まちあわせ。
駅前にあるコンビニの軒下。出入りする人の邪魔にならないように、出入口の横に立つ。ここで毎朝、一緒に大学へ行く友人と待ち合わせる。
初夏の太陽の日差しは、朝といえどなかなかに強く、首筋を流れる汗をハンカチで拭った。
ポケットの中で、スマホが鳴る。開いてみると、友人からのメッセージが入っていた。
『すまん!五分遅れる!』
友人が遅刻してくるのは毎朝のことなので、返事も返さずにスマホをポケットに仕舞う。「五分」と言いつつ、いつも十五分以上は遅刻してくる。きっと、常人とは時間の流れが三倍違うのだろう。俺はコンビニに入った。
レジに向かい、パートの女性にアイスコーヒーを注文する。年齢的にはおばちゃんと言える年齢なのだろうが、髪を明るくして元気に働くその姿には、あまり似つかわしくない言葉に思える。
「友達は、また遅刻?」
そう言われ、「えぇ。もう、いつものことです」と曖昧に笑う。氷の入ったカップを受け取り、レジの隅にあるコーヒーマシンにセットして、スイッチを入れた。
淹れたばかりのコーヒーを手に持ち、出入口の元の位置に戻る。そして、ストローから一口吸い込んだ。冷たい苦みが、喉を潤す。コンビニのコーヒーがカフェで飲むものと変わらないほど美味しくなったのは、いつからだろうと思う。
何気なく、目の前の景色を見渡す。
春から、この駅を使って大学に通うようになって、一か月と少しが過ぎた。この頃には、毎朝ここを使う人たちのポジションというのが決まってくる。
近くに置かれた、三台の二人がけのベンチ。そこは、おしゃべりをする二人組の女子高生と、朝の散歩の休憩中の老夫婦。友達と周りを走り回って遊ぶ小学生のランドセルで埋まってしまっている。
コンビニの裏にある喫煙所では、中年のサラリーマンがタバコを吸っている。少しコワモテのその人は、細身の体に黒いスーツを纏い、今の時代に紙のタバコをふかしている。その姿は様になっているのだが、初めて見たときは、本当にそっちの人なんじゃないかと少し距離を置いていた。
しかしある時、コンビニの店長のおじさんから注意を受けていた。どうやら、その喫煙所はコンビニの従業員用だったらしい。その時、少し恥ずかしそうに何度も頭を下げて謝っている様子を見て、どうやら悪い人じゃなさそうだと思い、最近はあまり警戒していない。
今日のパートの女性は、サラリーマンがたばこを吸っていても何も言わない。面倒だから注意しないのか。それとも何か取引があったかのかはわからない。最近は、パートの女性がサラリーマンのファンだから許してるんじゃないかと睨んでいる。二人の雰囲気を見ると、同じ時代を生きてきたんだろうなという気がするので、あながち間違ってもないと思う。
そうして、俺の居場所は自然とこのコンビニの軒下に定まった。
そして、俺と同様にベンチの椅子取りゲームに負けた人が、少し離れた場所に立っている。
全く知らない人だが、背が高く、スラッとしたスタイルで、端正な顔立ちの男性だた。俺とサラリーマンの間ぐらいの年齢だと思われるその人は、コーヒーを飲むでもなく、タバコをふかすでもなく、スマホを取り出すようなこともせずに、ただ、空を見上げて立っている。
男の俺から見ても、素直にカッコいいと思える。そんな人だから、自然と周りの注目を集めていた。
そして、その男性が注目を集める理由がもう一つ。
「おまたせ」
決まった時間になると、その男性の元に小さくて可愛らしい女性が笑顔でやってくる。その人の笑顔は、朝の通勤前の陰鬱とした雰囲気が、そこだけは存在していないと思えるほどの明るい笑顔だった。
男性が笑顔で手を挙げて挨拶を返し、歩き出す。その二人を、その場の全員が見送り、それを合図にしたように全員がそれぞれの日常へと歩き出す。
女子高生はおしゃべりをやめて駅前のバス停へ向かい。小学生はランドセルを背負って学校へと歩き出す。
老夫婦は、「朝ごはんにしましょう」と話しながら家へと家路につくのだった。
サラリーマンはタバコを消して、駅の改札へと入っていった。
まちぼうけをくっている俺は、歩き出した二人の背中を眺めていた。彼女は、彼氏を見上げて笑顔でマシンガンのように話している。男性の方は、静かに頷くだけだった。
その顔は笑顔なのだが、それにしたってもう少しリアクションしてあげればいいのにと思う。
その時、二十分遅れで友人が現れた。謝罪もなく、悠々とこちらに歩いてくる。その態度にはもはや怒りすらわかない。
「なにを見とれてんだ」
そう、からかわれる。
「うるせぇ」
なんで俺は、こんなむさい朝なんだと心の中で嘆きながら、二人で改札をくぐった。
そんな朝をいつも過ごし、俺は大学生活を過ごしていた。暑い夏の日々も、アイスコーヒーとあの子の笑顔のおかげで、なんとか乗り越えられた。
