愛情計。

愛情計


 「博士が一番すごいと思う発明って、なんなんですか?」

とある研究室。助手の男が、自分の上司とも言うべき発明家に質問した。「鉄腕アトム」に憧れて発明家になったというこの男は、助手に自分の事を「博士」と呼ばせていた。

「時計だな」

「時計ですか?」

「アトム」を見て発明家になったにしては地味な答えだなと思い、つい、聞き返してしまった。

「もっと、テレビとか、スマートフォンとか、そういうのを答えると思ってました」

「いや、そんなものより、時計の方がすごいぞ」

「おい、いま何時だ?」と博士が助手の腕時計を指さした。助手は不思議に思いながらも腕時計を見て、「ちょうど、十二時です」と答えた。

「そう、十二時だ。しかし、今が十二時だ、という事を時計を見ずに知る事が出来るか?」

そう聞かれ、考えてみた。太陽の位置を見れば大体の時刻はわかる。しかし、ここまで正確な時刻は、時計なしでは無理だと思った。

「…できないですね」

「そう。今が十二時だ、という事は時計を見るからわかる。だが、時計がなかったら今が何時かもわからないのだ」

「はい」

「つまりだ。時計は、『時間』という目に見えないものを形にして、目に見えるようにしたんだ。これはすごいことだぞ」

そう言われ、助手の男はもう一度、自分の腕時計を見た。自分の奥さんがプレゼントしてくれたもので、男は毎日つけている。時計の盤の上では、秒針がチクタクと一秒ごとに動いていた。しかし、この時計がなければ「一秒ごと」という感覚も、わからないのだ。そう思ったら「確かにすごい」と改めて思った。

「なるほど。確かにすごいですね」

助手のその言葉に、博士は満足そうに「だろう」と笑った。しかしここで、助手の男はある事に気づいた。

「でも、時計だけじゃなくて、温度計とか、速度計とか、体重計とか…。『計』ってつくものは、目に見えないものを形にしたって言えるんじゃないですかね?」

助手からそう言われると、博士の笑顔がみるみる曇っていった。そして椅子にどかっと座ると、頬杖をついて「はぁ~~~あ」と大きなため息をついた。

「ちょっと、スネないでくださいよ」

「そんなごもっともな事言っちゃうかなぁ~」

「子供じゃないんですから」

「あ~、コーヒーが飲みたい」

「はぁ?」

「冷たいアイスコーヒーが飲みたいなぁ~」

「わかりましたよ、買ってきますよ」

 そう言って、助手の男は自販機に走った。博士は缶コーヒーを飲むと「最近の缶コーヒーはうまいな」と言った。コーヒーに少しこだわりがあった助手は、「感動するほどでもないだろう」と思っていたが、言うとまたスネるので言わなかった。

 「だから次は、いま形になっていないものを目に見える形にするものを発明したいんだ」

博士が缶コーヒーをすすりながら言った。

「なるほど。でも、いま形になってないものって?」

助手のその質問に、博士は一度「ニヤッ」と笑って、こう言った。

「愛情だ」

「愛情?」

「あぁ、相手が自分をどれだけ好きかが計れる道具を発明する」

「『愛情計』ですか」

「そうだ。その『愛情計』を使って相手の愛情を計って、『あ、この子いけそうだな~』って子にアタックする」

博士は四十を過ぎても独身だった。助手は「この人、いい歳こいて何言ってんだ」と思ったが、「なるほど、いいですね」と笑った。しかし博士は助手に「じとーっ」とした目を向けていた。

「な、なんですか?」

「お前、『いい歳こいて』とか思ってんだろ」

「思ってないですよ!」

本当は思っていたが、一応、そう言った。

「いいと思いますよ、『愛情計』」

「ふんっ!なにが『いいと思います』だっ!もう結婚してるお前には必要ないもんだろがいっ!」

「そんな事ないですよ!」

「そんな事ない事ないだろーがっ!あんな背の小さくて可愛らしい嫁さんもらっといて!バカにしてんだろっ!」

「バカになんかしてないですよ!作りましょう、『愛情計』!」

再びへそを曲げた博士の機嫌をとるために、今度はアイスをおごらされた。


 こうして二人は『愛情計』なるものの開発にとりかかった。博士はああ言っていたが、助手の男は、本当に愛情計を必要としていた。博士は、相手が自分をどれだけ好きかを計るために開発を進めていたが、助手の場合は逆だった。自分の愛情を、目に見える形にして示したいと思っていたのだ。

