金沢散歩 常習累犯窃盗罪

アクセルとブレーキを踏み間違えて〜〜。そんな交通事故のニュースを信子(事件当時68歳)も何度か耳にしたことがあった。それを聞いてもどこか他人事としか思えず、何の感想を抱くこともなかった。
今までの運転歴は40年以上、スピード違反で切符を切られたことが2度ほどあるだけで人身はもちろん物損事故だって一度も起こしたことはなかった。
だが、今目の前には無惨にひしゃげた郵便ポストがある。
幸い、大したスピードが出ていなかったことから信子自身は何の怪我もしていない。それでも事故の衝撃は信子をしばらく茫然自失とさせた。だがいつまでもそうしてはいられない。
「とにかく、とにかく通報しないと」
慌てふためきながら信子は助手席に置いていたカバンからスマートフォンを取り出して車の外に飛び出した。外は雨が降っていたがそんなことに構ってはいられなかった。その場で電話をする気になれず自然とその足は歩を進めた。自分が事故を起こしてしまったことがまだ自分で受け入れられずにいた。受け入れることが怖かった。
夜の10時過ぎ、そこそこ大きな音はしたはずだが誰かが様子を見に来ることもなかった。数メートル先の角を曲がったところで信子は立ち止まり震える手で110番通報をした。
「事件ですか? 事故ですか?」
平易な声で尋ねられてもなかなか上手く答えられない。
「あの…あの…車で、事故で、ポストが…」
「落ち着いてください。お怪我はされてないですか」
「怪我は、あの、ポストが…」
動揺のあまり声が上ずるばかりで上手く状況を説明できない。それでも何とかたどたどしく状況を伝えた。
「わかりました。すぐに警官を向かわせますのでその場でお待ちください。電話はいつでも出られるようにしておいてください」
やり取りが終わるまでに要したのは10分弱。この10分の間に少しは落ち着きを取り戻した信子はまた車の傍らに戻っていった。相変わらず周囲には誰もいない。車の全部は大きく凹み、郵便ポストはひしゃげたままだ。この状況を作り出したのは他の誰でもなく自分…どんなに受け入れたくなくてもそれは厳然たる事実だった。降りしきる雨に濡れそぼりながら車を見つめていると、ふとある異変に気がついた。
「あれ…カバンがない…」


18歳で自衛隊に入隊するまで、賢一(事件当事52歳)はずっと金沢で暮らしていた。小学校に入学するまで家族4人で暮らしていたアパートのすぐそばを浅野川が流れていた。賢一が小学校に上がるのと同時期に家族は犀川のほとりのアパートに引っ越した。そうそう距離が離れた場所ではない。だがその時、父親はいなくなって家族は3人になっていた。
この街が好きじゃなかった。中学を卒業してすぐに働きはじめたのも、少しでも早くこの街から出ていきたかったからだった。とにかくお金を貯めて貯めて貯めて…そうすればこの街を出ていける、そう思っていた。
母親が亡くなった時のことはあまり覚えていない。思い出さないようにしてきた、と言った方がいいかもしれない。それでも時々その姿を思い出す。記憶に残っている母親は、いつもなんだかくたびれた顔をしていた。笑っている顔はどうしても思い出すことができなかった。姉とはいつの頃からか音信不通になっていた。もう何十年も会っていないしもちろん声も聞いていない。生きているかどうかさえわからない。
中学卒業後、いくつかの飲食店で働いたがどこでもうまくいかなかった。中卒だから。そう言って理不尽なほどに安い給料で理不尽にこき使われ、理不尽にバカにされた。飲食に見切りをつけ、自衛隊に入隊して金沢を離れることはできたがここでもやはり人間関係をうまく築けずに1年ほどで除隊した。
それからはまた飲食店に務めたりパチンコ屋やガソリンスタンドでアルバイトしたり、と転々としていた。住む場所も仙台、福島、新潟、福井…と流れに流れてきた。
意識してそうしていたわけじゃなかった。だが賢一は年を経るごとにあんなに嫌いだった金沢に少しずつ近づいていっていた。


