西村修一

還暦も過ぎて  余生にはいったことだし いろいろと振り返ったり 考えたたりしたことなど…

西村修一

還暦も過ぎて  余生にはいったことだし いろいろと振り返ったり 考えたたりしたことなどを。写真やら 音楽やらも。  1959年 京都生まれ 1968年~ 大阪在住 1984年~ 東京在住

マガジン

  • 三猫物語

    わが家の三猫さま、そら、なみ、とら、いろいろと、教えられることや、考えさせられることや、もちろん愛らしいところや、そんなこんなの物語です。

  • あの名曲を歌ってみる

    1950年代から1980年代くらいまで、ポップミュージックは飛躍的な変遷を遂げ、数々の名曲が生み出されました。まったく個人的な趣味で、これは名曲だなあ、歌ってみたいなあ、というようなものを、下手の横好きよろしく、すこしやってみたいとおもいます。老人のご愛敬ですので、ご容赦を・・・。

  • 射影の森 ことばの森を逍遥する

    いろいろと考えたことの断片を、気になる風景とともに、ぼちぼち、すこしづつ書いてみたいと思います。

最近の記事

【三猫物語】<その23> ちょっと切ない、保護猫の依頼

ある日、保護猫会「ねこのしあわせ」ホームページに、こんな問い合せが入った。病気で入院が決まったので、同居する2頭の猫を引き取ってもらえないか?というものだった。 黒田さんに相談すると、「責任を持って飼うのが原則だから、そういう場合は自分で探すべきだ」という返事。まあ、この手のものに、いちいち対応しているとキリがないというのも、わからなくはない。 とはいえ、困っている様子なので、話だけでもきいてみることに。二人暮らしのご夫婦で、夫は難病による障がいがあり、だいぶ以前から自立

    • 【三猫物語】<その22> やばい!ついに病気か?

      「そら」も「ナメコ」も子猫からうちにいて、とくに不調はなく、ワクチン接種以外のことで、病院に行くことはなかった。 「とら吉」は、保護したときに成猫だったから、年齢不詳。その時点で、少なくとも6歳以上と言われたので、まあ「そら」「ナメコ」よりも5~10歳は年長だろうと思われる。 ちなみに、「とら吉」だと言いにくいので、いつしか呼び名は「とら」になった。つまり、「ナミ」は「ナメコ」に、「とら吉」は「とら」になったのである。「そら」は「そら」だけれど。 「とら」の猫エイズ陽性

      • 【三猫物語】<その21> 猫は、崇高?

        当たり前だけれど、猫にも個体差があり、それぞれ性格がある。 よくネットでも話題になっているけれど、毛色と性格に関係はあるのだろうか? 一般には、白が多いと気が強く、黒が多いと穏やかだ、といわれるようだ。 もちろん統計的な話をするほど、ぼくはたくさんの猫を知らないので、とりあえず、うちにいる三猫にかぎって考えてみる。 「そら」はキジトラ、「ナメコ」は茶白、「とら吉」は茶トラである。この三頭を比べた場合、色柄からいえば、「キジ」と「茶」に分かれる。 「茶」が2、「キジ」が1

        • 「キツネ狩りの歌」 中島みゆき Cover <あの名曲を歌ってみる>

          https://www.youtube.com/watch?v=dzbzn4XgvIw これは、中島みゆきの7作目「生きていてもいいですか」に収録されている。 このアルバムでは、「うらみ・ます」からはじまって、「蕎麦屋」「船を出すのなら九月」「エレーン」など、ディープな中島みゆきの世界が展開されている。たぶん中島みゆきの「暗い」というイメージを、かなり印象付けた作品だろうと思う。 3曲目の「キツネ狩りの歌」は、アレゴリカルな内容の歌詞で、このアルバムのなかでは明るい曲調

        【三猫物語】<その23> ちょっと切ない、保護猫の依頼

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          23本
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          19本

        記事

          「サルビアの花」早川義夫  ~深い喪失感をうたった歌~ <あの名曲を歌ってみる> Cover

          1972年、「もとまろ」という女性3人組が歌って、それなりにヒットした。けれども彼女たちはプロになるつもりがなく、これ1曲のみで表舞台から消えてしまった。 作曲したのは、元ジャックスの早川義夫。詞を書いたのは、彼の友達だという相沢靖子。早川義夫のソロ・デビュー・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』に収録されている。その後は、ライブでも歌っていて、彼の代表曲といっていい。 さすがに、だれもが知っている名曲、とは言えないだろう。この曲を知っている、そして好きだ

