東武東上線 各駅停車 9 上板橋

 東武東上線が池袋~田面沢間で開業したのは1914年5月1日である。それに約一か月半遅れて開設されたのが上板橋駅であった。1914年6月17日のことである。本線開通に駅開業が間に合わなかったのには何らかの都合があったのであろう、駅舎工事に手間取ったのかもしれぬ。
 筆者が疑問に思うのは、その位置である。上板橋ときけば、旧川越街道の宿場、上板橋宿を連想する。以前、下板橋駅の稿に「板橋宿(下板橋宿)」と思わせぶりな書き方をした記憶があるが、すなわち下板橋村の宿に対し川越街道上板橋村には「上板橋宿」が置かれていたのだ。
 中山道でも有数の賑わいをみせた板橋宿とは違い、ささやかな宿場だったらしい。参勤交代で通る大名家も川越藩のみで本陣さえもなかったそうだ。現在の板橋区弥生町がその地であり、旧宿場筋を歩けば昔の建物こそ残ってはいないものの、そこはかとない旧街道の面持ちが感じられてくる。案内板も設置されており、宿の西端の下頭橋に残る六蔵伝説などにも興をそそられる。
 さて、下頭橋が石神井川にかかる、ということは、この弥生町の最寄り駅は中板橋だということ、このことが気に掛かるのだ。東上線の開業と同時に下板橋駅が設置され、少し遅れて、上板橋宿とはかけ離れた場所に上板橋駅が設けられた。この間の経緯やいかに。
 推論してみよう。下板橋駅は東上線の0kmポストを擁する法律上の起点駅である。だから開通当初からそこに無ければならぬ。途中通過する上板橋村でも駅誘致の機運が高まった。だが上板橋宿が宿場の役目を終えてすでに半世紀弱の時間が経ち、駅誘致の中心となる村の有力者たちには現在の上板橋駅の場所こそが好都合であった。上板橋駅から現在の川越街道(国道254号)へ出るとそこに「五本けやき」が残る。解説によればそこはかつて村長を務めた人物の地所だったという。つまり、そもそも宿場と上板橋駅との間に深い関りはなかった。
 現在、駅前にロータリーがあり路線バス乗り場があるのは北口である。南口を出ると線路沿いの細道と、駅から真っ直ぐの歴史のありそうな細い商店街、そこを大勢の人々が行き交う。車などとても近づけなさそうにさえ見える。しかし駅開業当時設置されていたのは南口だけだったそうだ。旧川越街道に沿った一帯の人々がこの駅を必要としていたのではあるまいか。
 時は下って1930年、現在の陸上自衛隊練馬駐屯地の場所に陸軍造兵廠練馬倉庫が置かれると、追って上板橋駅で東上線から分岐する陸軍専用線が1943年敷設される。敗戦後、米軍のグラントハイツ(現光が丘)まで延伸し東武啓志線として旅客輸送も行われていた。東上線内で池袋を除けば都内唯一のターミナル駅だったのである。それだけではない、実現はしなかったものの、東武伊勢崎線と東上線とをほぼ環七沿いにつなぐ「西板線」との連結駅としても上板橋駅は計画されていた。なかなかに重要な役割を期待された駅ではあったのだ。そしてついに、2023年3月のダイヤ改正によって準急列車が上板橋駅に停車するようになった。実に画期的な出来事である。さらに「上板南口銀座」を含む大規模な再開発事業が現在すすめられており、先に述べた商店街の景色も近々姿を消すであろう。上板橋が新時代を迎えようとしている。

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