昔から信子は手先が器用で、布の端切れや毛糸なんかを買ってきてちょっとした小物を作るのが好きだった。時間さえあれば編み物や繕い物をしていた。そうして手を動かしている時間、しばらく根を詰めたあとの程よい倦怠感、それもすべてが信子には幸せだった。
そんな信子の姿を小さい頃から見ていた娘も、いつの間にやら手芸に凝るようになった。そんなに勉強ができたわけじゃないしスポーツだって苦手で内気な子だった。小学生の時には同級生にいじめじみたことをされて「学校に行きたくない」と泣いていたこともあった。辛かったこともある。悲しかったこともある。そんな時、いつでも母娘の前には一巻の毛糸だったり布があった。使い古されたミシンと針と糸があった。どれだけたくさんの物を誂えただろう。帽子やマフラー、小物入れにエコバッグ…。うまくできない物もあったし、よく出来た物もあった。人にあげた物もあるし、捨ててしまった物もある。もちろん、今も使い続けている物だってある。
本革製の財布、そしてパッチワークの施されたカバン。それは娘が大学を出て上京する直前に作ってくれた物だった。もう、20年近く前になる。
「ねえ、これ」
「作ったの。あげる」
娘はぶっきらぼうに信子にそのカバンと財布を差し出してきた。
「今使ってるの、もう古いでしょ。だから作ったの。今まで、ありがとう」
照れくさいのか、そっぽを向いて早口に話す娘が愛おしくてたまらなかった。その時のことは昨日のことのように思い出せる。それからずっと、信子はその財布とカバンを使い続けてきた。
雨の降りしきる事故現場。
ついさっきまで助手席に置いてあったそのカバンと財布はなくなっていた。


いつからだろう。人の物に手をつけるようになったのは。
誰かが持っている物。それは買ったものだったり貰ったものだったりするのだろう。気がつくと手が勝手に動いていた。いつの間にか盗っていた。
賢一にはわからなかった。何かを所有するということ、そのものがわからなかった。
誰もが手にしているもの、それを賢一が持っていたことはなかった。誰もがしているような、何かに執着するような経験も賢一にはなかった。
いつもいつも、流され流れてきた。
ただ、生きてるだけ。ただ、死なないだけ。
振り返るとそんな感想しか浮かんでこない。何かを大切に想うこともなかった。誰かに大切にされたことも、なかった。
車上荒らしという犯行手口にこだわりがあったわけじゃない。なんとなく見つかりにくいと思ったからやっていただけだ。お金に困った時にはいつだってそのあたりに停まっている車を狙った。遊ぶ金が欲しい時も同じだ。でも、特に金が欲しい理由がない時も気が向けば車の窓ガラスを割って中にある物を盗んでいた。
もちろん財布や金になりそうな物を盗んだこともある。だが、そういう物が車内に置いてあることはあまりなかった。賢一にとって、盗る物は別に何でもよかった。誰かが大切にしている何か、それを自分の手に入れさえすればよかった。
誰かにとっては宝物のようなものかもしれない。でも、賢一がそれを自らの所有物としてしまうとそれらの宝物は何の変哲もないつまらない物にしか見えなかった。
「またやっちゃったなあ…」
ため息をつきながら賢一はそれを放り投げる。何度も何度も警察に捕まった。刑務所にも何度も服役した。裁判のたびに「もう二度とやりません」と話してきたが、その言葉はいつもガランとした法廷で虚しく響くだけだった。


事故を起こして数日後、警察から電話がかかってきた。なくなっていたカバンと、その中に入っていた財布が発見されたという連絡だった。
信子はすぐに警察署に向かった。もう半ば諦めかけていた分、その知らせは彼女の心を浮き立たせた。
警察署に着き刑事課へ通されると、女性の警察官が透明のビニール袋を持ってきた。中には見慣れたカバンと財布が入っている。
「こちら、信子さんの物に間違いはありませんか?」
近くで見ると、カバンも財布も泥に塗れていた。ぐっしょりと湿ってもいる。
「あの…事故現場近くの駐車場に放置してあったということで…。付近の防犯カメラ映像などからこちらも事件として捜査しています」
警察官の声は耳に入ってこなかった。薄汚れたカバンと財布を見ていると、自然と涙が出てきた。
汚された。
そんな思いが沸き上がってきた。娘の優しさを、思い出を、みんな踏みにじられた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
涙とともになぜだか口をついて謝罪の言葉が出てきた。
「財布の中にいくらか現金が入ってるということでしたけど…それはなくなってます」
警察官もなんだか申し訳なさそうに話している。お金のことはどうでもよかった。きっと、このカバンを盗った人にも何か切羽詰まった事情があったのだろう。だが、自分が何よりも大切にしていたものが雨ざらしのまま打ち捨てられていたことが許せなかった。


