西村修一

還暦も過ぎて  余生にはいったことだし いろいろと振り返ったり 考えたたりしたことなど…

西村修一

還暦も過ぎて  余生にはいったことだし いろいろと振り返ったり 考えたたりしたことなどを。写真やら 音楽やらも。  1959年 京都生まれ 1968年~ 大阪在住 1984年~ 東京在住

マガジン

  • 三猫物語

    わが家の三猫さま、そら、なみ、とら、いろいろと、教えられることや、考えさせられることや、もちろん愛らしいところや、そんなこんなの物語です。

  • あの名曲を歌ってみる

    1950年代から1980年代くらいまで、ポップミュージックは飛躍的な変遷を遂げ、数々の名曲が生み出されました。まったく個人的な趣味で、これは名曲だなあ、歌ってみたいなあ、というようなものを、下手の横好きよろしく、すこしやってみたいとおもいます。老人のご愛敬ですので、ご容赦を・・・。

  • 射影の森 ことばの森を逍遥する

    いろいろと考えたことの断片を、気になる風景とともに、ぼちぼち、すこしづつ書いてみたいと思います。

最近の記事

【三猫物語】<その 19> いよいよ三猫物語

・・・というわけで、里親が見つかるまでの居候ということで、「とら吉」が新たに加わって、「そら」「ナメコ」「とら吉」の三猫生活がはじまった。 しばらくの間、「とら吉」は、ほぼ2階の四畳半で暮らしたので、他の2頭との接触はあまりなかった。 とはいえ、なにせ「とら吉」は、人懐こいので、とにかく人のいるところへ行きたがる。なにかというと隙を見て、自分の部屋から出たがる。うっかりドアを開けると、すかさずその隙間から、スルリと外へ出てしまう。 「あっ」と言う間もなく、階段を駆け下りて

    • 【三猫物語】<その 18> 無知であることの罪

      「とら吉」は退院して、わが家へやってきた。もちろん、「そら」「ナメコ」と一緒にするわけにはいかない。互いに慣れるまで分離という意味もあるけれど、FIV(猫エイズ)陽性だということで、食器はもとより、洗浄するスポンジなんかも分けるようにした。 先生からは、直接体液が混じり合う接触がなければ感染する心配はないと教えられた。けれども、このエイズという呼び名がよくなかったのだろう。いや、もちろん、われわれが無知なのが、よくなかった。「そら」や「ナメコ」に感染すると大変だと、必要以上

      • 【三猫物語】<その 17> まさに、神さま、佛さま!

        さっそく、佛川先生に診てもらう。 「じゃあ、病気の検査もしてみましょうね」と、さすがに先生は冷静である。 「体力も落ちてるから、しばらくは入院したほうがいいですね」 「はあ、すいません、よろしくお願いします」 ・・・というわけで、佛川病院へ入院することに。 なにせボロボロな状態なので、まずは汚れを落とすところから。口内炎が酷く、モノを食べるのが無理だから、栄養補給は点滴で。とはいえ、口からモノを食べないと、どんどん弱ってしまうから、口内炎の治療も優先。 年齢は不明だが

        • 【三猫物語】<その 16> 奇縁か?運命か? 

          2017年、よく晴れ渡った5月3日。汗ばむくらいの陽気だった。 「そら」と「ナメコ」がいるから、GWといえども、われわれに遠出という選択肢はない。近隣でショッピングでもするかと、最寄りの駅へ向かっていた。 「いい天気だね」 「ほんと、五月晴ね」 たわいのないことを呟きつつ、ちょうど家から100mほどのところ、曲がり角のアパートに差し掛かった。 そこに、見慣れない「生きもの」がいた。 「おや?」 「ん?」 「なに?」 それは、明るく降り注ぐ五月の陽光を、満身に受けて

        【三猫物語】<その 19> いよいよ三猫物語

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        • 三猫物語
          19本
        • あの名曲を歌ってみる
          9本
        • 射影の森 ことばの森を逍遥する
          19本

        記事

          「 ビトゥイーン・ザ・バー」 エリオット・スミス Between the bars Elliot Smith / Cover <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          エリオット・スミス(Elliott Smith)は、1969年8月6日、アメリカネブラスカ州オマハの生まれ。生まれて1年後に両親が離婚、エリオットは母親に引き取られた。そして、母親が再婚。しかしエリオットは、義父との折り合いが悪く、ずいぶん酷い目にあったのだという。 この幼年期の体験が、のちのちの彼の実存に、濃い影を落としたことは間違いないだろう。とてもセンシティブで、傷つきやすく、安定感を欠いた自我を、どうにかして飼いならしつつ生きることを余儀なくされたのではないかと思わ

