日記6:憧憬(2019/07/14)

憧憬とかいう単語、詩的すぎると思わんか? ただ憧れと呼んでしまうにはおこがましいくらい自分勝手で熱烈で矮小で直線的な感情、それを憧憬と呼ぶことにするとなんとなくちょうどいい気がするね。知らんけど。

だって、憧れるほど近くない。ましてや恋するほどの距離でもない。それでも見ては見ては見ては見ては見ては見ては見ては眩しくって愛おしいと思う。そんな相手がお前らにはいますか。

俺にはいるんだっつー話。

歌うこと、踊ること、または演じること、そしてステージという場所。何もなければ誰も立たなければ無機質なただの箱に双方の熱が詰まってライブは生き物になるのかも知れない。だって、同じ曲でも同じ場所でも同じ音楽だったことなんて一度だってない。
同じ場所に自分が立つことなんてないんだよと分かってるしそもそもそんな気だってないけれど、それでも憧憬を抱かずにいられないのはなんなんだろうな。君と同じ景色が見てみたいだけなのでしょうか。

いやちょっと今日の日記、詩的と私的が過ぎてるな。いいか。日記だし。多少恥ずかしいくらいがちょうどいいのではない? ど?

じゃあね。

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