          「サルビアの花」早川義夫  ~深い喪失感をうたった歌~ <あの名曲を歌ってみる> Cover

          【三猫物語】<その20> なかなかムズかしい猫関係

          「そら」と「ナメコ」は、はたして仲良しなのかどうか?人間関係ならぬ猫関係も、なかなかフクザツである。 「そら」が先住猫で、そこへ「ナメコ」が来た当初、「そら」は当然、新入りに対する警戒感にみちていた。とはいえ、ケンカになるほどではなかったから、まあ相性は悪いほうではなかったのだろう。 それから、半年~1年くらいだろうけれど、おなじ猫ベッドでいっしょにいる光景が目撃されるようになってきた。だいたいは、「ナメコ」が「そら」の後を追いかける。妹がお姉ちゃんの後をついて歩く感じだ

          【三猫物語】<その20> なかなかムズかしい猫関係

          【三猫物語】<その 19> いよいよ三猫物語

          ・・・というわけで、里親が見つかるまでの居候ということで、「とら吉」が新たに加わって、「そら」「ナメコ」「とら吉」の三猫生活がはじまった。 しばらくの間、「とら吉」は、ほぼ2階の四畳半で暮らしたので、他の2頭との接触はあまりなかった。 とはいえ、なにせ「とら吉」は、人懐こいので、とにかく人のいるところへ行きたがる。なにかというと隙を見て、自分の部屋から出たがる。うっかりドアを開けると、すかさずその隙間から、スルリと外へ出てしまう。 「あっ」と言う間もなく、階段を駆け下りて

          【三猫物語】<その 19> いよいよ三猫物語

          【三猫物語】<その 18> 無知であることの罪

          「とら吉」は退院して、わが家へやってきた。もちろん、「そら」「ナメコ」と一緒にするわけにはいかない。互いに慣れるまで分離という意味もあるけれど、FIV(猫エイズ)陽性だということで、食器はもとより、洗浄するスポンジなんかも分けるようにした。 先生からは、直接体液が混じり合う接触がなければ感染する心配はないと教えられた。けれども、このエイズという呼び名がよくなかったのだろう。いや、もちろん、われわれが無知なのが、よくなかった。「そら」や「ナメコ」に感染すると大変だと、必要以上

          【三猫物語】<その 18> 無知であることの罪

          【三猫物語】<その 17> まさに、神さま、佛さま!

          さっそく、佛川先生に診てもらう。 「じゃあ、病気の検査もしてみましょうね」と、さすがに先生は冷静である。 「体力も落ちてるから、しばらくは入院したほうがいいですね」 「はあ、すいません、よろしくお願いします」 ・・・というわけで、佛川病院へ入院することに。 なにせボロボロな状態なので、まずは汚れを落とすところから。口内炎が酷く、モノを食べるのが無理だから、栄養補給は点滴で。とはいえ、口からモノを食べないと、どんどん弱ってしまうから、口内炎の治療も優先。 年齢は不明だが

          【三猫物語】<その 17> まさに、神さま、佛さま!

          【三猫物語】<その 16> 奇縁か?運命か? 

          2017年、よく晴れ渡った5月3日。汗ばむくらいの陽気だった。 「そら」と「ナメコ」がいるから、GWといえども、われわれに遠出という選択肢はない。近隣でショッピングでもするかと、最寄りの駅へ向かっていた。 「いい天気だね」 「ほんと、五月晴ね」 たわいのないことを呟きつつ、ちょうど家から100mほどのところ、曲がり角のアパートに差し掛かった。 そこに、見慣れない「生きもの」がいた。 「おや?」 「ん?」 「なに?」 それは、明るく降り注ぐ五月の陽光を、満身に受けて

          【三猫物語】<その 16> 奇縁か?運命か? 

