お酒の失敗

お酒が原因で失敗をしてしまった、という経験を持つ人は多いと思う。かくいう僕も、お酒の上での失敗は枚挙にいとまがない。失敗ばかりだったと言ってもいい。やらかした翌日こそ神妙な顔をして「もうあんなになるまでお酒は呑まない…」と固く決意をするものの、そんな決意は1週間もすればたちまち薄れ、性懲りもなくまた失敗を繰り返す。人は喉元を過ぎれば熱さを忘れる生き物なのだ。こんなことを書けば、これまでに僕のやらかしで迷惑を被った人たちからは「なにを正当化しようとしてんだよ」と顰蹙を買ってしまうのだろうが、喉元の熱さはやっぱり忘れてしまっているので項垂れる他ない。
でも僕だって、呑めば必ずやらかすような酒乱ではない。「いや、いつもやらかしてるよ?」という声が聞こえるような気もするが、きっと気のせいだろう。気のせいだということにしておく。僕がやらかす時というのはいつだって「ヤケ酒」の時だ。何か問題事を抱えていたりしてそれを振り払うために酒に逃げた時、その酒量はあっという間に自分の限界をはるかに上回り自分でも自分の行動が制御できなくなる。というか、自分が何をしてるのかわからなくなる。僕にはそういう傾向があると30も半ばを過ぎてようやく自覚できたので、精神的に不安定な時はお酒をなるべく呑まないように、呑むとしてもビールとかの度数が低いものをセーブしながらチビチビ呑むよう心がけている。
お酒というものはあくまで楽しむものであって、何かから逃げる手段にしてはいけない。
人はこんなのは早ければ未成年のうちに学ぶものなのだろう。だが僕がきちんとこの法則を理解したのは先ほどから書いた通り30歳過ぎだ。ヤケ酒はやらかす、それは僕特有のものでなくかなり多くの人に当てはまることだと思う。

裁判所に通っていると、お酒の呑みすぎでやらかした人に出会うことが頻繁にある。普段からいつもいつも酒が原因のトラブルを引き起こしているような人もいる。酒との付き合い方そのものに困難を抱えているような人たち、代表的な例を挙げるとアルコール依存症などの病気を抱えている人たちもいる。酒のトラブルと一口で言ってしまえば簡単だがそこは千差万別、みなそれぞれ固有の何かを抱えているのだ。そのような人たちは何度も何度も警察のお世話になっていたりするわけだが、もちろんそういう人たちばかりでもない。時にはこれまでの人生で一度も犯罪など犯すこともなく警察や裁判所などとは無縁の暮らしをしていたにも関わらず、たった一度の酒の失敗で裁判沙汰になってしまった人と出会うことだってある。


大学卒業後、とある会社に就職しその後に結婚。事件当時の年齢は37歳、男性。
彼も酒の失敗で公開の法廷で被告人として裁かれる羽目になってしまった人の1人だ。前科前歴はなし。事件を起こす前まではごく平凡な人生を送っていたように見える。しかし、事件を起こした日を境に彼のその歩みは一変する。事件直後、配偶者からは離婚届を突きつけられ勤めていた会社も退職を余儀なくされた。裁判時は実家に身を寄せながら派遣の仕事などを転々とする身となっていた。そんな境遇にありながら別れた配偶者には毎月5万円の養育費を支払っているという。
「管理職に昇進したばかりだったのですが、職場の人から鬱の相談を受けたりしているうちに自分もしんどくなっていきました。それにくわえて、家庭もあまりうまくいっていなくて…」
そんな悩みを抱えていた彼は元上司に相談をしに出かけた。元上司と会った彼は「妻はわたしが居酒屋など外食をすることを許してくれませんでした」という事情もあってコンビニに行き、酒などを購入して外で呑みながら話をしていたという。彼が覚えていたのはそこまでだ。このあたりで彼の記憶は途切れる。目が醒めた時、彼がいたのは留置場の中だった。

「その時はお母さんと歩いていました。前方からすごい音を出しながら、一方通行の道をタクシーが蛇行しながら逆走してきました。道路の脇にある掲示板や標識など、あちこちに激突しながらそのタクシーは駐車場に入っていってそこで停まりました」
目撃者の証言である。このタクシーを運転していたのが件の男性だった。
元上司に相談をしに行った際には彼は徒歩だった。それがなぜ、タクシーを乗り回し危険な運転をしていたのか。順を追って記していく。
彼は家を出てから最寄り駅まで歩いて行き、そこから電車に乗って上司との待ち合わせ場所に向かった。そしてコンビニに行き酒を買ってそれを呑みなから元上司と話していた。その時の様子を元上司は
「かなり早いペースで呑んでいたように思います」
と証言している。この時には500ml入りの缶ビールを1人で5本開けていた。
その後、彼は上司と別れ1人で近くの居酒屋に向かった。ここではビールに加え、ウーロンハイも4杯呑んでいる。コンビニで酒を買って呑み始めたのが午後6時すぎだった。彼が居酒屋を出たのが午後9時である。わずか3時間弱でこれだけ呑めば大抵の人は泥酔する。彼ももちろん前後不覚に陥った。まともな判断力などとうに失せている。

居酒屋を出た彼はおそらくは自宅に帰ろうとしたのだろう、流していたタクシーを拾った。
「犯人は乗りこんで来たときからかなり酔っ払っている様子でした。西台に行け、と言われたので西台に向かっていたのですが、板橋近辺を走行していた時、急に『止まれ!』と大声で言われたので車を停めました。そして『やっぱり池袋に行きたい』と言いだしたので池袋方面に戻ろうとしたら『西台に向かいながら池袋に行け』などとわけのわからないことを怒鳴られました」
これはタクシー運転手の証言である。他にもいろいろ支離滅裂なことを言われたらしいのだがそこは事件とはあまり関係ないので割愛しておく。
あまりに無茶な要求に運転手が戸惑っていると、乗りこんできた男はとうとう「殺すぞ!」などと叫びはじめた。身の危険を覚えた運転手はタクシーを降りて110番通報をした。

