マガジンのカバー画像

日記

45
Twitterの拡張版として始めました。140字でおさめるにはあまりにくだらないしとりとめもない話など。 誰にも読まれなくてもいいからとりあえず日記という体で書いています。
運営しているクリエイター

記事一覧

【あったらいいな】ファンタジーと現実、魔法と科学【こんなもの】

小学校低学年の国語科で習う単元の一つに「あったらいいな、こんなもの」というのがある。 今の子どもたちもやっているかまでは知らないけれど、いま大人として大人をやっている子どもだった人たちの多くも俺と同じようにこれを学習してきたのではと思う。 ドラえもんの秘密道具を導入として、未来の世界に開発されていたらいいなと思う科学の道具を考えてみよう、そして絵や文を用いてみんなに発表してみようというものだ。 自分が考えた「あったらいいな」は何だったのかまったく覚えていないのだけれど、同

日記:神[2020/12/01]

この世に神がいるのなら。 そう思うことがないわけじゃないけれど、実際のところ私は特にそういった第四者みたいな存在を「存在」と認識していたことはおそらく一度もないし、信仰心はかけらも身につけてない。 けれど、この世に神がいるのならなどと思う先より、これまで幾度となく神頼み的な、そういう、これからやることなすこと全てまるっとうまくいきますようにみたいな、神社へ来てみたし一応世界平和とか願っておけば、なんか、いいかな、みたいな、そんななんとなく神羅万象天地創造への「敬い」めいた

【お天気】毎日とてもねむい【やったー】

晴れると嬉しい。洗濯物がよく乾くから。 洗濯物を干すのが家事の中で一番好きだ。いい匂いがするので好きだ。最も、そもそも家事全般が嫌いなので洗濯物を干す事も決して好きなわけではない。家事の中では最も心地よいというだけだ。 さて最もという言葉を俺は二度使用したが同じ言葉なのに意味が全く違っている。こういう単語が好きだ。同音異義語とか、逆に類義語だとか、日本語しか知らないから日本語のそういうのが好きだ。多言語も知っていたらそれも好きになったかも知れない。ミステリ小説のトリックか、

【♨️】お風呂、あっかたい。【湯】

実を言うと、風呂入るのってめちゃくちゃ嫌。 基本的に物事の切り替えが上手くできないので、風呂そのものというよりは「風呂へ入る」をする事が嫌。ハードル高い。 切り替えが上手くできないので一度風呂へ入ってしまうと1時間以上は出て来られなくなる。シャワーだけの日でも急ぐ目的がない限り1時間は風呂場にいる。どういうわけか分からないのだがいつのまにかたっぷり時間が過ぎている。おかしい。軽率に「タイムリープしてね?」「ハァ( ゚Д゚)?」とか言いたくなるけれどこれを言うオタクはもう寒い

【残業代】どういう感じで支給されてるのかずっとよくわかんない【どうなってんの】

どうも働いている時間と手取りの給料が合わないような気がずっとしている。 タイムカードは一応存在するし、残業代もちゃんと存在するのだけれど、どうも自分の手元にやってくる賃金は対価としての労働と見合っていないような気がしてならない。 しっかり計算した事がないのでよくわからない。 それと、どういう計算で残業代が発生しているのかもよくわからない。多分1時間以上の残業をして初めて残業代が発生しているように思う。59分以下は問答無用で切り捨てられている気がする。 でもちゃんと残業時間

【うんこ】慣れと寛容【大噴射】

この仕事をしていると、他人の排泄物にどんどん寛容になっていく。 (人によるかも知れないけれど) 職場では基本的にどこかに誰かしらの唾液が零れているし、排尿排便のコントロールはバグっているし、時々自身の血液を見て恍惚としている人もいる。勿論このような時世じゃなくとも感染症には過敏に気を遣わなくちゃならないので直接触れたりはしないけれど、しかし、他人の排泄物に対し当たり前に持って然るべき嫌悪感というのは、自分にはかなり足りていないだろうな思う。 (施設ではソーシャルディスタンス

【夏】時すでに冬【終了のお知らせ】

夏、終わったな。 もう完全に寒い。 寒いので、完全に終わりました。夏は。 今年の夏はなんにもなくて、というか、春先からずいぶん長いこと何もない日々が続いて、何もないままいつのまにか、【夏】【終了のお知らせ】と来たものだから、ここ最近の俺は急にきた【冬】に心身が追いつかず、今更になって夏の幻影を探し始めたらしい。 夏が始まった頃に買ったそうめんは未だに半分以上残っている。揖保乃糸が結局一番うまい。この価格でこのうまさはすごい。スーパーで手に入れられる最低価格の幸福だ。 幸

