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『鎌倉殿の13人』

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2022年(令和4年)放映のNHK大河ドラマ第61作に関する記事。
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2022年9月の記事一覧

『鎌倉北条九代記』に見る北条政範の死

■『鎌倉北条九代記』「北條政範死去」  遠江守從五位下左馬頭權助政範は、今度、將軍家北御…

静岡県沼津市の荘園(大岡荘、金持荘、阿野荘)

                   「荘園分布図」(吉川弘文館) 1.大岡荘 藤原姓牧…

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【超深読み】大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第37回)「オンベレブンビンバ」

 ──オンベレブンビンバ、オンベレブンビンバ。  北条一家の団欒で、突如、北条時政が大…

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慈円(前大僧正慈鎮)著『愚管抄』が伝える「牧氏の変/牧氏事件」

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/53197                …

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第37回)「オンベレブンビンバ」解説動画集

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第37回)「オンベレブンビンバ」

1.あらすじ「牧氏の変(前編)」  北条政子(小池栄子)、大江広元(栗原英雄)らと新体制を…

『鎌倉殿の13人』(第36回)「武士の鑑」の再放送を見た。

■大河紀行(第36回)「神奈川県横浜市」  神奈川県横浜市。現在の旭区で重忠はその生涯の幕を閉じました。付近には、戦いの跡を示す地名がいくつも残されています。「万騎が原」は、北条軍が数万騎の陣を構えていたことから、漢字の表記が「牧が原」から現在の「万騎が原」に変わったと伝わります。 https://www.nhk.or.jp/kamakura13/kikou/36.html  畠山重忠は強く、人望も篤い。その畠山重忠が鎌倉に攻めて来るという。  その人望から、多くの兵が集ま

閑谷法師『閑谷集』

1.『閑谷集』について ・平安時代末期~鎌倉時代初期(1181~1207)の私家集 ・成立年:承元年…

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第36回)「武士の鑑」解説動画集

『鎌倉殿の13人』37「オンベレブンビンバ」

サブタイトル「オンベレブンビンバ」の解読合戦「鎌倉殿オンベレブンビンバ知ったかぶり選手権…

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第36回)「武士の鑑」

 夜。武蔵国、畠山重忠の菅谷館の縁側。  畠山重忠と北条義時は「苦い酒」を酌み交わした…

「源頼朝が詠んだ和歌10首と連歌など」をアップしました。

「源頼朝が詠んだ和歌10首と連歌など」 https://note.com/sz2020/n/nae5b8d2a98d7  2022年N…

源頼朝が詠んだ和歌10首と連歌など

■小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』 頼朝自身はすぐれた歌才の持ち主であった。側近と詠み交…

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畠山重忠の乱(1/2)乱の前

■建仁3年(1203年) 10月 3日 武蔵守・平賀朝雅、京都守護として上洛。 10月27日 北条時政、武蔵守・平賀朝雅の代行開始。 ■建仁4年/元久元年(1204年) 1月18日 北条時政と畠山重忠が戦うというデマが流れる。 2月20日 「元久」に改元。 11月 4日 平賀朝雅と畠山重保が京都で口論。 11月 5日 北条政範、京都で病死。 11月 6日 北条政範の遺体を東山に埋める。 ■元久2年(1205年) 1月13日 畠山重忠&重保父子の勘当が解ける

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