マガジンのカバー画像

日記

45
Twitterの拡張版として始めました。140字でおさめるにはあまりにくだらないしとりとめもない話など。 誰にも読まれなくてもいいからとりあえず日記という体で書いています。
運営しているクリエイター

2019年7月の記事一覧

日記15:鳥居(2019/07/29)

最近まで山に住んでいたのですが、その山の麓にある神社がなんだか好きで、時々そこに住んでる夢を見る。 いや嘘。こっちへ引っ越してきてから1回見た。そのくらい。 岐阜県というのは本当に山ばかりの所で、逆に山じゃないところはどこなの? というくらい、まあとにかく山で。いや、山じゃないとこもそれなりにあって、それは盆地でしかないのだけど。ああでも高山盆地って正確には盆地じゃないらしいんだった。地学の先生が言ってた。 脱線しすぎているので神社の話に戻ります。 鳥居というと赤のイ

日記14:蝉の声(2019/07/27)

蝉の声は、声じゃない。とか言うやつ。あれは声だよ。うるさいけど、ちゃんと聞いてる? 俺たちはたまたま喉を震わせて言葉を発することができるけど、蝉は腹を震わせてああやって鳴いてるらしい。うるさいんだけど、ほんと。めちゃくちゃうるさいんだけど、夏が静かになっちゃうのも嫌だな。夏はうるさいものだろ? 芭蕉の俳句で一番最初に知ったのが蝉の句だった気がする。「静けさや岩にしみ入る蝉の声」ってやつ。あ、実は芭蕉が好きなんだ。俺。知らなかったろ? 中也のことが大好きなんだが中也より

日記13:窒息(2019/07/24)

息が苦しいほどの星空を見上げたこと、ある? 小学生のころか中学生のころか、まあいつだったか正確には覚えてないんだけど少なくとも物心はついていた頃、町内の1/3くらいが真っ暗になる大規模停電があった。電線が千切れただかなんだかで、だから復旧するまでしばらく真っ暗だったから、なんでかみんなで家の外に出た。 すごいぞ。生活の光がなくなった時の山は。 星が降ってくるとはこういうことかというまさにそういう星空がマジで見えるんだ。よく晴れた日に「オリオンの剣、柄まで見えたー!」とか

日記12:彩度(2019/07/22)

記憶に彩度がなさすぎる。 ないんだわ、彩度が。記憶に。 思い出される人や風景、ほぼ彩度がド低いんだがどういう仕組みなんだ? これ。近藤勇の写真くらい低い。なんで? 自分の視界や思考にとっては彩色というものがそこまで重要でないのかも知れない。そういえば、みんなが即答できる「好きな色なに?」をスッと答えられたことがない。関心がないのか? どうだろう。わからない。 感情なら常に彩度バッキバキなんだけど。おれの感情、賑やかすぎるからいい加減にしてほしいな、本当。落ち着いて。年相

日記11:そうめん(2019/07/21)

夏といえばそうめん。異論は認める。 そうめんと聞くと連鎖的に思い出すものがある。ひとりの女の顔と、その女が生きていた夏と、その女の葬式。 5月。女の葬式の日は地獄のような雨が降っていたな。おれの葬式にまつわる記憶は雨であったことが多い。きっと先に死んだ人間が煙になって雲になって雨になって降ってるからなのだ、などとうっかり私的な方面に思考が逃げるが、そんなことはない。ただの天気の気まぐれなんだよ、知ってる。 さて。では、なんでその女のことを思い出すのかという話。 なんかめ

日記10:廃バス(2019/07/20)

きみに心象風景はあるか? 草むらの中に佇む死んだような廃バス よく人が落ちる崖の上の頼りない錆びたフェンス 雨宿りをするのにちょうどいい公園の木陰 ドーム状に穴の空いた太い木(秘密基地?) 東京ビッグサイトの長い廊下に似た逃げ道、など、 そんなのが私の記憶にはずっとあって、現実のものと幼い頃から夢に頻出する風景とがある。 廃バスは幼い頃、近所にずっと居て悪い中学生とかが中に入って遊んでいた。悪い中学生とかに妙な憧れがあったので園児のときは自分も中学生になったらあそこで遊

日記9:エアコン(2019/07/17)

エアコンが吐くため息が苦手だ。 時々出すでしょう、くたびれたエアコンって。「トフー…」みたいな音をたてて冷気を吐きだす、あの音の生き物感がどうにも気味悪くって苦手だ。 ここまで書いて放置された日記が下書きにあったので続きを書こうか。(2019/07/20) 苦手なものってある? おれは結構あって、とくに「音」が多いんだよね。一番わかりやすいのはあれかな、映画始まる前に流れる映画泥棒、あるでしょ。あれの警報の音。めちゃくちゃ怖いし不安になるので毎回耳を塞いでいるんだけど、