記憶1:夏の日、残像(2020/07/28)

日記として書こうと思って、いやこれは記憶の話だなと思い直しタイトルを変えてみましたが。こんなものの意味など自分の中にしかないな。 夏の日、残像 アジカンの曲にそういうのがある。 夕立 蝉の音 報われぬ幻想 僕だけ残して流れて流れた 仁王立ち デタラメ 強がりはいっそ 夏の日 残像 消さないで 消えないで 夏というものの記憶はいつもフラッシュバックする様に突然で、一瞬で、しかしその全てに僕は圧倒されて、日々死んで死んでを繰り返す。 その残像を追いかけて何処にも行けないの

日記37:仮面(2020/07/19)

死にたい時。今にも寝そうな時。 死にたい時。寝られない時。 死にたい時。通勤から退勤までの全て。 死にたい時。 死にたい気持ちなど微塵も持ち合わせていないかのようにして僕等は息をしている。まるで死にたくないかのように。 いつだって積極的に生きたくないし積極的に死にたくもないけれど、いつだってうっすら希死念慮。 12歳くらいの時にはもうこんな人格が形成されきっていたように思う。 どうして生きているのかわからないな。ネガティブな意味でなく。無価値な人生にさも価値があるかの

日記36:外気(2019/12/02)

寒い。あまりにも寒い。なんなんだ一体。 俺の精神は未だ夏の畳で不細工に寝そべっていて、けれどそんなことは関係なく、冬という名前をつけられたたった数ヶ月の日々がもう、もう生活になっているらしい。いつの間にそうなったのか。 季節ってもっと徐々に来るものじゃなかった? ・・・・・・・ 下書きに入れてたの忘れてた。(2019/12/25) ・・・・・・・ もう春が来るのにこんなのがまだ下書きにいた。供養。(2020/03/30)

日記34:ハローハローハロー(2019/10/25)

三度繰り返された言葉は、虚空に放たれている。そう決まってる。 一度目は相手のあるものとして。二度目は大切なことなので。三度目は真実。あるいは生きること。あるいは死ぬこと。あるいは? スピッツのガーベラ、聴いたことある? 聴けばわかるよ。 スピッツのガーベラを聴けば全てわかるので、今日の日記はこれで終わりです。

日記35:劇場(2019/11/03)

劇場から出るときの、疲労と充実で満たされた心身の乖離状態が好きだ。 劇場から出たときのとっぷり暮れた夜と、徐々に戻ってくる現実感と、劇場に置いてきたままの心をじんわりと温めておく帰り道が好きだ。 虫あるいは蛙などの鳴く声を感じながら、あるいは電車に詰め込まれ揺られながら、さっきまで自分がいた空間、あるいは立っていた場所の熱量を取り戻す。 背中の温度。照明の温度。芝居の温度。舞台の全ての温度を取り戻す。繰り返し繰り返し体感する。そうすれば、私の中で舞台は永遠に続く。 劇場から

日記31:乱視(2019/10/09)

おそらくだが物心ついた頃にはもう乱視の目だったと思う。どんなに集中して見つめても自分に見える月は必ず多重にぼやけていて、兎も蟹も住んでいなかった。兎がついていた臼と杵と、伸びっぱなしの餅だけが残っていてそのほかはただ薄黄色く光っている。それが私に見える月だ。 月を見ているとコンビニを思い出す。 暗いところで見るコンビニの灯りが好きだ。あれに得るのは安心だ。 学生だった頃、海のすぐ側に住んでいた。夜の海は真っ暗闇よりも暗闇で、ただ波の音と風の音、そして自分の心拍だけが身体を

日記32:台風(2019/10/12)

きっとこの台風が夏を連れ去ってしまう。 きっとこの台風が過ぎ去ると世界は秋になる。 そういう、不安と期待。 季節の変わり目に来る台風は決まってそういう不安と期待を乗せて私の世界に辿り着くわけだが、凡庸な脳の凡庸な不安や期待などは全てなかったことにして、平然と燦然とぽつねんと秋の空はやって来る。きっと今日も。 大雨が来ると高校時代を思い出す。 地元であった豪雨で子供が一人、川で行方不明になったことがあったからだ。試験期間だったと思う。遠目でテストを受けながら、その子供の情報