鈴木孔明

鈴木孔明

最近の記事

幸福な組織

7月7日、この日が何の日だかご存知の方はいるだろうか。もちろん、誰もが「そりゃあ七夕だよ」と口を揃えるだろう。もちろん七夕である。織姫と彦星がなんちゃらかんちゃらである。それはそうなのだが、他にも何か出てきてほしい。7月7日は単に七夕だけの日ではないのだ。 もったいぶってないで答えを言ってみようと思う。はっきり言ってこの日はあの地球神でありエル・カンターレでもあらせられる私たちの主、大川隆法総裁先生が地上にご生誕なされた日なのだ。なんとめでたいことだろう。一人の幸福の科学会員

    • お酒の失敗

      お酒が原因で失敗をしてしまった、という経験を持つ人は多いと思う。かくいう僕も、お酒の上での失敗は枚挙にいとまがない。失敗ばかりだったと言ってもいい。やらかした翌日こそ神妙な顔をして「もうあんなになるまでお酒は呑まない…」と固く決意をするものの、そんな決意は1週間もすればたちまち薄れ、性懲りもなくまた失敗を繰り返す。人は喉元を過ぎれば熱さを忘れる生き物なのだ。こんなことを書けば、これまでに僕のやらかしで迷惑を被った人たちからは「なにを正当化しようとしてんだよ」と顰蹙を買ってしま

      • 皮を剥く

        「皮を剥く」のが好きだ。 対象は何であっても構わない。とにかく僕は何かの皮を剥いていたい。 「皮を剥く」という行為について考えた時、真っ先に僕の脳裏に浮かんできたのは「ライチ」だ。あの無骨と言ってもいいようなゴツゴツした外観、ところが「えいやっ」と爪を立ててその皮を剥くと見た目からはとても想像がつかないような瑞々しい果肉がその姿を覗かせる。この瞬間、僕はいつだって思わず恍惚の表情を浮かべてため息をついてしまいそう。そうなるともう僕の手は止まらない。もっと見たい。もっともっと、

        • 東京散歩 プロジェクションマッピング

          僕の身長は170センチジャスト、体重は65キロ前後を行ったり来たりしている。お腹に贅肉はたっぷりとついてはいるが、もともと骨格そのものが華奢で細いもやしっ子体型なのでプラスマイナスゼロでいわゆる中肉中背くらいに他人からは見られていると自分では思っている。特筆すべきこともない、普通な体格の男である。 数ヶ月前のことだ。そんなザ・平凡な体格の僕と上野の西郷さん前で対峙していたのは身長は僕より少し高いくらい、体重は少なめに見積もっても僕よりはかなり重量感がありそうな人間だった。縦

        幸福な組織

          住居侵入、迷惑防止条例違反

          罪名は「住居侵入」。被告人は42歳の男性だった。起訴状の職業欄には会社員と書いてあるが、発公判の段階でその会社は退職し無職になったということだ。 彼が侵入したのは、同じ会社に務める女性の住居だ。被害者が目を離した隙にカバンを漁ってその中に入っていたカギの番号と運転免許証をスマホで撮影、その情報をもとに合鍵を作成した。合鍵を作成したのは令和5年10月、彼が逮捕されたのは令和6年3月21日。住居に侵入している被告人を被害者が発見、その場での現行犯逮捕だった。その後、防犯カメラ映像

          住居侵入、迷惑防止条例違反

          敵を光の彼方に消し去る呪文

          もし1つだけドラクエの魔法が使えるようになるとしたらどの呪文がいい? これまでの人生、幾度となく繰り返してきた話題だ。小学生の頃はもとより、大人になってからも飲み会やらなんやらで飽きもせずこんな会話をしてきた。 僕の答えはその時の気分によってまちまちだ。なんだか疲れてる時は「ベホイミ」、どっかに旅行したい時は「ルーラ」、イライラしてる時は「ザラキ」や「イオナズン」…これは僕に限った話でなくだいたいみんな同じような答えになると思う。ここから特に会話が盛り上がったりすることもな

          敵を光の彼方に消し去る呪文

          金沢散歩 常習累犯窃盗罪

          アクセルとブレーキを踏み間違えて〜〜。そんな交通事故のニュースを信子(事件当時68歳)も何度か耳にしたことがあった。それを聞いてもどこか他人事としか思えず、何の感想を抱くこともなかった。 今までの運転歴は40年以上、スピード違反で切符を切られたことが2度ほどあるだけで人身はもちろん物損事故だって一度も起こしたことはなかった。 だが、今目の前には無惨にひしゃげた郵便ポストがある。 幸い、大したスピードが出ていなかったことから信子自身は何の怪我もしていない。それでも事故の衝撃は信

          金沢散歩 常習累犯窃盗罪

          人間の値段

          テレビを観る、という習慣がずいぶん前からまったくなくなった。だから今どんな番組を放映しているかも知らないのはもちろんのこと、テレビに関する情報を仕入れようとさえしていない。それで別に不自由することもなかったのだが今現在「少しはアンテナを延ばしておけばよかった…」と臍を噛んでいる。 なんでもNHKが『燕は戻ってこない』をドラマ化したらしいのだ。僕がそれを知った時にはすでに第一話の放映が済んだ後だった。『燕は戻ってこない』は言わずとしれた桐野夏生さんの小説である。僕は桐野夏生さん