ある日のことだった。いつも通り友人から遅刻のメッセージが来たので、コンビニに入り、アイスコーヒーを買う。その時、「そろそろホットコーヒーにしようかな」なんて考えるほど、季節が変わったころだ った。
アイスコーヒーを持ち、コンビニの軒下に陣取る。一口吸い込んで、やはりホットにすればよかったと、少し後悔した。
コーヒーを飲みながら、目の前の光景を眺める。季節が進み、少しづつ変わった景色もある。
道端に咲いている花の種類が変わった。街路樹や生垣の葉も、青々とした緑から、だんだんと赤く色づき始めている。
女子高生の制服が冬服に変わった。老夫婦は、もう真冬かのように厚着している。冬本番が始まったらどうするのか、心配なほどだ。しかしその近くで遊ぶ小学生はいまだに半袖半ズボンで、夏に取り残されたような恰好をしている。風邪をひかないだろうかと、また違う心配が胸に浮かんだ。
周りから見れば、俺もアイスコーヒーなんて飲んで寒くないのかななんて思われているかもしれない。
そして、となりの、少し離れたところに立つ男性。いつもどおり、スマートな姿だった。この人のかっこよさには、季節は関係ないんだな、なんて、当たり前のことを呑気に考えていた。
しかし、その日、いつもと違うことが起こった。
その男性が、あの可愛い笑顔の女性の到着を待たずに、歩き出した。
「あれ?」と思うが、話しかけるような間柄ではないし、男性はスタスタと遠ざかってしまう。
「…体調でも悪いのか?」
そんな風に思いつつ、あの笑顔が見れないことに少しの寂しさを感じながら、男性の背中を見送っていた。
その、俺の視界の中に友人が現れた。珍しく、顔を汗だくにして走っている。
「お、早かったな」
「何言ってんだよ、ギリギリだぜ!」
慌てて、スマホの時計を見る。
「ふざけんな、電車来るじゃねーか!」
「だから言っただろ!」
二人で、慌てて改札をくぐった。
「やばい、遅刻するー!」
「バス行っちゃったじゃん!」
「あら、もうこんな時間?」
背中から、小学生と女子高生と老夫婦が大慌てで動き出す声が聴こえてきた。その声に、思わず振り返る。
「うぉっ!」
あの、コワモテのサラリーマンが、必死の形相でこちらに向かってくるのが見え、思わず声を上げた。
「なにやってんだ、急ぐぞ!」
友人に言われ、ホームへと走る。俺と、友人と、コワモテのサラリーマンが並んで走っていた。
しかし、その日からずっと、あの女性は現れなかった。男性は、決まった時間になると一人で歩き出す。
あの女の子の笑顔を見れないと、なんだか調子が出ない。それに、少しの寂しさも感じる。
「…これってストーカーの発想か?」
そう思い、小さく苦笑いした。
しかし、そう感じているのは俺だけじゃないようで、小学生も女子高生も老夫婦もサラリーマンも、みんなが調子を狂わせているようだった。
それからしばらく経った、ある日。いつものように、コンビニでコーヒーを買い、外に出る。
淹れたばかりのホットコーヒーを持って外に出て、コンビニの軒下に陣取る。カップの蓋を開け、香りをかぐ。いい匂いが鼻をついた。
香りを楽しんで、すぐに蓋を閉める。そうしないと、一瞬で冷めてしまうほど、季節は進んでいた。
「あっ」
しかし、手元が狂って落としてしまった。慌てて拾おうするが、手元のコーヒーをこぼさないように気を付けるので、どうしても動きが遅くなる。
「あっ、もう」
もたもたしている間に、小さく吹いた風に蓋が飛ばされてしまった。追いかけるが、コーヒーをかばうので急ぐことができない。
その蓋を拾い上げる手があった。あの、少し離れて立つ男性だった。
「どうぞ」
隣の男性が、俺に蓋を差し出す。さわやかな笑顔だった。
「あぁ、どうも…」
つい緊張して、どぎまぎと返事をする。そんな俺にも彼は「いえいえ」と笑い、そして、コンビニに入っていった。
「…ふぅ」
気持ちを落ち着かせて、コーヒーを飲む。コーヒーの温かさが、全身に染み渡った。
そのタイミングで、男性が出てきた。ホットコーヒーを手に持っている。
「さっきはどうも」
「あぁ、いえ…」
「いつも、ここでコーヒー飲んでらっしゃいますよね?」
「え?えぇ」
「毎朝、羨ましいなって思ってて。今日は、思い切って買ってみようと思ったんです」
「そうだったんですか」
男性が、ホットコーヒーを一口飲んだ。
「…うまい」
また、さわやかに笑う。
「こんなにおいしいんだ」
「コンビニだからって、あなどれないですよね」
「ですね」
俺も、コーヒーを一口飲む。いつも通り、おいしかった。
二人で、コーヒーを飲む。同じものを飲んでいると、不思議と距離が縮まった気がする。思い切って、聞いてみようと思った。
