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『読書を通して自分の内面を知る』セミナーの中の文学とは

文学は生き物

『読書を通して自分の内面を知る』セミナーのご感想をいただきました

著書を読んでくださり、私の本の読み方に共感してくださったEA様は、私のセミナーにもご参加くださいました。
ご感想は以下の通りです。

『本とは、読書とは、文学とは。言葉と文字、それを残す媒体の変化など、文学は生き物だと感じました。 特に人の体験をストレートに残すものではない物語は、たくさんの生き方を見せてくれて、それをキッカケに自己の内省に繋げることもできる。捉え方も自分次第。自分の理解度に合わせて選書することもできる、自由なものだと気づきました。 日常を送るだけでは到底触れきれないたくさんの人生に触れられるのが読書なのだと、尾崎コスモス氏のセミナーを通して考えさせられました。有意義な時間でした。
著書『読書を通して自分の内面を知る』は素晴らしい良書でしたが、出版記念セミナーもまた素晴らしい講演でした。ありがとうございました』

セミナーにご参加くださった 東京都E.A様

とても興味深いのは、『文学は生き物』だと感じた、という部分んです。
私もこのご意見にはとても共感しますが、この言葉にはとても内省がすすむ要素がたくさん含まれています。

中島敦の『文字禍』という作品の中では、「文字の霊」というものが登場します。この作品では文字は生き物のように扱われています。
その文字(言葉)というものが存在しているから、『そのもの自体』も存在している。という定義を説いているのが特徴です。

「古代スメリア人が、『馬』という獣を知らなかったのも、彼らの間に『馬』という文字がなかったからじゃ」

中島敦著「文字禍」より抜粋

という台詞がある。私たちは「馬」という言葉があるから、「馬」という動物を知っているということなのだと言っているのです。
このように、言葉が文字として存在していることが、文学全体が生き物のようなものとして捉えることができますし、文学が生き物というのは、その他あらゆることにも言えると思います。

本とは、読書とは、文学とは。言葉と文字、それを残す媒体の変化など、文学は生き物だと感じました

EA様の感想文より抜粋

『文字禍』の中でも、
「歴史というものが書かれている“石板”が歴史であり、歴史というのは石板に書かれている事しか存在しない」
という一文があります。
これは、書いてあることは文字として残されているため、書いてあることは歴史として認識できるものの、書いていない事、書き忘れてしまったことは歴史として存在していない。という主張なのです。

これは、EAさんのおっしゃるような、“それを残す媒体”という部分にあたり、この石板に然り、現代の電子書籍に然り、どんな形になったとしても文字として書かれている以上、それはそこに存在するものとして認識できると言えるのかも知れません。
しかし、石板や印刷物というのは、書き換えることができません。一度書いてしまったら、そこに永久に残るものです。一方電子書籍などの“デジタル”はいつでも書き換えることが可能で、『上書き』という機能によって、どんな情報も最新の情報として書き換えられます。

書き換えることができるほうが一見便利に映るものの、その書き換えられるという性質によって、そこに書かれたものは、とても言葉としては『軽いもの』という認識になることが避けられません。

書き換えられないというものは、その瞬間の言葉が永久に残るという意味において、その言葉の『重み』というのは図り知れません。
その言葉というのは、正に『歴史の一ページとなる』と言っても過言ではありません。

こうしたことを踏まえると、媒体によって変化はあり、その性質がそれぞれ違うことは否めませんが、それらは全て『生き物である』と言えるのだと思うのです。
そう、文学は生き物だと言えるのです。


人の生きざまを自分の人生にどう活かすか

人の体験をストレートに残すものではない物語は、たくさんの生き方を見せてくれて、それをキッカケに自己の内省に繋げることもできる

感想文から抜粋

文学には人の生き方、人の生きざまを見ることができます。
それは物語の中のことかも知れません。
しかしそこには、人の人生がある。
どんな生き方を選択していくのか、いまだに迷っている人にとっては、『ifの世界』、『もしもの世界』を見せてくれているとも思えます。

「もしも今の自分が、過去の自分と入れ替わることができたら、きっと今よりも人生が輝いていたかも知れない」
「もしもあの時、『もう一つの選択』を選んでいたら、今よりも幸せだったのではないだろうか」

こんなことは、だれしも考えたことがあるのではないでしょうか。
そんな『もしも』を見ることができる、見させてくれる、そんな世界が文学には存在するのです。
こんなにも、内省がすすみそうな題材が、他にあるでしょうか。

日常を送るだけでは到底触れきれないたくさんの人生に触れられるのが読書なのだ

感想より抜粋

文学によって体験できる様々な内容は、私たちが一生をかけて培っても得ることが難しいほどの体験が、そこには詰まっています。
何十、何百、何千、何万人という人生がそこにはあるのです。

それらの一つ一つの人生を体験することができる。
こんなに贅沢で、素晴らしい体験は他にはありません。
こんな体験ができる読書をしないなんて、そんな選択肢は存在しない。
いろいろな人の、いろいろな立場の、いろいろな人生を辿ってみたい。
心から、そう思うからこそ、読書というものが止められないのです。

そして、その追体験として得た読書体験を、一度しかない自分の人生にどのように活かしていくのか。
そこを考えていくことが、『人生を考える』ことに繋がるのです。

文学の中の人々の人生があるからこそ、自分の人生と比較することができる。
比較対象物があるからこそ、自分の人生が今、在る位置がわかる。
人生の目標を定めることができ、人生の目的地が明確になります。

自分の人生を、文学を通して見るというのは、とても楽しいことなのだということが、お分かりいただけたでしょうか。
少しでもこの思いが伝わったのなら、幸いです。

是非とも実際にお会いしたときに、私からの肉声としてこんな思いを伝えられたら、とても素晴らしい出来事として、私の人生に刻まれるでしょうね。

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