          金沢散歩 His master's voice

          ヤバい…何にも楽しくねえ…。 金沢の地で僕は独り、途方に暮れていた。「金沢の観光スポットはどこなのよ」と検索すると真っ先に出てくるのが「21世紀美術館」である。その口コミを見てみれば「楽しかった!」「1日じゃ時間足りない!」「また来たい!」と絶賛の嵐となっている。自宅でスマホを弄っている時にその嵐に遭遇した僕は「そんなに楽しいのか…じゃあ僕も…」と胸をときめかせ、ノコノコと訪問するに至ったのだ。 思い起こせば幼稚園の頃である。みんなでお絵かきをする、という時間があった。画用

          金沢散歩 His master's voice

          「言語化のコツ」、教えます

          そんなもんはない。 ああ、私としたことがわずか8文字で終わってしまった。わざわざ文字数制限のないnoteで書いてるのにこれでは意味がない。「言語化のコツ」とやらを知りたい、と思って見てくれた人たちもいるかもしれない。ごめん。申し訳ない。でも、ないもんはない。ないんだからないと書く他にしょうがない。だって、そんなもんはないのだ。 だいたい、何かを上達したいと思う時に「コツ」なんてのを他人に求めるヤツがその何かに熟達することは絶対にない。 たとえばだが、将棋の藤井聡太さんや羽

          「言語化のコツ」、教えます

          能登散歩 平凡な祈り

          金沢に到着して「ここが金沢だなあ」と中身のない感慨にふけること約15分、僕は慌ただしく金沢駅に向かい七尾線に飛び乗った。金沢観光も何もあったもんじゃない。着いたと思えば速攻でまた移動である。 折よくホームに停まっていた七尾行きの電車に飛び乗り、窓から代わり映えのしない景色をあくび混じりに1時間ほど眺めていると僕の乗った電車は七尾駅に到着した。ここからさらに能登鉄道に乗り換えてその終着駅、穴水まで行こうという魂胆だ。 ご存知の通り、能登半島は新年早々に震災に見舞われた。大きな

          能登散歩 平凡な祈り

          金沢散歩 人権の喪失

          東京からいなくなりたい。その一心で夜行バスの予約サイトを開き僕は「金沢」への往復バスを予約した。金沢を選んだ理由は特にない。単に値段が安かったからだ。往復でだいたい8000円くらいだっただろうか。ゴールデンウイークの始まる2週間ほど前でなおかつ平日、という夜行バスの一番安くなる時期にも関わらず金沢↔東京で8000円という値段は少し前に比べればずいぶん高くなったものだが、これは世の中の流れ的には致し方ない。 そういうわけで4月の半ば、僕は金沢までお出かけをしてきた。金沢という街

          金沢散歩 人権の喪失

          「紙芝居おじさん」問題解決への取り組み

          どこの世界にも厄介なヤツというのはいるもので、そいつがいるせいで周りのみんなは困り果てているというのに当の厄介者は周りの困り顔など素知らぬ顔で元気に楽しくやっていたりする。悲しい話である。ぜひともその厄介者を撲滅したいわけだが法治国家である日本で暴力など行使してしまえば官憲によってお縄にかかることだってある。だから人民は暴力を伴わない穏便な方法や陰湿な作戦を用いて厄介者を追放しようと試みるがそうそううまくいくことはない。厄介者が「ここでどんな社会活動をしようとわたしの自由です

          「紙芝居おじさん」問題解決への取り組み

          金沢に行きたい

          わたしはほんの僅かな例外を除きヒト科ヒト目ヒトという生物が嫌いである。コイツラはだいたいみんな悪い奴らで悪いことばかりを企んでいて、その有り余る悪意をもってわたしに意地悪ばかりする。そうしてわたしがメソメソするのを見てゲラゲラ爆笑したりする。もうヒトなんて嫌だ。たくさんだ。誰も信用できない。だが、そんなヒトの群れの中で生きていかなくてはならない、という悲劇的な宿命を背負ってわたしもまるでヒトのように生きているわけで、これはとても悲しいことだと思う。 ということで、今年もプチ失

          金沢に行きたい

          特別な日

          毎年毎年やってくる誕生日がここ数年はあまりうれしくない。うれしくない、どころか「また無駄に齢を重ねてしまったのか…」と気分が沈むようにもなってきた。子どもの頃は30代の後半ともなればそれなりに大人びた人間になっているものだと思っていた。実際にその30代の後半になってみるとなんのことはない、図体こそ多少は大人びてるにしてもその内面は相も変わらず幼稚なままだ。そんな子ども大人が社会の底辺で人に嗤われながらかろうじて生きている、それが現状である。幼い頃の僕が今の僕を見たら何を思うの

          東京散歩 学問と性の街

          「売上のことも考えましたし、よく来てくださるお客様から『よそのお店に行っちゃうよ』みたいなことも言われたりしてて、それで…」 ずいぶん昔に観た、風営法違反で起訴されていた女性が裁判で話していた。彼女はバーの経営者。だが、客に隣に座って接客するよう求められそれに応じてしまったことで起訴までされる羽目になってしまっていた。他にもいくつもルール違反をしていたがそこは割愛しておく。 この裁判時は例の流行り病なんかもあって飲食店には厳しい時節だった。背に腹は代えられず…という事情も

          東京散歩 学問と性の街