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今までの人生46(父に囁いた母の言葉1)

「お母さんもすぐ行くからね・・・」

母は2度、父に囁いていた。

どういうつもりで、どういう意味で
囁いたのか・・・

気になって仕方がなかったが
今この場で聞くことでは無い。
ゆっくり話していく中の
どこかのタイミングで
聞こうと思っていた。

もうすぐ大晦日だが
父が亡くなったので
特に新年を迎える準備をすることも無く
ただただ父の思い出話をしながら
父の遺品整理を始めることにした。

元々貧しかった生活。
高価なものは何も無かったが
母と話しながらの遺品整理は
話7割、涙2割、整理1割。

全然進まない。

私が知らなかった間の母と父の
2人だけの思い出が詰まった5年間の生活。

私が何も知らない引きこもっていた
5年間の生活。

生活状況がかけ離れ過ぎていて
ひとつ物を片付けるのに
母と父の思い出話 + その時の私の状況は
こうだった + 涙・・・

出てくる衣類やタオル類には
ほとんど父の名前がペンで書いてあった。

病院でも私服で生活出来ていたり

退院してきてからは
デイサービスに自ら進んで行くようになり

泳げなかったのに
近所の市民プールに通っている人に
リハビリになるからと誘われ

右半身麻痺
足には装具
杖をついて歩いている状態にも関わらず


週に一回は1人でバスに乗り
市民プールに通っていたらしい。

最初の頃の退院時は
かなり身体の状況も
気持ちも良かったのがわかる。

歩けるようにはならないと思います。
と、倒れた時に言われた父が
前向きに頑張って
杖を使って歩けるようになり
左手だけで生活出来るようになっていた。

私はその頃、誰にも会いたくなく
通院するのもやっとで
引きこもっていた。

父の生きようとしている
毎日の生活。
私の消えてしまいたいと思いながら
引こもっていた生活。

色んな思いが込み上げ
また整理作業の手が止まる。

疲れたね・・・
片付けの合間にご飯を食べちゃお。

5年ぶりに2人だけで食べる母の手料理。
自然と涙が出てきて
泣きながらの食事。

母は何も言わず食事が終わったら
洗い物をし、私はその間に薬を飲み
居間に横になっていた。

母の洗い物が終わる頃には
私は眠っていた。

まだ聞けないでいる

「お母さんもすぐ行くからね・・・」

夢の中でも考えている自分がいる。
どのタイミングで聞こうかな・・・
そればかり私の心の奥では気になって
仕方なかった。


今日はここまで


昨日から振り続けている雪。
昨晩は雪の量は多くはなかったのか
思ったより積もっていなかった。
が、普通に除雪しないと
歩けないくらいには積もっている。
今日の朝活は除雪からのnote。
これから𝕏(旧Twitter)で挨拶。
順番がいつもの真逆だわぁ
真逆の理由は
母が私よりも先に起きていたから。
起きてすぐスマホを触っている私を見ると
母の機嫌が悪くなる。
それは避けないとね(汗)

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。