東武東上線 各駅停車 7 武蔵嵐山

 武州松山延伸の翌月、1923年11月5日にはさらに小川町まで開通している。これに先立つ1920年に高崎-渋川間の鉄道敷設免許が失効しており(寄居-高崎間は1924年に失効)、延伸を急いだものと思われる。武州松山-小川町間に設けられたのが菅谷駅、現在の武蔵嵐山駅である。川越児玉往還に形成された菅谷宿に位置し、当時の菅谷村の玄関口となった。
 1928年に「日本の公園の父」と称される本多静六博士が、菅谷村の南を流れる槻川と付近の山波の景色を「武蔵嵐山」と称えたことにより、その美しさを愛でようと大勢の観光客が訪れるようになったそうである。有名になり乗客が増えてうれしいのは交通機関である。東武鉄道は駅を1935年に現駅名に改称する。景勝地へみなさんいらっしゃい、というわけだ。それを歓迎しない人々もあり、地元菅谷村議会は、駅名を元に戻すよう要望したが叶わなかったようである。むしろ町制施行に合わせ1967年「嵐山町」を名乗るようになる。
 駅開設から89年間、永らく単線であったのだが、2002年ついに複線化される。これは、東武鉄道の大規模住宅分譲事業に伴うもので、「つきのわ駅」の森林公園-武蔵嵐山間への新設と同時に行われたのであった。そのことにより、それから数年の間、武蔵嵐山駅を始発、終着とするダイヤも組まれたりもした。現在は武蔵嵐山-小川町間の「嵐山信号所」まで複線化され、池袋から運行される10両編成の列車は小川町が終着駅となっているが、複線区間の駅としては武蔵嵐山駅が最奥といえよう。
 先の嵐山渓谷を始め、この駅周辺にみどころは多い。畠山重忠ゆかりの菅谷館跡、源義仲にまつわる史跡群、オオムラサキの里、国立女性教育会館、鬼鎮神社ほか名の知られたスポットが点在する。そこで敢えてあまり知られていないであろうオススメを紹介したい。
 城に詳しい人々には釈迦に説法であろうが、比企郡一帯には戦国時代に城塞化されたであろう軍事拠点としての城跡が数多い。比企城館跡群として国史跡に指定されたもののうち3件がこの駅に近いのだ。上で触れた「菅谷館跡」はいうまでもないが、駅から北西へ約2.5kmに「杉山城跡」、南西へ約3kmの槻川をこえたところに「小倉城跡」がある。杉山城も小倉城も、規模は決して大きくはないが、攻撃にも守備にもさまざまな工夫が凝らされた山城であり、保存状態もよい。杉山城については、城好きの間では「築城の教科書」とまで高く評価されている。
 城跡が人文系のみどころとすれば、自然史系の名所もご紹介したい。小倉城の山裾を流れ、城を天然の要害と形づくっているのが槻川であるが、ここにはポットホール、甌穴がいくつもできているのである。なかでも自然の造形力に驚かされるのが「遠山甌穴」だ。人がすっぽり入れてしまうほどの穴が岩にいくつもあいている。そして今なお甌穴形成は進行中だという。だとすれば、今現在の姿は今しか見ることができない、ということにもなる。「東武東上線 各駅停車」と題して綴っているわけだから、ぜひとも東上線を利用して訪ねたいところだが、武蔵嵐山の駅からの交通手段もなく、気候のよい季節なら歩いて巡るのも気持ちよさそうだが、気軽に訪ねるには車利用となろうか。遠山甌穴には駐車場も整備されていて有難い。
 ご当地グルメ「嵐山辛モツ焼そば」もぜひご賞味されたい。

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