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玉川上水を歩く 5

 中学生になった筆者がついに羽村の堰に到達した歓喜の記憶、そして50年を隔ててこの春高井戸~三鷹の再踏査を試みたこと、それらを先月投稿した。これをもって、玉川上水への執着を文字にすることは一区切り、終わりにしようと思った。もう、付け足すことはない、と考えたはずであった。ところが、先日、朝刊一面のコラム(1)に寺田寅彦の文章が紹介されているのを読んだ、読んでにわかに、もう一回だけ投稿をしたい、玉川上水のその後を書きたい、そんな欲求が惹起されてしまったのである。  強い地震のため

    • 玉川上水を歩く 4

       筆者がついに羽村の堰に到達したのは、中学校に進学した9月のことであった。玉川上水にとり憑かれて足掛け3年、念願のゴールに達したのである。  ともにゴールインした盟友はN山氏、筆者にもまして玉川上水探検に熱情を捧げた相棒である。なにしろ、小学校卒業の時点で隣接する他県へ転出していた彼はその日の朝、長距離を厭わず三鷹駅へ姿を現し、筆者と共に歩き出したのであった  残念ながら、例によって途中の光景の記憶は残っていない。気の置けない親友との上水歩きを心往くまで楽しんだのであろう。三

      • 玉川上水を歩く 3

         半世紀余りも昔の、小学4年生だった筆者の旧玉川上水路遡上探検は、それは刺激的なものであった。幡ヶ谷から代田橋への2km、八幡山までの7km余の歩みが、かけがえのない体験としていまだに心に残っているのである。そして当然さらに探求は続けられたのであった。そう、下村湖人『次郎物語』を手にしたのはそれより後だったろうか、作中に「筑後川上流探検」というエピソードが登場する。それは「無計画の計画」とされる主人公たちの冒険であり、筆者の実践はその足元にも及ばぬ些細なものでしかないが、子ど

        • 玉川上水を歩く 2

           小学4年生のわずか2㎞余りの探検は、確かにささやかなものであった。しかし多大な興奮をともなって、知的興味と世界の広がりとを少年だった筆者に味合わせた。これをここで終わらせてはいけない、その先をきちんと見極めたい…。とはいえ全長43kmを歩けるなどとは思わない、兎も角、行けるところまで歩いてみたい、と仲間と相謀って次なる計画を立ててみた。今度は家族にも協力してもらい、休日に弁当を携えて朝から歩いてみよう、とのプランである。水路沿いに行くならば道に迷うこともあるまい、大人たちも

        玉川上水を歩く 5

          玉川上水を歩く 1

           かれこれ50年の昔、小学4年の社会科では『わたしたちの東京』という本を使って授業が進められた。その中に「玉川上水」に関する記述があった。江戸市中の人口増大に対し幕府の行った一大インフラ整備事業であり、当時の人々の知恵と工夫と苦労とが描かれてあった(のだろう)。十歳の幼き筆者は、この教材に触発され行動を起こしたのである。  掲載された水路図によれば、筆者の当時の自宅の近くを通っていたことになる。最寄りの京王線幡ヶ谷駅の南側に古びた空堀があったことはなんとなく知っていた。あれが

          玉川上水を歩く 1

          東武東上線 各駅停車 10

           東武東上線の「特に気になる」九つの駅について書いてきた。  今回は、「やや気になる」いくつかに触れてこの稿を終えようと思う。 中板橋  東上線が初めに開業した1914年、東京都内(当時は東京府)にあったのは、池袋、下板橋、成増の三駅、一か月ほど遅れて上板橋が開設された。次いで1927年に設置されたのがこの駅である。かつての川越街道上板橋宿に近接しているものの、上と下の両板橋の間にある、という程度の意味で中板橋と名付けられたのだろう。  東上線が開通すると、石神井川鉄橋か

          東武東上線 各駅停車 10

          東武東上線 各駅停車 9 上板橋

           東武東上線が池袋~田面沢間で開業したのは1914年5月1日である。それに約一か月半遅れて開設されたのが上板橋駅であった。1914年6月17日のことである。本線開通に駅開業が間に合わなかったのには何らかの都合があったのであろう、駅舎工事に手間取ったのかもしれぬ。  筆者が疑問に思うのは、その位置である。上板橋ときけば、旧川越街道の宿場、上板橋宿を連想する。以前、下板橋駅の稿に「板橋宿(下板橋宿)」と思わせぶりな書き方をした記憶があるが、すなわち下板橋村の宿に対し川越街道上板橋

          東武東上線 各駅停車 9 上板橋

          東武東上線 各駅停車 8 小川町

           霞ヶ関、と言えば中央官庁の集中する国家経営の中枢であることに異論はなかろう。しかし1958年地下鉄丸の内線に霞ケ関駅が開業するまで、霞ヶ関という駅は東武東上線にしか存在しなかった。1930年から名乗っていたのだから、こちらの方がだいぶ先輩である。省庁を訪ね、川越市の方はずれの駅に降り立った人のエピソードを、ひとりならず聞いたことがある。  と、ここまでは前振り。本題は小川町である。1923年11月に東上線小川町駅は開業している。一方、都営地下鉄新宿線の小川町駅開業は1980

