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価値観のものさし、使い分けてもいいよね


「自分のものさしが大事だ」

わたしがnoteでよく書いている言葉である。
「みんないますぐ文具屋に行ってマイものさしを買え」という意味ではなくて、自分なりに「自分の評価基準」を作ろうよ、ということだ。知ってるわ。


他人の評価ってのはブラックボックスだ。例えば、noteのオススメなんかもそうでしょう。noteはいまや、1日に1万件以上の投稿数があるという。人力でピックしている以上、すべての投稿をチェックなんてできるわけがない。

そこだけに価値を見出して「こんなにがんばって書いたのに選ばれなかった……!」なんて落ち込んだり、「また選ばれなかった!」なんてピッカーを恨んでも無駄。書くのがいやになってしまうだけだ。だったら「自分が書いててたのしい!」って気持ちを大事にしたほうが、自分の精神衛生上いいし、きっとおもしろい文章が書けるよね、と思っている。だから、以前こういうnoteを書いた。

読んでくらくらするような文章だと思うんだけど、けっこう重いテーマだったので、せめて文章は軽く書いてみたのでした。意図が通じているかは知らない。

自分のものさしにしているのは「書いててたのしいか」。もちろん、書いてる自分だけがたのしい文章は読んでもらえないから、「このたのしさを、どうやったらもっとうまく伝えられるだろう」と考えて書いている。


でも、わたしが信じているものさしは、じつは「自分のたのしさ」だけじゃない。時と場合によって使い分けていたりする。

ひとつは「数字」。冷徹で遠慮がないけども、数字は嘘をつかない。

以前、「少年Bなんて周りに協力してもらった記事がたまたまひとつ当たっただけの一発屋なのに、みんなの力を自分の実力と勘違いしてるつまんねぇクソ」(意訳)みたいなことを言われたことがある。

これ、そりゃ腹は立つし傷付くんだけど、ある意味事実なんですよ。わたしひとりでおもしろイベントは作れないし、記事にしたイベントがたのしかったのは、間違いなく参加してくれたみんなのおかげ。でも、これをそのまま鵜呑みにしてしまうと、自尊心や自己肯定感ってどんどん削られていく。

そんな時に、たとえひとつでもすごく読まれた記事があると、「つまんねぇクソの書いた文章はこんなPV数出せないよね?」「あなたもブログ書いてみてくださいよ。どれくらい読まれたか教えてくださいね。わたしよりは読まれるんでしょう?」なんて思える。性格がわるいやつだなと思われるかもしれないけど、ブラックボックスの「悪い評価」に唯一立ち向えるのが「数字」なんですよね。

ほかにも、数字が伸びない裏にはかならずなにかの原因があるわけです。「この記事いつもより読まれてないぞ……」って時にはその原因を調べて、なにがわるかったかを検討する指標になります。気にして落ち込んじゃったら意味がないから、使いかたには気をつけなきゃいけないんだけど。

個人のブログやnoteの場合でも、「いい数字」は積極的に見て行ったほうがいいと思います。半面、落ち込みやすいひとが「悪い数字」を見るとどんどん精神的に追い詰められていくので、そこは都合よく取捨選択するのがいいかもしれません。わたしは悪い数字は見ないぞ。


もうひとつは「他人の評価」。

「おいおい、言ってることめちゃくちゃじゃねぇか!」と思われるかもしれないけど、これも大事。

友人のライターに、すごくいい文章を書くひとがいる。個人的にはすごく好きだし、すてきな文章を書くかただなぁと思うんだけど、いちど鬱状態になってしまうと、なかなか文章が書けなくなるそう。「自分で読み返して、ダメだなぁ、全然よくないなぁ、と思ってしまって書けないんです。」と言っていた。

その相談を受けたとき、わたしが言った言葉は「すみません、自分の話で恐縮なんですが、わたしの文章はいいと思ってくれていますか。」だった。

ひとが悩んでるときに自分の評価を聞くなんて、少年Bは自意識が肥大してるにもほどがあるなと思われるかもしれない。でも、幸い「はい!」と言ってもらえたのでわたしは続けた。

「じゃあ、わたしを信じてください。自分のことなんて信じなくていい。そのいい文章を書く男が『最高』と言った事実を信じてやってくれませんか。」

他人の評価はブラックボックス。ブラックボックスだからこそ、自分には決してわからない評価基準もあるわけです。わたしのことを「見る目がないやつだ」と思っていたら話は別だけど、「あの人が言ってるんだから間違いない」って思ってもらえたらうれしいし、「少なくとも、あの人には刺さる文章を書けてるんだな」って思えるわけですよね。

「常に他人の評価に左右される」という状態は勧めないけども、ほんとうに限界で、周りに褒めてくれるひとがいる場合は、その評価を甘んじて受けたほうがいいと思うんです。そして、自分で鬱を脱出したなと思ったタイミングで、ものさしを持ち替えたらいい。


「ものさし」ってひとくちに言っても、いろんな用途があるわけです。30cmの竹尺だってあるし、筆箱に入るサイズのプラ定規もある。三角定規は半正三角形と直角二等辺三角形の2種類があるじゃないですか。

ふだん、いちばん使うものさしは「自分の価値観」でいい。でも、それで三角形を書くには、分度器がないと困りますよね。
長い線を引いたり、ものの長さを測るにはちょっと不向きな三角定規が必要になるシーンもある。

ものさしを変える。でも、それは決して「基準のブレ」じゃない。単なる用途のちがいなんです。


「自分の人生」と言う名の授業に挑むにあたって、大事なのは「いい成績を取ること」じゃありませんか。

だったら、「自分が落ち込みそうなとき」にはあえて別のものさしに持ち替えることも必要じゃないかと思うわけです。でも、いつも何するにも三角定規ばっかり使う……となると、それはちょっとちがいますよね。

時には数字、そして他人の評価。自分の価値観を大事にしながらも、「自分のハッピー」のために、うまいことものさしを使いこなしていきましょうよ。

わたしはお世辞は言わないけども、今年も「いいな」と思ったら軽率に褒めていきたいなと思います。それが、どうか他人の三角定規になることを願って。


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