「…あの」
「はい?」
「俺も、毎朝うらやましいなって思ってて」
男性が、首を捻る。
「いつも、かわいらしい女性と待ち合わせてらっしゃったから」
「…あぁ」と、今度は照れくさそうに笑う。
「最近は、見ないですけど、どうかされたんですか?」
「…またですか」
そう言って、男性は笑う。嬉しそうな、寂しそうな笑顔だった。
そこで、自分のデリカシーのなさに気づく。もしかしたら、深い事情があるのかもしれない。
「あの、すいません!ぶしつけに!」
慌てて、頭を下げる。
「あいつは、みんなに愛されてたんですね」
「え?」
「みんなから聞かれるんです。あの子はどうしたって」
「そうだったんですか」
「一番最初に聞いてきたのは、あの子たちです」と、小学生を指さす。
「参りましたよ。突然、『フラれたのー?』でしたから」
「子供は正直ですからね」
二人で笑う。
「『ちがうよ』って返事をしたら、それを聞いてた女の子たちも、『よかったー』って言ってくれて」
そう言って示したのは、二人組の女子高生だ。
「コンビニの裏でいつもタバコ吸ってる人知ってます?あの、ちょっと渋い感じの」
「あぁ、はい」
「あの人も急に『あの子泣かせたんじゃねえだろうな』って。すごまれたもんだから、ビビりましたよ」
「それ、めっちゃ怖いですね」
あのコワモテにすごまれたら怖いだろうなと想像する。
「でも、店員の女性が間に入ってくれて。『睨んでどうすんの』って」
「あぁ」と、コンビニの中を見る。
「たぶん、あの二人、できてますよ」
そう言って、いたずらっぽく笑った。
「やっぱり?そうですよね!」
その返事に、男性は満足そうに笑っていた。
「昨日は、あの老夫婦のご婦人に聞かれました。『最近、あの子を見ないわねぇ』って」
「そうですか」
「『心配してたの。どうしたのかしらね』って」
そして、俺は周りを見回した。中年のサラリーマンも、老夫婦も、小学生たちも女子高生もみんな、あの子の笑顔を楽しみにして、あの子の笑顔に救われていたのだろう。
「みんなから心配されて…。気にかけてもらって、なんか、申し訳なくて。あいつは、遠くに行ってしまったので」
男性が、寂しそうにそう言った。その表情と「遠く」という言葉で、全てを察した。
「…あの、本当にすいません」
謝るのが正解かどうかわからないが、頭を下げる。
「いえ、そんな」
「…さみしいですね」
何て言っていいかわからず、そう言う。
「はい、そうですね。でも、もう慣れました。人間って、強くできてますね」
「お兄さんが、強いんだと思いますよ。俺なら、寂しくて気が狂っちゃうと思います」
「そんな。でも、ありがとうございます」
「いえ」
そう言うこの人が、強いんだと思う。普通、慣れるわけがない。きっと、本音は慣れてなんかないんだろう。
「でも、本当に平気なんです。そろそろ帰ってきますから」
「そうですか。…え?」
「いま、アメリカにいるんです」
「はい?」
「留学中で」
「…あ、そうなんですか」
拍子抜けし、間抜けな声が出た。
「ふふふ」
男性が、子供のように笑う。
「あいつが死んだと思いました?」
「あぁ、いえ」
「すいません。からかっちゃって」
そう言って、楽しそうに笑った。この人が、こんな冗談を言うのが意外だった。しかし、こんな一面を見れた事が何故だか嬉しかった。
「…言わないでくださいね」
「え?」
「俺が、寂しがってたこと」
「…あぁ、はい」
思わず、笑う。俺が思っているより、可愛い人なのかもしれない。
それから、その男性と話すこともなく、俺は相変わらず、遅刻してくる友人をコーヒーを飲みながら待つ朝が続いた。
季節がめぐり、春の温かい風が吹いて、毎朝、コーヒーをホットにするかアイスにするか悩む、そんな季節になっていた。
となりでコーヒーを飲む男性が蓋を落とした。あのスマートな男性が、珍しく少しそわそわしている気がした。
「おまたせ!」
あの女の子が、満面の笑顔で現れる。男性が笑顔で手を挙げて挨拶を返した。
「行こうか」
「うん」
そして、またマシンガンの様に話し出し、二人で歩き出した。
彼女は知らないが、ここにいる全員が知っている。あの男性が、寂しがっていたことを。
「それでね、私、空港でね…」
いや、彼女はきっと、もう知っているんだろう。あの男性が、とても可愛らしい一面を持っていることを。
それを見送り、サラリーマンも、老夫婦も、小学生たちも、そして、俺たちも、全員がそれぞれの日常へと歩き出した。
「よう」
友人が、遅れて登場する。
いつも通りの景色が、そこには流れていた。
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