          東武東上線 各駅停車 8 小川町

          東武東上線 各駅停車 7 武蔵嵐山

           武州松山延伸の翌月、1923年11月5日にはさらに小川町まで開通している。これに先立つ1920年に高崎-渋川間の鉄道敷設免許が失効しており(寄居-高崎間は1924年に失効)、延伸を急いだものと思われる。武州松山-小川町間に設けられたのが菅谷駅、現在の武蔵嵐山駅である。川越児玉往還に形成された菅谷宿に位置し、当時の菅谷村の玄関口となった。  1928年に「日本の公園の父」と称される本多静六博士が、菅谷村の南を流れる槻川と付近の山波の景色を「武蔵嵐山」と称えたことにより、その美

          東武東上線 各駅停車 7 武蔵嵐山

          東武東上線 各駅停車 6 東松山

           東松山駅を最寄り駅とする、ともに百年ほどの歴史を有するふたつの県立高校がある。松山高等学校と松山女子高等学校である。創立以来の長い伝統を誇るだけに、全国レベルのステージに立つことも多い両校だ。しかしその校名を聞く人は、てっきり四国の学校だと思ってしまう、のだそうだ。  比企郡松山町が1954年に周辺4か村と合併、市制施行にあわせ愛媛県松山市との混同を避け「東」を冠した。しかし以来70年になろうとするが、近在の人々は今でも「松山」との呼称を愛する。四国の松山は「まつやま」とツ

          東武東上線 各駅停車 6 東松山

          東武東上線 各駅停車 5 坂 戸

           池袋~田面沢間で開通した東武東上線が、坂戸町まで延伸したのは1916年のことであった。軽便鉄道として運用されていた川越町~田面沢間は本線に格上げされ、かつ田面沢駅は廃止、新たに入間川を越えた地点に的場(現在の霞ヶ関)駅が開業した。川越町から坂戸町まで9.1kmの新線である。  東上線はそもそも川越児玉往還に沿って計画されていた、と以前書いた。児玉往還、現在ではあまり用いられない名称ではあるが、その道筋をたどることはできる。川越市の市役所前から西へ、札ノ辻、進路を北西に変え石

          東武東上線 各駅停車 5 坂 戸

          東武東上線各駅停車 4 上福岡

           東上線のそもそもの計画は、かつての川越児玉往還に沿うように、東京から上州藤岡、さらに渋川へと延びるものであった。(「東上線」という名称もそのことに拠る)。実際、現在も都内区間を見る限り、東上線軌道と旧川越街道とは、200mと隔たらず、ほぼ並行して走っている。  ところが埼玉県下に入ると両者の間が離れていくのだ。以前「東上線は池袋から概ね北西に伸びているが、和光市~朝霞間で大きくカーブし、朝霞付近では進路をほぼ北に向けている。」と書いたが、朝霞台~柳瀬川の区間では2kmほども

          東武東上線各駅停車 4 上福岡

          東武東上線 各駅停車 3 朝 霞

           急行が朝霞に停まる!  この春東上線で画期的なダイヤ改正が行われた。急行列車がついに朝霞駅に停車することになったのである。  朝霞駅といえば東上線開通と時を同じく、1914年に開業した実に由緒正しい駅で、当時の村名の通り「膝折駅」として開設されたのである。それに比して隣接する和光市駅の開業は、ずっと下って1934年(当時、新倉駅)、さらに朝霞台駅に至っては1974年の開業である。はるかに古参の朝霞駅に停車するのが普通・準急のみである一方、他社線との乗換駅である両駅には、急行

          東武東上線 各駅停車 3 朝 霞

          東武東上線 各駅停車 2 下赤塚

           池袋を発車した東上線下り急行列車が最初に停まるのは成増である。成増駅周辺の沿線風景は起伏に富んでおり、大地のうねりを俯瞰できる一帯である。この駅を出るとじきに白子川を越え列車は埼玉県へと入っていく。筆者のような東上沿線埼玉県民の多くは、「池袋の次は成増である」と認識している。急行列車が通過してしまう8つの駅に埼玉人たちが関心をもつのはたいへんに難しい。  とはいえ、朝の通勤時間帯など、この通過区間においても過密ダイヤに因るノロノロ運転が発生し、窓の外を見てどの辺まで来たのか

          東武東上線 各駅停車 2 下赤塚

          東武東上線各駅停車 1 下板橋

           この駅を一番最初に取り上げるのは、この駅への敬意からである。鈍行列車しか停まらぬ池袋から二つ目の目立たない存在であるが、下板橋駅は東上線が池袋~田面沢間で開通した1914年5月1日に開業している。東上線で最も古い歴史を持つ駅の一つなのである。のみならず、池袋~下板橋間は軽便鉄道法に基づく連絡線との位置づけで開通しており、私設鉄道法上の始点は下板橋だったのである。そして長く貨物輸送の拠点でもあった。広い構内には移設されてきた「東上鉄道記念碑」が建つのである。現在八つもの駅があ

          東武東上線各駅停車 1 下板橋

          里 歩 記  竹内啓のこと

           以前からとても気になる場所があった、栃木に。おそらく写真を見たのであろう。山の中腹に清水の舞台さながら懸崖造りのお堂があり、そのふもとに美しい水をたたえた池が広がる。いつか行ってみたいと思っていた。名を出流原という。  栃木の地図を広げドライブルートを考えてみた。どう行こうか。県西部をざっと眺めまわしていたところ、とある文字に目が留まった。出流山。おや、自分が探しているのはここかな。いや違う、出流原は佐野市。出流山は栃木市。名は似ていても別の場所だ。けれどこれも何かの縁であ

          里 歩 記  竹内啓のこと