見出し画像

居心地の良さに懸念

自分とは違う意見を持つ人を「アンチ」としてひとまとめに扱う人がいる。暴言だけの人、嫌がらせ目的な人、無礼な人、会話が成り立たない人、思い込みだけで反対してくる人など、こういった人はたしかに無視をしても問題がないと思う。

しかし、""まともな指摘""までも「ただのアンチ」として聞く耳を持たない人がいる。それは違うんじゃないかな。

自分を承認する意見だけを取り入れていると、成長する機会を逃してしまうと思う。



注意されない(怒られない)職場は居心地が良いし、できればそういった環境にいたいと思う。

ただ、その環境がどういったことを意味するかというと、あるレベルまで自分が成長していないといけないということと、気付きの機会が少ないということ。



私がエンジニアをやっていた頃、同時期に現場配属された方がいた。申し訳ないけどその方は、会話、思考、態度、業務、どれもあり得ないくらいレベルが低く、エンジニアとしては機能していなかった。

しかし、誰も注意はしない。「今更そのレベルを注意している段階ではない」からだ。結局その方は会社からすぐに契約を切られた。

注意をされないとはそういうことだ。「注意をされてから改善すれば良い」なんてチャンスもなく、切られて終わりということがある。

もしかしたらその方は障害を持っていたかもしれない。それならしょうがない部分もあるしかわいそうな気もするけど、ここで言いたいのは「注意されない環境は、気付きの機会が少ない」ということと、「注意されない環境にいて、自分で気づけない人は間違えに気づかないままになる」ということ。だから、まともな注意をしてくれる方がいるときに、成長しておく必要があると個人的には思う。



私はかなり厳しい環境にいたから注意されまくって嫌な思いをしたけど、今はとても感謝している。

思い返したくないほど私はクズだったし今よりもさらに無能だった。あんな状態で今まで生きていたらと思うと怖くなる。

厳しくしてくれた先輩方には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。まぁ当時は殴って辞めようかなとかも考えてたけど(笑)。時間が経ってみないとわからないものだね。



私がWEBマーケターの頃、その現場はさらにひどかった。小学生のほうが賢いんじゃないかというレベルの人が数人いた。

「自分のことは棚に上げる」「他人だけに厳しい」「誰かの悪口だけで終わる会議」「説明とは呼べない一方的な発言」「都合が悪いとキレる」「高圧的なうえに仕事ができていない」「提案もせず文句だけ」など、まぁ挙げればきりがない。

驚いたのが、その方々は社会人10年目だったということ。うわぁ~~って思った。あちゃちゃ~~って感じ。

誰にも注意されずにここまできたのかな。自分があんふうになっていたらと思うと怖かった。おそらくだけど、「注意されない = 自分はできている」と勘違いしていたのかもしれないね。



だから、指摘とは呼べない暴言みたいなものは無視してもいいけど、まともな指摘や違う意見はいったん受け入れてみるのもいいんじゃないって話。「怒られているうちが花」みたいな話かな。



最近「noteは居心地が良いな」と感じている。

やんわりとご指摘してくださる方がたまにいるからいいけど、私を承認する意見だけになってしまうのは怖いなと思う。

人のことをこうやって言ってるけどさ、
ちゃんと気づけるのかなって心配なんよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?