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問題を作ることと、新しいゼミ生を探すこと。

僕は問題を作ることが好きだ。

実はQ&Aで、Qが一番難しいと言われています。
僕がQで、一番悩んだのが「(だいぶ実績がある、憧れの)目上の人に対する質問」です。僕はQの裏側にある「解答」を求めていたことに気づきます。

そのQの場だったのが「スクーリング・パッド」でした。今は無き、世田谷ものづくり学校2階で実施された社会人学校です。僕はデザイン・コミュニケーション学部2期生で、まだNHKで報道カメラマンをしており、東京勤務だった頃です。

その時に、学長だった元IDEE/流石創造集団の黒﨑輝男さんが「良い質問することがとってもクリエイティブだよ、質問ないやつはOUTだ」って、学生(とはいっても社会人ですが)に対して、メチャクチャな?勢いで怒っていたことが、最早懐かしいのですが、それだけどんな質問しようか悩んでいました。けれども、質問の中身が、実は手を挙げる勇気以上に「まったく無く」て、『これって、質問しない方が良いんじゃないか?』って、自己完結することが多かったんです。だから、授業終わった後とかにわざわざ講師のところに行って、再度質問したりとか、名刺交換して、ネットワークを繋ごうとしていたんだと思う。けれど、そういう名だたる講師の皆さんの言葉はが、今でも引っかかっているかというとそうではない。

むしろ、本気で聞きたかった質問は、今でもはっきり覚えている。例えば、当時ワイデン&ケネディでクリエイティブ・ディレクターをしていたジョンJに対しては、「どうして東京、上海、ポートランド、ニューヨークと駆け巡りながら、自分のクリエイティブを発揮できている理由を教えてください」と質問した。その答えは至ってシンプル、「クリエイティブではなく、コミュニケーションだ」と。その地域、その文化。すべてのものが、クリエイティブを与えてくれて、その与えてくれるのが「人」だからこそ、コミュニケーションをデザインしたいって言ってた。

この時、スクーリング・パッドの「デザイン・コミュニケーション」って言葉が分からず「コミュニケーションデザインだよね?」って、誰かが言っていたのを思い出す。けれど、今さならながら振り返ると「デザイン・コミュニケーション」って、コミュニケーション自体のデザインであって、いわゆる個人系スキル「コーチング」や組織系スキル「チームビルディング」のような類でなく、「なぜこの時代に、このクリエイティブなのか」「なぜこの地域で、ニュービジネスが生まれようとしているのか」と、「クリエイティブクエスチョン」が、まさにデザイン・コミュニケーションの真髄だなと感じている。

僕自身、そういう意味で言うと、結論は「弱い」。だってこれだけ毎日毎日いろんなことが起き、できるだけ目の前のことをはやく、そして今だからこそ実施しなければならないからこそ、後回しにできず、一方で、手からこぼれた物もたくさんあるけど、前を見失わずに走り続けてきた。なぜなら「今日がすべて」だからだ。明日はやってくるかもしれないが、今日は一度たりとも戻ってきたことはない。すっかり、今年で46歳という数字を数えている。もちろん、結論が強い人ほど、評価や信頼も高いし、より良い人生を歩んでいるかもしれない。けれど、もっともっと結論が弱い人たちからすると、その輝かしいこと自体が「ウザい」かもしれない。

新しいゼミ生に求めること。

実は1月18日(水)から月内〆切で新3年生の募集が始まった。昨年4月。教員となり、新しいゼミがスタートしたと、noteに記載したことがすでに懐かしささえ覚える。いくつかポイントを伝えた。

