日記4:夏の果(2019/07/12)

夏の果という季語があるんだが知っているか? 俺は知ってるんだけど、まあ簡単に言えば夏の終わり頃、晩夏を指す言葉なんだ。夏が始まるとともに晩夏を思わずにはいられない性格、なんなんだろうな。終わりゆくものについ寂しさを感じ、それを愛し、慈しんでしまうわ。つい。
あと「果て」という言葉が単純に好きなので、この季語に出会った時にも「ああ、すきだなあ」と思った。単純。

同義の季語には、夏終わる、夏の暮れ、夏惜しむ、みたいなのや、「夏逝きぬ」というまるで夏が生きてるみたいななのまであるらしい。夏が生きていたという意味なのか夏に生きているものたちが生きていたという意味なのかは知らん。俳句作った人に寄るんじゃないか、そういうのは。
歳時記はめくっていると色んな感性が目に入ってくるから、自分が何もしていなくても何かしら豊かになった気になれる。それが良くて読んでしまう。俳句は作らんが。

晩夏から初秋にかけての物悲しさはやはり世界が静かになっていくために「終わる」という感覚になるからってことに真意があるのだろう。
案外じぶんがどんちゃんやってたらそんなに悲しくならないのかも知れないな。分からんが。

今年は7月だというのに自分の住んでいるところではまだ肌寒い日もあって、おそらくここ最近で一番長い初夏が続いている。というか初夏ってどこまでなの? 体感で決めていいの? いっか。ここまだ初夏です。
しかし俳句的な暦の上ではもう晩夏らしいので俳諧の人たちはすでに晩夏を感じているのだろうね。こっちではまだセミも鳴いてないんだが。あちらは生きてるスピードが速いんだなきっと。

人生、加速的に速くなっていくけど俺はずっとゆっくりと息をしていたいな。
いや、ゆっくりとか無理だなー、今は。やだなー。スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハー、スーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハースーハー、、、、、、

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