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「C' mon C' mon」は現代における「おまじない」

「大人になり、旅をし、仕事をする。もしかして子供や孫を持つだろう。長年理解しようとする、幸せで悲しく、豊かで空っぽな、変わり続ける人生の意味を。そして、星に還る日が来たら、不思議な美しい世界との別れが辛くなるだろう。」

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映画『C'mon C'mon』をようやく観てきました。
今回は私の可愛くて仕方がない後輩と一緒に観てきたのですが、劇場を後にしながら「ひろさん、泣いてました?」と、痛いところを突かれてしまった私です。笑

俗にいう「感動もの」に全く心動かされない私ですが、本作では思わず視界をにじませてしまいました。淡白だけど人間味があって、ものすごく醜いのに美しい本作。ぐさっと、来ましたね。

マイク・ミルズ監督『C' mon C' mon』
主演はあのジョーカーでお馴染み、ホアキン・フェニックスと、13歳の新星ウディ・ノーマン。
ラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン)が仕事の傍ら、9歳の甥ジェシー(ウディ)の面倒を見る中で、子育ての厳しさと様々な驚きに直面するヒューマンドラマです。全編ほぼ2人の会話劇で織りなすストーリーは、映像を見るというより、「対話」を見る、なんて言えるのではないでしょうか。

物語の転換は、そんなラジオジャーナリストの仕事として、アメリカ合衆国の東西南北を周り、子供たちにインタビューをすること。なのですが・・・どうやらこれは台本ではなく、本当にホアキン自身がマイクを持って実際にインタビューを実行していた模様。今を生きる子供たちの生の声、ですね。そんな生の声を織り交ぜた劇映画、限りなくノンフィクションに近い寓話という構成は、まさに私の大好物でした。

少し話が逸れるかもしれませんが、映画に限らず、私はしばしば”作品”を鑑賞する際に、作り手の視点を意識しすぎてしまう節があります。
それはドキュメンタリーや歴史書であったとしても、誰かの手によって”創作物”として世に出された以上、それにはその作り手の意思が入り、意図があり、何かしらの感情が組み込まれたものだと思ってしまうからです。それを極限まで感じ取りたいと思う私は、いささか傲慢であると自覚しながらも、そうして作り手が他者に伝えるために、言語化したり因数分解したり、脚本に落とし込んだりスケッチをして一般化することに、並々ならぬ愛を感じ、なかなか言葉にはできませんが、どこかで作り手と繋がるような豊かな感覚を得られるのです。

さて、その点本作は非常に淡白です。
どの場面にも温もりを感じつつ、どこか熱量は小さく、嫌というほど観客に訴えかけてくる様子は微塵もありません。そう、どこか我々はこの物語を俯瞰して見させられているようなんです。
それはもしかしたら、単に白黒という映像表現による影響かもしれません。はたまた、登場人物視点の映像がなく、常に誰かの会話劇を外から聞いているかのようなカメラワークの影響かもしれません。
もしくは・・・我々が地球外の星に住む子供で、地球で成長しながら人間が生きることの意味を理解しようとしているからかもしれません。

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本作の見方は、おそらく観た人の数だけ存在することでしょう。
親目線や子目線で見れば、それは間違いなく親子の関係が表出してくるでしょうし、ホアキンとウディの関係を見れば、もう少しマクロな視点で、大人と子供という関係が見えそうですかね。さらに、ホアキンのインタビューに着目すれば、それは過去と未来や、自由と責任、貧富や幸福、自然、地球、そして個人など、ミクロにもマクロにも、その視点は縦横無尽に広がりを見せることでしょう。

私は冒頭に、本作で印象的に引用されていた絵本の言葉を書いてみました。
「大人になり、旅をし、仕事をする。もしかして子供や孫を持つだろう。長年理解しようとする、幸せで悲しく、豊かで空っぽな、変わり続ける人生の意味を。そして、星に還る日が来たら、不思議な美しい世界との別れが辛くなるだろう。」

こちらはアメリカの作家、クレア・A・二ヴォラによる絵本の中の一節だそう。
地球外に住む星の子供が地球に憧れ、人間の子供として生まれ直し、そこで人生を終えて星に還るまでを綴った物語です。

本作でこの一節を引用した意図はなんでしょう。
単なる家族映画を撮りたかっただけで、この引用があるでしょうか。

私は、この混沌とした世の中を生き抜くためには、視野を、世界を、広げ続けるしかないという、厳しくも背中を押してくれるメッセージな気がしてなりませんでした。

確かに日々の生活で直面する悩みは、身内のトラブルで家事が進まないとか、なんだか分からないけど距離を置いてしまった仲間との関係とか、誰のことが好きか嫌いかとか、そういう問題な気がします。けれど、ジェシーに言わせて見れば、それもすべて「BLAH, BLAH, BLAH」なことでしょう。

もっともっとみんな人間臭くて、複雑な感情が混在してて、だからこそ絶対に分かり合えない人がいるのも当然で、それによって山積していく問題があるけれど、やっぱり私たちは「C' mon C' mon」と生きていくんだから、その衝突を恐れてはいけないんだと思うわけです。

そうして視野を、世界を広げた先には、もしかしたら本作のように色味のない、どこか俯瞰した、淡白な情景が待っているのかもしれません。
しかし、それは決して暗く寂しいものではなく、温もりのある誠実な姿として映るのではないでしょうか。

絵本の一節のように、世の中の神羅万象は表裏一体です。
これは私個人的にも常々意識していることです。
「C' mon C' mon C' mon C'mon……..」そうして言葉を交わしていくしかないんです。それは時に、人に頭を下げることや、恥ずかしさを見せることになるかもしれませんが、それがなんでしょう。世の中は表裏一体、謝る裏には何があって、恥部を見せる裏には何があると思いますか。


さて、本作で軽率に涙を流した私ですが、この涙はまさに「伝えること」の美しさを体現していることに対してでした。
上述の表し方では、なりふり構わず意思表示をしよう!なんてメッセージにも受け取られてしまいそうですが、決してそういうことではなく、何をどう伝えるかを繊細に繊細に描いていることに、なぜか泣けてきてしまいました。

人の心の奥底を見つめる、というと何やら胡散臭い感じがしますが、”作り手”の意図を探るように、対人への関わり方を様々な角度から様々な方法で見せてくれる本作は、かけがえのない1作であると同時に、どこか自分自身の姿をも客観的に見せてくれる力があります。それは皆さんの過去か現在か未来の姿かは分かりませんが、劇中で4つの都市を回るように、きっとあなた自身における多数の側面が映画を通して映るのではないでしょうか。


映画鑑賞後、「ひろさん、泣いてました?」と、まさしく後輩に私の恥ずかしい部分を見られたわけですが、その裏で「僕も分かります」とボソッと呟いた後輩の姿がありました。


「C' mon C' mon」は、人を未来に導く、現代のおまじないなのかもしれません。


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