 助手は結婚している。博士の言うとおり、男の奥さんは、背が小さくてかわいらしい女性だった。とても優しくて、気が利いて、柔らかい雰囲気を持った女性だった。そんな素敵な女性と結婚して、男はとても幸せだった。

 しかし、そんな幸せな男にも悩みがあった。それは、自分が口下手で、愛情表現が苦手だという事だった。

 彼女の事はとても大事に想っている。しかし、その伝え方がわからない。そして、伝える手段も男には見つけられずにいた。もっと稼ぎのいい男だったら、旅行に連れて行って楽しい時間を過ごしたり、何かいいものをプレゼントしたりできるのだろうが、開発者の助手なんて職業は薄給だった。結婚をしても新居を買う事もできずに、男が独り暮らしをしていた家に、そのまま二人で住んでいる。

 彼女からの愛情は、よく見える。新居を買えなくても文句の一つも言わずについてきてくれるし、いつだったかの誕生日にプレゼントしたネックレスを毎日つけてくれている。高いブランド品なんかじゃない。学生でも少し頑張れば買えるような値段のものだ。それでも彼女は、「ありがとうございます」と微笑んで受け取り、それをずっと、宝物のように大事にしてくれている。

そうやって彼女は、愛情を笑顔で目に見せてくれて、言葉で耳に聴かせてくれる。

 男は、「俺はどうだろう?」と考えてしまう。誕生日プレゼントは、彼女の誕生日を祝うものだ。記念日のお祝いだって、二人の記念日なのだから、お互いのためだ。どちらも、彼女へ愛情を示すものだとは言えない。

 時計を見なければ、今が何時かもわからない。愛情も、目に見える形にしなければ、どれだけ大事に想ってるかも伝わらない。

 愛情計さえ開発できれば。簡単に、目に見える形で示すことができる。男の愛情計を開発する理由は、ここにあった。

 「ただいま」

家に帰ると、背の小さくて可愛らしい奥さんが出迎えてくれた。

「おかえりなさい、おつかれさま」

そう言うと、いつもの笑顔を見せてくれた。男は靴を脱ぐと一度しゃがみ、脱いだ靴を綺麗にそろえた。彼女は「お風呂沸いてますよ」と言うと、キッチンに向かった。

 男は風呂に入った。湯船につかって温まりながら、「この温かさも愛情だよなぁ」と思っていた。シャワーで髪の毛を洗いながら、お湯の温度を上げようと目を瞑ったままボタンを連打した。

「つめめめめめ!」

ボタンを押し間違えて、逆に温度を下げてしまった。結婚してオール電化にしてから、この失敗をよくやっていた。

 男は、風呂からあがると、着替えのために部屋に入った。もともと男が独り暮らししていたような狭い家なので、それぞれの自分の部屋などなく、リビングと寝室と、あと、服やその他の荷物が置かれている部屋があるだけだった。洋服ダンスの一番上の段から自分の部屋着をとって着替えると、リビングへ行った。

テーブルには、すでに晩御飯が並べられていた。男の好物ばかりだ。結婚前に行った食事で野菜を食べ残したのを見られて以来、「野菜もちゃんと食べてくださいね」と子供のような事を毎回注意されるが、味付けを工夫してくれるお陰で、彼女の料理を残した事は一度もない。その日の晩御飯も、とても美味しかった。この美味しさも、愛情だ。料理を食べながら、なんとしても「愛情計」を完成させて、彼女への愛情を示そうと決意を固めた。

