたいと思います。

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?