1、チャレンジする人。
実は、チャレンジしようと仕掛ける人は、案外少ないことがわかった。それは、課題を出し、解答を求めることで如実にわかる。努力すること、課題に対して真摯に向き合うこと。。。諸々あるが、「企画のアイディアを課題提供者より乗り越えてくること」はないのだと。つまり「問題以上の解決策は生まれにくい」って気づいたのだ。なぜなら「問題が強い」からだ。強いと言う意味は、目上視点ではない。問題が高度化している一方で、解決策が「解決策として」、時代落ち、情報不足、スピード不足に陥っているからにすぎない。つまり、いただいた問題は、即決で終わらせないと「解決の時代遅れ」になるからだ。だからこそ、チャレンジは「即断、即決」に変わりない。

2、新体験に勝るものはない。
体験自体が、新しい知識と気づきを与えてくれる、と信じている。しかしその傾向は、Instagramのストーリーから感じられる。つまり「新体験」とは「人類による欲求発散」である。移動し旅すること。美味しい食事をとること。おおむねこの2つがストーリーの軸だ。それ以外は共有、共感、アイディアの補填だ。しかも24時間限定というのが憎い。だって、24時間超えれば、褪せてしまい、もはや欲求以前、怠慢である。これだけ日本だけでも「体験提案」が増えているからこそ、「体験自体」が飽きてしまった人間が増えたら、一気に経済停滞になるだろう。それはコロナ禍で、その環境に慣れた人間が一斉に怖がるのでないか?「クラスターが起きる!」って。だから、そんな節を見たくない人は「移動」し、他の場所に「食(=生きること)」を求めて、その地域から居なくなるのだ。だから東京より地方、地方より世界という軸が見え始めている。そんな環境に、社会に出始めようとしている新3年生には、特段の「新体験」を経験させるしかない。僕は結論が弱いと言った。だから、結果こんなもの?って思うかもしれない。うまくいかないかもしれない。僕はどのゼミに入っても、「同じこと」「同じ時間」は得られないって思っている。だからこそデザイン・コミュニケーションで、どんなコミュニケーションを20−21歳で充実させるかが重要だ。

3、満足できることがなにより
笑顔や幸せをデザインする、と言ったのは企画構想学科のポリシーです。けれど、誤解のないように考えると、他人の笑顔や幸せは素晴らしいなって思って自らの気持ちを押し殺すのも、結果、自分が不得手だったとして挫けずいても、自分が満足できなかったら、その企画は無意味だと、僕は思います。なぜ無意味なのか。その企画に多くの人が携わっているからではなく、その企画を検討し、実行に移そうとアクションしたのは、なにより君(=自分)だからです。けれど、実行するためには「ステイクホルダー」が存在します。つまり、自分以外が決定権を生み出す人が存在し、最後には自分が不幸せになることも多いです。実は3つ掲げた中で、一番難しい問いだと思います。これが7、8人のゼミ、50人の授業、100人の合同合宿、、、人数が増えれば増えるほど、まんま、ステイクホルダーが存在します。しかも「自由民衆主義」の日本では、「みんなステイクホルダーになって、自らの実現性を高めてください!」って言うたもんだから、まとまるはずがありません。となれば、笑顔や幸せはどんなものだろうか?ってなりますよね。むしり「アンハッピーエンド」のドラマや映画が増えている気がしませんか。今際の国のアリス(って、漫画から時間が経っているのだが、わざわざこのタイミングで、映像化しているのが気になります)だって、ラストは、ハッピーエンド的に、数分間の時間が、幾重の多層ドラマとして見立てていますよね。けど、アリスにとっては「満足」な内容でした。

話を戻します。

僕は問題が好きです。答えづくりは苦手です。もっと得意な人や、正解を如実に連発して出す方法もあるでしょう。しかし、僕は答えを連発して出す手法は持ち得ません。より多くの課題を抱えつつ、さらにそれを上回る課題に出会い、そこからまた次の問題にぶち当たることがメインです。もっというと計画性が足りないと言われるかもしれません。そこからもっと深く、問題を捉えに行きます。

目の前の成績より、人生の成長を見たい。
世の中を変える大火より、人生を変える火花を散らしたい。

まだ2年目の、3年ゼミです。去年と同じことは絶対しない。
そこだけはお伝えします。

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