はじめタクシー運転手は「客が叫んでいる」「降りるよう促しても降りてくれない」といったことを話していたようだ。
しかし、タクシーの方を伺いながら通報をしていた運転手は信じられない出来事を目撃する。タクシーの中にいた泥酔客が運転席の方に移動し始めたのだ。当時のことを振り返って運転手は
「まさか、と思いました」
と証言している。
運転席に移動した泥酔客は、外に出た運転手を置き去りにしてタクシーを発進させた。「客が降りてくれない」という通報内容は「客がタクシーを奪って逃げた」に変わった。
110番通報を受けた警察はすぐさま逃走したタクシーの行方を追いはじめた。その後、西台付近の駐車場内に停車していたタクシーが発見された。彼はやはり池袋ではなく西台に行きたかったようだ。西台は彼が住んでいる街であり、その駐車場は彼の自宅から歩いてすぐのところだった。彼が運転していたタクシーはあちこち傷や凹みだらけの無惨な姿になっていた。
警察官がタクシーを発見した際、彼は車内で熟睡していた。どうにか起こして「このタクシーは誰の物か」と聞いても意味のわからない言葉を大声で叫ぶばかりで会話は成立しない。とにもかくにも警察官は彼を強盗の容疑で逮捕した。

「今まで酒気帯び運転もしたことありません。お酒もそんなに呑む方ではなくて、呑んでも1杯か2杯だけでした。お酒で失敗したことも一度もありませんでした」
法廷で見る彼の姿にはその犯行をうかがわせるようなものはなかった。どこにでもいそうな人だったし、大声を出したりする姿だってなかなか想像できない。受け答えの声からしてやたら小さかった。緊張している、というのはあったと思うが普段からあまり大きな声を出すタイプではないのだろう。
家庭がうまくいっていなかった。仕事で悩みを抱えていた。そしてここからは想像だが、そういう苦しさを訴え誰かに助けを求める、ということもあまり得意ではない人のように見える。事件当日、元上司に相談しに行ったというがそれだって彼にとってはかなり思い詰めた上での行動だったのではないかと思う。そのあたりはわからないが、普段呑まない人間が酒の力に頼らなければならなくなってしまう、というのはそれなりの背景があるはずだ。

この文章で紹介した男性以外にも、酒の失敗で裁判にかけられることになってしまった人はたくさんいる。そのどれもが、酔ってさえいなければ絶対にやらないであろう行動で捕まったものだ。
この手の事件の裁判では被告人にたいてい「今後はもうお酒を呑みません」だとか「お酒を控えます」というようなことを話す。その言葉が本音かどうかはともかくとして「なぜそんなに酒を呑まなければならなかったのか」というところに触れる被告人は少ない。
先ほど紹介した男性は結果としてタクシーを盗んで暴走するという犯行で捕まった。だが彼のこの凶行の芽はもっと前から少しずつ育っていたのだろう。そして犯行当日の日にはそれは抑えきれない大きさになっていた。もしあんなことを仕出かさなかったとしても、やはりどこかで別の形で何かが起きていたような気はする。その何かが犯罪になるものかどうかなど、もはや運でしかないような気さえする。


酒は呑んでも呑まれるな。よく聞く言葉ではある。でも、酒に呑まれたくて酒を呑んでることだってあるだろう。酒に呑まれなければとても生きていけないような、そんな苦しみを抱えている時だってあるだろう。
「酔っ払ってたのでやってしまいました」
そんな言葉を発する被告人を裁判所で目にするとたしかに腹が立つ。だが、酔わざるを得なかった何かがあるのかもしれない。法廷のバーの向こうにいる被告人も、つい先日までは自分と同じ社会で同じように生活を営んでいた。自分と彼の間に大きな違いなどない。ひょっとしたら明日、法廷に立たされて同じことを自分が話しているかもしれない。そんなことも考えてみる。
悲しい時辛い時苦しい時痛い時…どんな時でも酒は拒まない。人は裏切る。だけど酒は裏切らない。いつだって人を酔いの世界に優しく誘ってくれる。溺れてしまうのも無理はない、そんな気だってする。
いずれにしても犯罪は犯罪だ。裁判にかけられた以上、求められるのは「更生」である。
でも、「更生」って何なのだろう。
酒に逃げこんでしまう弱さ、それは責められるべきかもしれない。でも、その人を酒に逃げなければいけないような境遇に追いこんだのは誰なのだろう。困難の中にあっても助けを求めることもできない境遇を創り出したのは誰なのだろう。「更生」という言葉を個人だけに背負わせようとするその姿勢は公正なものだと言えるのだろうか。

今後も僕は「酔っ払ってたのでやってしまいました」と語る被告人の裁判をたくさん傍聴するのだろう。そしてそのたびに考える。その人にとって「酒」は何だったのか、単なる不幸の呼び水だったのか、一時だけでも現実を忘れさせてくれる救いの甘露だったのか。
考えたところでその真相なんてわかるわけはない。でも考えずにはいられない。考えることを止めたら、きっとわざわざ休日を使って裁判に通う意味なんてない。

とはいえ、考えるのは疲れることなのでついついお酒に手が伸びてしまう。お酒で失敗した人たちの事例をさんざん傍聴しているというのに、僕はお酒を止めたり控えたりすることはできないようだ。


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