福井刑務所を出所してから就いたプラスチック加工の工場は1ヶ月ほどで辞めてしまった。
その後、食品加工会社に転職した。毎日、のんびりと魚のウロコを取ってワタを抜いて捌いて骨を抜いて…仕事は賢一の性に合っていたが上司とも同僚ともうまく人間関係を築けずすぐに辞めてしまった。それからは生活保護を受給しながら生活をしていた。
ハローワークには通ったがなかなか仕事は見つからない。いつしかハローワーク通いも止めてしまった。
やることもない。やるべきこともない。何もなかった昨日と同じように何もない今日が終わる。そしてまた何もない明日が始まり終わっていく。時間だけがただ無為に流れていく。そんな毎日。
賢一はときおり電車に乗って金沢に出かけるようになった。用事など何もない。もうそこには家族もいないし知人だっていない。それでも賢一は当てもなく金沢に出かけた。そうして朝から晩まで金沢の街をうろつくことが多くなった。
昔はあんなに嫌いだった金沢の街はずいぶん変わっていた。でも浅野川も犀川も、あの頃と変わりなく流れていた。
ずいぶんと遠くまでやってきた気がする。何から逃げて、何を求めてきたのか。何かを喪ってしまったことはわかる。でも何を喪ってしまったのかが賢一にはわからない。
急に雨が降り出した。もうすっかり辺りは暗くなっている。犀川のほとりを歩いて、賢一は金沢駅に歩いていた時だった。何かがぶつかるような音がして何の気なしに賢一は音がした方向を見てみた。車がどこかにぶつかったようだ。車の中から女性が駆け出して来るのが見えた。
賢一は、車の方へ歩を進めた。


犯人が捕まった、という知らせを受けた。
信子は特に何も思わなかった。
犯人は52歳の男性、警察官は「刑務所で反省してもらうことになると思いますので!」とどこか誇らしげに話していた。
もうあの事故のことも、その後の事件のことも思い出したくないというのが正直なところだった。警察官からの取り調べの際には「絶対に犯人を許せないです」のようなことを口走ってしまったが、もうそんな怒りは雲散霧消していた。
娘は事件のことより事故のことばかり心配していた。電話口では「もう絶対に運転しちゃダメだからね」とかなりキツい口調で釘を刺された。わざわざ言われるまでもなく、もう信子は怖くて運転する気は起きない。
あのカバンと財布は家に帰ってから丹念に洗って干したらだいぶきれいになった。それでも落ちない汚れはところどころあるが、それはもう仕方がない。
きっと、人から見たら薄汚れたみっともない物に見えるのだろう。「もうそんなの捨てたらいいのに」と娘も言っていた。でも、それでもいい。人からどう思われようと、どんなにみすぼらしく見えたとしても、これはわたしの大切な宝物だから。


懲役4年6ヶ月。
そう裁判官に告げられた。
賢一は特に何も思わなかった。
調書の中で、被害者が被害品のカバンと財布をとりわけ大切にしていた、という記述があった。あのときは何も考えず、カバンから財布を出して中の現金を抜いた。そして捨てた。どこに捨てたかすら覚えていなかった。手作りの物だということはわからなかったが、売れそうにないと咄嗟に判断した。だから雑に捨てたのだ。
盗んだお金は酒やら食べ物やら、つまらないことですべて使い果たした。五万円近くはあったと思う。
俺は結局、何が欲しかったんだろう。
賢一は考える。しかし、賢一にはわからない。


【常習累犯窃盗罪】
盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第3条
常習トシテ前条ニ掲ゲタル刑法各条ノ罪又ハ其ノ未遂罪ヲ犯シタル者ニシテ其ノ行為前十年内ニ此等ノ罪又ハ此等ノ罪ト他ノ罪トノ併合罪ニ付三回以上六月ノ懲役以上ノ刑ノ執行ヲ受ケ又ハ其ノ執行ノ免除ヲ得タルモノニ対シ刑ヲ科スベキトキハ前条ノ例ニ依ル

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