東武東上線 各駅停車 8 小川町

 霞ヶ関、と言えば中央官庁の集中する国家経営の中枢であることに異論はなかろう。しかし1958年地下鉄丸の内線に霞ケ関駅が開業するまで、霞ヶ関という駅は東武東上線にしか存在しなかった。1930年から名乗っていたのだから、こちらの方がだいぶ先輩である。省庁を訪ね、川越市の方はずれの駅に降り立った人のエピソードを、ひとりならず聞いたことがある。
 と、ここまでは前振り。本題は小川町である。1923年11月に東上線小川町駅は開業している。一方、都営地下鉄新宿線の小川町駅開業は1980年3月、半世紀以上の歴史の違いがある。霞ヶ関に輪をかけて、東上線小川町こそ“正統”を自負したい。霞ヶ関については、どちらもそれぞれ、鎌倉時代に存在した「霞の関」に由来した伝承に基づいた地名であるらしい。ただ、霞の関がどこにあったのか定説はないそうだ。まして小川町にいたっては、双方に関係性は希薄であり、本家も家元も争いようがないらしい。

 武蔵嵐山を出ると、東上線の車窓は一変する。それまでは林や畑が広がる中を走ることはあっても、また、やや高い台地から川や田圃を見晴らすことはあっても、おおむね平らな土地や、あるいはなだらかな大地の起伏を、多くは住宅地、商業地、事業所などを散見しながら、西へ、北へと線路をたどってきた。ところが武蔵嵐山を出、住宅の広がりと小学校の建物を見送るとすぐに山に入るのである。山あいを右に左に縫いながら電車は走る。国道と近づき、離れると、森に包まれた溜池や狭い耕作地なども現れる。谷を隔てて高台に造成された住宅団地などを見上げて走りもするが、線路はそれに関りを持とうとしない。やがて進行方向左手に山々の連なりを背景にした盆地が見下ろされるようになり、徐々に高度を下げていくと架線のないJR八高線の築堤と鉄橋が頭上をまたいで、小川町に到着するのである。この間7km、約7分。
 この、森を抜けてささやかな盆地が静かに見下ろせる瞬間が、なんということもなく好もしい。周囲を低い山々に囲まれたこの町が「小京都」と称される雰囲気にも癒される。
 小川町でまず触れるべきは、特産品の手漉き和紙「細川紙」の技術が、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことだろうか。2014年のことである。夏の風物詩「小川町七夕まつり」も、小川和紙普及を願って1949年に始められたそうだ。この和紙と生糸産業とで古くから物資集散の土地であった。「小京都」とは、歴史の積み重ねを湛えたこの土地ならではの呼称であろう。その歴史を伝えるかのように割烹「福助」は、昔の建物のまま街道に面する。名物は「女郎うなぎ」。田山花袋はここ福助に泊まった情景を「秩父の山裾」に書き記している。
 花袋を遡ること700年の昔、鎌倉時代に「万葉集注釈」をまとめ上げた仙覚という偉大な学僧がいた。一説には比企氏の流れをくむ人ともいわれる。万葉集が今日のように訓読できるようになったのは、この人の業績に因るところ大だそうである。戦乱の鎌倉を避け比企のこの地で研究を深め大著を完成させたという。その偉業を伝えるべく大きな「仙覚律師遺蹟」の碑が八幡が岡に残る。それにちなんで駅前から続く道路には、和歌を記した案内板がいたるところに設置されている。自ずから歴史の流れに足を踏み入れる思いである。
 仙覚律師まで遡らずともよかろう、そもそも小川町には活気が溢れていたのだろう。今でも造り酒屋が健在である。「晴雲」「帝松」、比企に名をとどろかす銘柄だ。「武蔵鶴」が休業なのは心配だが、近年は「武蔵ワイナリー」も活気を呈す。なにより「八百幸」「島村呉服店」から発展した「ヤオコー」「しまむら」を知る人は多いであろう、どちらも小川町で創業した元気な企業である。筆者の青年期まで埼玉西部の金融界を担っていた「小川信用金庫『おがしん』」がなくなってしまったことがつくづく淋しい。
 正直、小川町駅を降りて街を歩くと、空間がとても多く「大丈夫だろうか」との思いにとらわれてしまう。「シャッター」すら降ろせない、すき間が多くなってしまったのが現状ではある。けれど小川町の底力をこれからこそみせてもらいたい。仙元山ローラーすべり台も、げんきプラザも健在だ。社会人野球で活躍していたHONDAが「小川町・寄居町」を脱し東京所属になってしまうのはとても残念であるが、隣の寄居町にはHONDA提供の「みなみ寄居」駅もある、今後に期待できるではないか。
 もしも、筆者の note に以前触れた方ならば、「里歩記 顕彰碑」を思い出していただきたい。2年前の記事である。小川町の八宮神社背後の園地に神部千三、神部俊男さんの顕彰碑があった、と書いた。信盛堂という文具店で成功をした俊男さんの生地が大正末年の神田小川町だったとの記録である。
 ふたつの小川町の間に何らかの由縁があるか否か。本家も家元も問わなくてよかろう。

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