見出し画像

だから、わたしにはnoteが必要だ


1年前の今日、noteを始めた。

きっかけは、吉玉サキさんやサカエ コウ。さんとの出会いだった。「なんか意識がたかそうでこわい」なんておもっていたnoteを自分が始めるとは思わなかった。
昔から付き合いのある友達にも「あのnote、ほんとにBさんが書いてるの?って思った。Twitterと書いてる内容がちがいすぎて」なんて言われたくらいだ。

まぁ、やっぱり合わなきゃ辞めればいいや。しょせんはブログと分けるために作ったサブの居場所さ。そんなことを考えていた。ただし、この1年でスタンスはだいぶ変わってきた。

昨年のわたしは、noteで「カマしてやろう」と思っていた。最初のnoteで、自分がアスペであることを告白したのもそうだ。


もともと、ブログを始めるときに「おもしろい読みもの」を書くか、いまnoteで書いている「思想にまみれたエッセイ」を書くか、というのは考えていた。正直、どちらも書きたい内容ではあった。ただ、最終的な決め手は、どちらに需要があるか、だった。

当時のわたしは朝早くから夜遅くまで、週6で働く建築会社の会社員。
理屈よりも根性論優先の周囲に、腹立たしさとフラストレーションを感じていた。その状態で、思想的なことを書くとどうなるだろう。

恐らく、「世のなかに物申す」というお題目だけは立派な、単なる愚痴や文句に成り下がってしまうだろう。そんなのぜったいにおもしろくない。
また、仮にいい文章が書けたとして、「ブラック企業の社畜」の紡ぐ文章のどこに説得力があるだろうか。そしてそんな自分語りを、だれが読みたがってくれるだろうか。

であるならば、自分の思う「おもしろいこと」を書き綴ったほうが、まだ1000万人にひとりぐらいは興味を持ってくれるだろうなと思ったのだ。


そして、紆余曲折はあったが予想は当たり、昨年6月にはクレスタの記事がそこそこバズり、8月にはサンポーでライターとしてデビューすることになった。もし、最初からエッセイを書いていたら、わたしの文章力ではライターになれなかったかもしれない。
そして、そのタイミングで「おもしろライターの頭の中」であれば、思想のつよい内容であっても逆に興味を持ってもらえるかもしれないな、と考えた。

ただ、ひとつ思ったのは、当時メインで使っていたはてなブログを穢したくはなかった。
あれはわたしの「たのしい」を集めた場所なのだ。わたし個人の思想や、まじめな内容とは切り離して、純粋に誰もがおもしろがれるような場所にしたかったのだ。
ならば、書く場所を分ける必要がある。吉玉さんたちのnoteを読んで、まぁなんとなくこういう文章でも許容してもらえそうだなと思った結果、noteにやってきたのだ。


真面目な文章を書きたかったのはもうひとつ理由がある。へんなやつは、とかくばかにされるのだ。

学生時代、クラスでいちばん頭のいいやつは尊敬されただろう。いちばんスポーツができるやつもそうだ。じゃあ、いちばんおもしろかったやつはどうだっただろう。
おかしなことに、まったく尊敬されないどころか、ばかにされる対象だったのではないだろうか。「おい、ちょっとおもしろいことやってみろよ~」なんて、クラスのえらそうなやつに言われていなかった?
勉強やスポーツとおなじく、クラスでいちばんの実力を持っているはずなのに、あの不公平感はいったい何だったんだろう。ほんとうにふしぎだった。

自分は学生時代にそのポジションにはいなかったし、昨年時点でわたしの周囲にそういうひともいなかったが、今後「おもしろいこと」をメインに活動していく上で、そういったことがありそうだな、となんとなく感じていた。特に顔の見えないインターネット上の人間関係では、とかく行動のハードルがひくく、暴走しがちである。すなわち、自衛として「わるいやつではなさそうだけど、ヘタに絡んで行ったらちょっとめんどくさそうだぞ」と思わせる文章を書く必要があった、ということだ。


この目論見が功を奏したのかはよくわからない。ただ、1年経ったいま、noteをきっかけに友達の輪が広がって、いまもわたしはたのしくインターネットをしていられている、という事実だけが残っている。
ばかにされることもなかったし、アクのつよい文章を書いてもそれなりに読んでもらえたのだ。そしてなにより、わたしはもう怯える必要がなくなったと言ってもいい。

そんないま、わたしがnoteに求めていることは、思うままに自分の感情を素直に吐き出せる場所としての役割だ。

ライターをしている以上、もちろんなにも考えずに文章を書くわけにはいかない。受け入れられるように、おもしろがってもらえるように。なにより「読者が読んでみたいもの」を書く必要がある。
わたしに原稿料を払っていただいているメディアのかたがたに、それに見合った成果を残さなければならない。仕事としての、責任があるのだ。

でも、noteはそうではない。自分の責任で、好き勝手に書くことができる。
もちろん、PVを意識したり、フォロワー数を増やしたい、おすすめに載りたい……などと思うのであれば、記事とおなじように考えて練って書いていけばいい。

ただ、わたしはそこまでがんばりたくない。
原稿料の発生しない、自分の趣味としての文章を書きたいのだ。自分の偏った思考をぶちまけて、発散させる場所がほしいのだ。自分のために書きたいのだ。共感なんか、されなくても構わない。おすすめもPVも、そんなことは知ったことか。


結局、1年経ってもわたしにとってnoteはいちばんにはなり得ない。記事ありきの生活のなかで、あくまでもサブの居場所だ。
更新頻度は高くないし、そんなに熱中しているわけでもないけども、それでもいまのわたしにとって、なくてはならない場所なような気がしている。

たとえば、毎日ずっと気を張って、おしゃれをしていると疲れるだろう。すっぴんで、よれよれのシャツを着たままでもすっと気軽に会えるような。そういう友達がひとりはほしいじゃないか。

そうそう、それこそ昨年はとびきりのおしゃれをして、笑顔を作って会っていたっけ。でも、もうそんな必要はないよね。1年かけて、やっとこんな関係になれたんだ。

次の1年もよろしくね。ま、なんだかんだで、頼りにしてるからさ。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #思考 #価値観 #noteでよかったこと

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただいてありがとうございます。 よかったらまた遊びに来てくださいね。 スキを押していただいたり、コメントを下さったり、Twitterで話題にしていただけたらとってもうれしいです。 ※スキはnote会員じゃなくても押せます。励みになりますのでもしよかったら。