日記8:星(2019/07/16)

最近見てないんだよな、星。 岐阜に住んでいた時にはふと上を見ると星が出ていたので毎日毎日夜空を見上げて地球の平和を願うなどしていたのだけれど。 空を見上げる余裕がないというのはまことにかなしいことで、非人間的なことだなと思う。人間ってさ、多分空のことめちゃくちゃ好きだと思うんだ、美徳とかじゃなくもう、潜在的に。生命として。だって星の並び見てて「あっ犬だな!」って思う? 思わねえじゃん。 いやおれは雲見て「あっ唐揚げだな!」ってよく思うけどまさかそういうこと? そういうこと

日記7:波(2019/07/15)

布団に入って横になると必ず、緩やかな波に揺られてるような感覚になる。俺の脚はプカプカと浮かんでいて、頭がなんだかいつもより軽い。この感覚が身についたのは小学生の頃からで、やけにはっきりと記憶が残っているので、書くことにする。 さて。 流れるプールってわかる? わかるかな。この呼びかた、共通? ドーナツみたいな水槽で常に水が循環してるプール、あるでしょう。あれだよ。 その流れるプールが祖父母の家の近くの市民プールにあって、普通のプールより好きだったんだね、昔。だから小学生の頃

日記6:憧憬(2019/07/14)

憧憬とかいう単語、詩的すぎると思わんか? ただ憧れと呼んでしまうにはおこがましいくらい自分勝手で熱烈で矮小で直線的な感情、それを憧憬と呼ぶことにするとなんとなくちょうどいい気がするね。知らんけど。 だって、憧れるほど近くない。ましてや恋するほどの距離でもない。それでも見ては見ては見ては見ては見ては見ては見ては眩しくって愛おしいと思う。そんな相手がお前らにはいますか。 俺にはいるんだっつー話。 歌うこと、踊ること、または演じること、そしてステージという場所。何もなければ誰

日記5:夜(2019/07/13)

夜というのは橙の空を巨大なカラスが食べるから来るのだと小さい頃は思っていた。 ……という夢を見たことがある。夢だ。夢だが? しかし未就園児の頃わたしは本当に月では本当に兎が餅をついているものだと思っていたし、満月は兎が焼いたホットケーキだと思っていたし、星空の中にはキキララとかがいると思っていた。 空には何かしら生き物がいて、向こうもこちらを見上げているものだと、そういうのを当然に思っていた頃は、それが特別な感性で愛おしい稚拙だということにまったくもって気付かない。気付かな

日記4:夏の果(2019/07/12)

夏の果という季語があるんだが知っているか? 俺は知ってるんだけど、まあ簡単に言えば夏の終わり頃、晩夏を指す言葉なんだ。夏が始まるとともに晩夏を思わずにはいられない性格、なんなんだろうな。終わりゆくものについ寂しさを感じ、それを愛し、慈しんでしまうわ。つい。 あと「果て」という言葉が単純に好きなので、この季語に出会った時にも「ああ、すきだなあ」と思った。単純。 同義の季語には、夏終わる、夏の暮れ、夏惜しむ、みたいなのや、「夏逝きぬ」というまるで夏が生きてるみたいななのまである

日記3:復讐(2019/07/11)

復讐しようとしてるやつに絶対言ってくるやついるだろ。「そんなことしたって何の意味もない」ってやつ。俺あれ嫌いなんだよな。あのセリフな。 だって俺たちは往々にして「復讐の達成=何の意味ない」ということは分かってるわけじゃないですか。はじめっから。わかっててやってんのよ、俺たちは。いや俺はやってないけど。 要するに意味なんかないのは知ったこっちゃのその上で「復讐するしかない」という極限思考に至ってるんわけなんだよねこちとら。いや、私は違うけど。 話がやや脱線するが、そもそも人

日記2:図鑑(2019/07/10)

雑草の図鑑が欲しくて本屋に行ったんだがうまく見つけられず、結果なぜか島の図鑑を買ってしまった。そして同居人が雑草の図鑑を見つけて買ってた。俺が欲しかったやつじゃんおまえそれ。まあ結局お互いに自分が買った図鑑が自分によく合っていて帰るなり熟読したりして「見てこれすごーい」とか言い合ったりしてなんだかんだ良かったのかなと思うなどした。似合うわ、島の図鑑。楽しいし。 「カルデラ」という例の映画でやや有名になっちまった地形が自分は結構好きで、わかんなければググればすぐ出てくるんだけ