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正しさよりも大切なのは、きっと優しさ

小さな頃、ヒーローが好きだった。
自分勝手な理由で人々を襲う悪の怪人たち。
悪を鮮やかに成敗する姿はとてもとても、カッコよかった。
ひとまず戦いが終われば、日常においても人助けをする。
それが僕にとってのヒーローだった。

悪の怪人が人々を襲う理由は実に様々だったのを覚えている。
怪人同士の社会における遊戯とするものもいれば、
彼らの理想へ向かうために襲うものもいた。
小さい頃の僕は、ヒーローは正義の味方であることを疑わなかったし、
正義の名の下であれば、暴力で解決することだって正しいと信じて疑わなかった。
大人になった今だからこそ、正義に向き合ってみたい。

正義と悪

ヒーローが登場する物語には大抵の場合、単純明快な悪役がいる。
それはもう悪の純度100%、悪という概念が服を着て歩いたような敵なので、
ヒーローは思う存分倒すことに専念できる。

でも現実は、そう単純明快なものばかりじゃない。
人それぞれの倫理観の境界に位置するような悪行は、
我々の日常に溢れている。

飲食禁止ゾーンでの飲食、ゴミのポイ捨て、自転車の二人乗り、
誰かへの悪口、SNSでの誹謗中傷。

正しい理由のもとに、誰かの小さな悪行を注意することは、
きっと大切なことなんだろう。

しかし、注意する方法があまりにも軽んじられている。
注意する方法を誤れば、正義の味方なんてのは一瞬にして悪役に転じる。

SNSの誹謗中傷はその典型である。
人が過ちを犯す。その過ちに対して自らの正義感の名の下に、
注意をしたくなる。放つ正論にたっぷり棘や爆弾を混ぜて。
正義の名の下に誰かを攻撃することで悦に浸ってしまったら
もうどちらが悪役か分からない。

正義感を誰かを殴る言い訳としないために

「それなら悪行をしている人を黙って見過ごせというのか」
怒号が飛んできそうであるが、そうは言ってない。
他人(大人)に自分の正義を行使するときには、次を省みると良いと思う。

  1. あなたのいう悪行とは、社会にとっての悪行なのか、あなた自身が気に食わないのかを省みる。

  2. 指摘される側も人間である。言葉や言い方に、棘や爆弾を混ぜていないか。

悪行を正してほしいという気持ちがあるのなら、
キツイ言い方より物腰柔らかに指摘したほう良い。
成功率も上がると思う。

柔らかく言っても直さない人は、
おそらくキツく言っても直らないどころか、暴力を受けうる
あなた自身を守るためにも、物腰柔らかに指摘した方が安全だろう。
(そこまでして注意する必要もないかもしれない)
自分の行為が間違っていたと認めるのは、勇気と体力が必要だから。

生きやすい日常を目指して、優しさに溢れる正義を行使していきたい。


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