日記31:乱視(2019/10/09)

おそらくだが物心ついた頃にはもう乱視の目だったと思う。どんなに集中して見つめても自分に見える月は必ず多重にぼやけていて、兎も蟹も住んでいなかった。兎がついていた臼と杵と、伸びっぱなしの餅だけが残っていてそのほかはただ薄黄色く光っている。それが私に見える月だ。

月を見ているとコンビニを思い出す。

暗いところで見るコンビニの灯りが好きだ。あれに得るのは安心だ。
学生だった頃、海のすぐ側に住んでいた。夜の海は真っ暗闇よりも暗闇で、ただ波の音と風の音、そして自分の心拍だけが身体を支配するとても怖いところだった。夜の海を散歩すると自分が生きていることが嘘のようで、生きていない方がより真実なのではないかと思えてくるんだ。近所の海は堤防の低いむき出しの海だったので気を抜くとマジで落ちる。即堕ち。
海から少し歩くとセブンイレブンがあって、それでやっと私は生者に戻れるのだった。

あの世とこの世を繋ぐのはコンビニかもしれんな、と最近は思う。24時間やっていて便利だし。
あと虫とかも寄ってくるし。

月光中が月に向かって飛んでいくように、我々人類はコンビニを目指す。死して尚。

むかしから、ブレブレの視界からみえる世界は全部うすらぼんやりポジティブで、だから自分の中身だけがおどろおどろしくはっきり見える。
だから俺がこの世を生きるには、ただ、生活の轍を行くしかない。見えないものしか真実じゃない。見えてるものだけが真実であるように。

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