 しかしというか、やはりというか、「愛情計」の開発は難航した。博士も助手も、連日、夜遅くまで研究室に籠りきりになり、時々、研究室に泊まることもあった。

 「お前、自分に必要ないからって、本気出しておらんのじゃないのか?」

博士の軽い冗談だったが、助手は思わず「そんな事ないですよ!」と大きな声を出してしまった。

「すまんすまん、わかってるよ。そんなに怒んな」

戸惑って慌てる博士に「あ、いや、すいません…」と謝った。

 「ただいま」

二日ぶりに、家に帰った。一日家を空けても怒ることもなく、「おかえりなさい。おつかれさま」といつもの笑顔を見せてくれた。

 風呂に入り、部屋着に着替え、夕食を食べた。奥さんは食べ終わるのを見計らって、コーヒーを出してくれた。

「最近、忙しそうですね」そう言って、対面に座った。

「うん…ちょっとね」とはぐらかした。「愛情計」を作ってるなんて言わるわけがない。奥さんは、深く追求することもせず、「無理なさらないでくださいね」と労ってくれた。「ありがとう」と言って、コーヒーを一口すすった。

「…お」

そのコーヒーの美味しさに、男の顔がほころんだ。

「美味しいね、このコーヒー」

そう言うと、彼女が笑顔になった。

「美味しそうな豆を見つけて、買ってみたんです」

「気に入ってくれて、良かったです」そう言って微笑み、彼女も一口飲んだ。

男はコーヒーを見つめて、これも彼女からの愛情の一つだと感じて嬉しくなった。きっと、自分の小遣いから買ってくれたのだろう。そんなに大した額わたせていないのに。

「良かったです。笑顔になってくれて」

不意にそう言われて、思わず「え?」と聞き返していた。

「実は、ちょっと心配だったんです。最近、大変そうでしたから」

彼女がコーヒーカップを置いた。

「でも、笑顔が見れて、良かったです。安心しました」

そう言って、笑顔を見せてくれた。こうやって、彼女は愛情を伝えてくれる。目に見せてくれる。しかし、自分には、どうしたらいいかわからない。そのことが情けなくなった。

 男の目に、涙が浮かんだ。その涙を乱暴にぬぐう。赤くなった男の目を、彼女は「どうしたんですか?」と覗き込んだ。

「ごめんな」

突然の謝罪の言葉に、彼女は驚いて目をキョロキョロさせた。頭の中で、理由を探しているようだった。

「君は、こうして愛情を目に見せて伝えてくれる。すごく嬉しいんだ。だから俺も、君に気持ちを伝えたいと思うんだ。だけど、俺は口下手だし、そういうのが苦手で…。どうしていいかわからないんだ。君をすごく大事に想ってるんだけど、どうやって伝えればいいか、わからないんだ」

男は、自分の気持ちを一気に吐き出した。


「ふふふ」


ふいに、彼女の優しい笑い声が聞こえた。男が顔を上げる。

「知っていますよ。あなたが大事に想ってくれてるのは」

彼女が、玄関の方を指さした。

 「あなたは、靴を脱いだあと、必す綺麗にそろえてくれますね。以前は脱ぎ散らかしていましたけど。でも、結婚してから私が直しているのを見て、手間にならないようにと、そうしてくれているのでしょう」

「それから、あの部屋」と、次は荷物の置いてある部屋を指さした。

「あの洋服ダンス。私の服は全部、低い段に入っています。背の低い私のために、あなたが自分の服を高い段に移してくれたのでしょう」

次に彼女はキッチンを指さした。

「オール電化にして、キッチンのコンロをIHに変えてくれたのは、私が火傷をしないようにでしょう」

「この食器…」と目の前の食器に目を落とした。

「晩御飯も、あなたは私の料理を、いつも残さずきれいに食べてくれます。苦手な野菜も、全部」

彼女が柔らかく「ニコッ」と笑った。

 「この家にはあなたの愛情があふれています。どこを見ても、あなたの愛情が目に入ります。あなたの愛情は、しっかりと、私の目に見えていますよ。大丈夫です。安心してください」

「それから…」と、彼女が男の左手をとった。

「私がプレゼントした腕時計をずっとつけてくれてますね」

いつも腕時計している手首を優しくなでてくれた。

「自分がプレゼントしたものをつけてもらえるって、嬉しいものですよ」

男は、彼女の首元で揺れるネックレスを見る度に、安心したものだった。その安心を、彼女も感じてくれていたという事に、心から安心した。

「ありがとう」

 男は、笑顔を彼女に向けた。彼女は、その笑顔を見て、「そうですね、わがままを言うのなら」と言った。

「もう少し、お話できる時間があるといいのですけれど」

そう言って、彼女は微笑み、男も微笑み返した。

「明日からは、早く帰ってくるよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?