皮を剥く
「皮を剥く」のが好きだ。
対象は何であっても構わない。とにかく僕は何かの皮を剥いていたい。
「皮を剥く」という行為について考えた時、真っ先に僕の脳裏に浮かんできたのは「ライチ」だ。あの無骨と言ってもいいようなゴツゴツした外観、ところが「えいやっ」と爪を立ててその皮を剥くと見た目からはとても想像がつかないような瑞々しい果肉がその姿を覗かせる。この瞬間、僕はいつだって思わず恍惚の表情を浮かべてため息をついてしまいそう。そうなるともう僕の手は止まらない。もっと見たい。もっともっと、君のすべてが見たい。もはや情慾や劣情と呼んでも差し支えないほどの衝動に突き動かされながら夢中で皮を剥いていく。剥けば剥くほどに彼女(ライチ)はその秘めたる正体を露わにし惜しげもなくその裸体を白日のもとに曝す。興奮醒めやらぬ僕は顔を上気させつつ、彼女にむしゃぶりつき歯を立てる。するとその果肉から溢れた甘美な汁は僕の口から溢れ…。
だんだん何を書いてるのかわからなくなってきた。これ以上やると酷いことになりそうなのでこの辺りにとどめておこう。とにもかくにも僕は「皮を剥く」のが好きである。別にライチでなくて他の果物でもいい。幼少の頃を思い出す。冬になれば僕はコタツにもぐりこみ、日がな1日中ミカンばっかり食べている子どもだった。外に遊びに行くこともなく、かと言ってレゴやら玩具やらで遊ぶこともない。真剣な面持ちで延々とミカンを食べていた。「手ェ黄色なるで」と母親やら祖母やらに幾度も注意され呆れられた記憶があるが、僕はめげることなくミカンを食べ続けた。今思うと、あれはミカンの味が好きだったというより「皮を剥く」という行為そのものに耽溺していたような気がする。ミカンの外側の皮を剥き、もはや狂気じみた何かを感じさせるほどの熱心さで白い筋を完璧に除去するその工程の楽しさ、それは母や祖母が言うような手が黄色くなるリスクを冒してでもあの頃の僕にとってはやる価値のある行為だったのだ。隠されていたものの正体を自分の手によって明らかにし暴いていくという行為、それは子どもを夢中にさせるには十分なエンタメになり得るのだ。
そして僕は今でもやはり「皮を剥く」のが好きだ。もちろん子どもの頃のように一心不乱にミカンと格闘することもなくなったし、果物や野菜を剥いていちいち新鮮な感動をするほど初心でもない。だがそれでもやはり皮を剥く時には心のどこかでちょっと嬉しく感じてしまっている。初心ではないと書いたが、そこそこ人生経験を積んだからこそ得られる歓びだってある。たとえば、見た目はもう真っ黒になってしまっているバナナをいざ剥いてみたら意外と中身はそんなに黒くなっていなかった時。こちらの予想や経験則をいい意味で裏切り覆してくれたその愉悦たるや…。思わず「勝った…!」と思ってしまう。何が何に勝ったのかは知らないが、とにかくなんか勝った気がする。この打ち震えるような感動を味わうにはある程度の経験がなければならない。
ことほどかように僕は「皮を剥く」ことに情熱を傾けて生きているわけだが、先日家の近くのドラッグストアに行った時に驚くべき商品を発見してしまった。それが次にあげる画像のものである。
商品名はズバリそのまま『皮が剥けるグミ』である。これはもう事件と言っていいだろう。突如としてドラッグストアで発生した事件に僕は取り乱し、しばらくフリーズしてしまったほどだ。
気を取り直した僕は買おうとしていた頭痛薬を速攻で放り投げ、持てるだけ「皮が剥けるグミ」を持ってレジに走った。こんなもん、買うに決まっている。頭が痛いとかそんなことを言ってる場合ではない。この際、頭なんてもう割れようと砕けようとどうなっても構わない。グミだ。いや、別にグミじゃなくてもいいんだが、俺はとにかく皮を剥きたい人なんだ。
思えば長い戦争の歴史だった。「皮を剥く」という最高の営みを「めんどくさい」とする勢力が世の中には存在しているのだ。1つ、槍玉に挙げてみよう。スーパーやドラッグストアを歩いていていまだによく見かけるあの極悪な商品を僕は憎み続けてきた。そう、『甘栗むいちゃいました』とかいうあの怠惰極まりない、なおかつやたらと美味しいやつだ。
なぜだ。なぜお前がむいちゃうんだ。誰がむいてくれと言ったんだ。俺だ。俺にむかせてくれ。俺は思う存分甘栗をむいちゃいたいんだ。
だがそんな祈りは天に届かない。そこにあったのは、無情にもすでにむかれちゃった甘栗だ。あのパッケージを見るたびに僕は怒りに打ち震えてきた。間の悪いことに、僕は甘栗が大好きだ。憤怒と屈辱に塗れながらも誘惑に負け、僕は『甘栗むいちゃいました』にほっぺたを落とす。そんな敗北の過去が走馬灯のように僕の脳裏に映し出される。もうこんな悲劇も終わったのだ。
「皮を剥く」、その楽しさと気持ちよさにようやく世間が気づいてくれたのだ。いや、おそらくはみんな心の底で願っていたのだろう。思う存分皮を剝いて剝いて剥きまくれる日が訪れることを待ち望んでいたのだろう。そんな歓喜の日がようやく訪れた。僕たちはもう奴ら(誰だ?)にむかれちゃわれることはない。心ゆくまでいつまでも皮を剥き続けることができる。これを幸せと呼ばずして何と呼ぶのか。ググってみたらけっこう前からこういう剥けるグミはあったらしい。単に僕が気づいていなかっただけだ。僕が知らないうちに黙って密かに皮を剥きまくっていた連中がいる…と思うと心に嫉妬の炎がメラメラと燃え上るのを感じるが、もう別にそんな炎を燃やす必要もない。なにせ僕ももう連中の仲間なのだ。一緒に楽しく皮を剥く、皮剥き仲間なのだ。敵ではない。敵でないどころかマブダチと言ってもいいぐらいだ。皮を剥くヤツはみんな友達だ。
『皮が剥けるグミ』はまだまだたらふく残っている。僕は剥く。ひたすら剥きまくる。皮に覆われ包まれたその内部には一体どんな秘密が隠されているのか、そこにある神秘を想い心踊らせながら、僕は皮を剥いて生きていく。
さて、ここで1つ問題が起きました。
そう、お金の問題です。
僕は皮を剥きたい。ていうか剥く。だから皮を剥けるグミが欲しい。こないだ買ったやつなどあっという間になくなってしまうだろう。そうするとまた新たにグミを入手してこなくてはならない。しかし、このグミを入手するには「お金」とかいうのが必要なのだそうです。なんでもかんでもお金、お金、お金…嫌な世の中です。そのお金なるものを弄ってみましたが、紙でできていたり金属でできていたりするのでとても剥けそうにありません。僕は剥くこともできないつまらない物質に興味はないのですが、このつまらない物質がなくては超面白い剥ける宝物は入手できないのだそうです。
そこでお願いです。どうか皆様、僕にお金を恵んでいただけませんでしょうか。そのお金で僕は皮を剥きたいのです。来る日も来る日も皮を剝いて、面白おかしく生きていきたいのです。
ということで下のサポートというところからお金を恵んでください。どうかどうか、よろしくお願いいたします。
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