          「 ビトゥイーン・ザ・バー」 エリオット・スミス Between the bars Elliot Smith / Cover <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          エリオット・スミス(Elliott Smith)は、1969年8月6日、アメリカネブラスカ州オマハの生まれ。生まれて1年後に両親が離婚、エリオットは母親に引き取られた。そして、母親が再婚。しかしエリオットは、義父との折り合いが悪く、ずいぶん酷い目にあったのだという。 この幼年期の体験が、のちのちの彼の実存に、濃い影を落としたことは間違いないだろう。とてもセンシティブで、傷つきやすく、安定感を欠いた自我を、どうにかして飼いならしつつ生きることを余儀なくされたのではないかと思わ

          「 ビトゥイーン・ザ・バー」 エリオット・スミス Between the bars Elliot Smith / Cover <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          「ナチュラル・ウーマン(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」 アレサ・フランクリン <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          「レディ・ソウル」という名盤アルバムに入っている曲。ソウルの女王、いやソウルなんて限定しなくても、アレサ・フランクリンは、20世紀最高のヴォーカリストだ。この曲でも、「Looking out」と歌い出した瞬間に、異次元の世界へ誘い込まれる。 黒人女性で、アレサと似たような歌い方をする人はけっこういる。いわゆるゴスペルの唱法につながる歌い方なのだろう。声量の豊かさや強力なシャウトでは、アレサを凌ぐような人もいると思う。けれども、アレサと同じように“歌いこなせる”人はいない。

          「ナチュラル・ウーマン(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」 アレサ・フランクリン <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          人間は、ことばの、主人か?それとも、奴隷か?「現代という時代の気質」エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅱ <ことばの森を逍遥する>

          『神は世界を創造したとき、ただちにそれをオートメ化したので、神がすることは何も残らなくなってしまった。そこで退屈のあまり神は手を加えたり、実験したりしはじめた。人間は手に負えない実験作であった。神が人間を創造したのは大胆な気分になっているときであった。「神の姿に似せて神は人間を創った」のだが、こうしてつくられた被造物が創造主と張りあい、それを凌駕するということは、最初からわかりきった結論であった。』 アイロニカルな物言いですけれども、聖書を読むとだれでも疑問に思うようなこと

          人間は、ことばの、主人か?それとも、奴隷か?「現代という時代の気質」エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅱ <ことばの森を逍遥する>

          理知か?感情か?古くて新しい課題「現代という時代の気質」 エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅰ <ことばの森を逍遥する>

          エリック・ホッファーといえば、「沖仲仕の哲学者」と呼ばれたアメリカの著述家です。農園の季節労働者をやりながら図書館で物理学・数学・植物学を学び、モンテーニュに影響されて哲学的な興味を触発された後、沖仲仕として働きながら思索や著述をつづけたかなり稀有な人です。 いわゆるマルクス主義の影響が絶大であった20世紀、知識人(インテリゲンツァ)とは何かという問題が重要なイシューであった時代に、異彩を放っていた文筆家です。マルクス主義には、知識人が大衆を啓蒙するという図式があり、自分を

          理知か?感情か?古くて新しい課題「現代という時代の気質」 エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅰ <ことばの森を逍遥する>

          【三猫物語】 <その 15>「ナメコ」大脱走!

          そうして、ときどき保護猫の預かりなどもしつつ、「そら」と「ナメコ」と、平和なネコライフが続くものと思われた。その矢先に、事件は起こった。 この当時のわが家の玄関は、すりガラスの引き戸になっていた。黒田さんから、猫が外へ出ないように気をつけなさいと注意はされていた。それで、引き戸の内側にワイヤーネットを設置した。 「そら」も「ナメコ」も玄関へ降りてくることはあったけれど、ワイヤーネットを越えることはなかったから、まあこれで大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。 ある日の暮れ

          【三猫物語】 <その 15>「ナメコ」大脱走!

          「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」ルイ・アームストロング <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          ディキシーランド・ジャズで、もっとも知名度の高いミュージシャン、トランぺッターのサッチモことルイ・アームストロング。1967年、彼が60歳をとっくに過ぎてから吹きこまれ、世界的なヒットになったのが、この曲。若い時の力強いトランペットならず、枯れてしわがれた渋いヴォーカルが、唯一無二の味わいになっている。 たぶんディキシーランド・ジャズのことはあまり知らなくても、この曲なら、だれでもどこかで必ず聞いたことがあるはず。まさに名曲と呼ぶのに相応しい。 この曲がリリースされた19

          「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」ルイ・アームストロング <あの名曲を日本語で歌ってみる>