          「 ビトゥイーン・ザ・バー」 エリオット・スミス Between the bars Elliot Smith / Cover <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          「ナチュラル・ウーマン(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」 アレサ・フランクリン <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          「レディ・ソウル」という名盤アルバムに入っている曲。ソウルの女王、いやソウルなんて限定しなくても、アレサ・フランクリンは、20世紀最高のヴォーカリストだ。この曲でも、「Looking out」と歌い出した瞬間に、異次元の世界へ誘い込まれる。 黒人女性で、アレサと似たような歌い方をする人はけっこういる。いわゆるゴスペルの唱法につながる歌い方なのだろう。声量の豊かさや強力なシャウトでは、アレサを凌ぐような人もいると思う。けれども、アレサと同じように“歌いこなせる”人はいない。

          「ナチュラル・ウーマン(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」 アレサ・フランクリン <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          人間は、ことばの、主人か?それとも、奴隷か?「現代という時代の気質」エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅱ <ことばの森を逍遥する>

          『神は世界を創造したとき、ただちにそれをオートメ化したので、神がすることは何も残らなくなってしまった。そこで退屈のあまり神は手を加えたり、実験したりしはじめた。人間は手に負えない実験作であった。神が人間を創造したのは大胆な気分になっているときであった。「神の姿に似せて神は人間を創った」のだが、こうしてつくられた被造物が創造主と張りあい、それを凌駕するということは、最初からわかりきった結論であった。』 アイロニカルな物言いですけれども、聖書を読むとだれでも疑問に思うようなこと

          人間は、ことばの、主人か?それとも、奴隷か?「現代という時代の気質」エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅱ <ことばの森を逍遥する>

          理知か?感情か?古くて新しい課題「現代という時代の気質」 エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅰ <ことばの森を逍遥する>

          エリック・ホッファーといえば、「沖仲仕の哲学者」と呼ばれたアメリカの著述家です。農園の季節労働者をやりながら図書館で物理学・数学・植物学を学び、モンテーニュに影響されて哲学的な興味を触発された後、沖仲仕として働きながら思索や著述をつづけたかなり稀有な人です。 いわゆるマルクス主義の影響が絶大であった20世紀、知識人(インテリゲンツァ)とは何かという問題が重要なイシューであった時代に、異彩を放っていた文筆家です。マルクス主義には、知識人が大衆を啓蒙するという図式があり、自分を

          理知か?感情か?古くて新しい課題「現代という時代の気質」 エリック・ホッファー(柄谷行人訳) Ⅰ <ことばの森を逍遥する>

          【三猫物語】 <その 15>「ナメコ」大脱走!

          そうして、ときどき保護猫の預かりなどもしつつ、「そら」と「ナメコ」と、平和なネコライフが続くものと思われた。その矢先に、事件は起こった。 この当時のわが家の玄関は、すりガラスの引き戸になっていた。黒田さんから、猫が外へ出ないように気をつけなさいと注意はされていた。それで、引き戸の内側にワイヤーネットを設置した。 「そら」も「ナメコ」も玄関へ降りてくることはあったけれど、ワイヤーネットを越えることはなかったから、まあこれで大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。 ある日の暮れ

          【三猫物語】 <その 15>「ナメコ」大脱走!

          「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」ルイ・アームストロング <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          ディキシーランド・ジャズで、もっとも知名度の高いミュージシャン、トランぺッターのサッチモことルイ・アームストロング。1967年、彼が60歳をとっくに過ぎてから吹きこまれ、世界的なヒットになったのが、この曲。若い時の力強いトランペットならず、枯れてしわがれた渋いヴォーカルが、唯一無二の味わいになっている。 たぶんディキシーランド・ジャズのことはあまり知らなくても、この曲なら、だれでもどこかで必ず聞いたことがあるはず。まさに名曲と呼ぶのに相応しい。 この曲がリリースされた19

          「What A Wonderful World(この素晴らしき世界)」ルイ・アームストロング <あの名曲を日本語で歌ってみる>

          「ティアーズ・イン・ヘヴン」 エリック・クラプトン「Tears In Heaven」 Eric Clapton (Cover)<あの名曲を日本語で歌ってみる>

          われわれの世代にとってエリック・クラプトンといえば、クリーム、ブラインド・フェイス、そしてデレク&ドミノス。ロックの最前線をゆくミュージシャンでありギタリスト。「クリームの素晴らしき世界」から「レイラ」に至るイメージが強烈である。 2枚組アルバム「レイラ」は、まさにロックの頂点を極めたともいえ、次作が待望されていたのだが、このアルバムを境に、クラプトンは表舞台から姿を消してしまう。当時の多くのロック・ミュージシャンが陥ったように、アルコールとドラッグに浸って、一時廃人のよう

          「ティアーズ・イン・ヘヴン」 エリック・クラプトン「Tears In Heaven」 Eric Clapton (Cover)<あの名曲を日本語で歌ってみる>

          【三猫物語】<その 14> 猫にも、個性があってよいのだ!

          さっそく黒田さんが、「こはる」をお見合いに連れていってくれた。長年いっしょにいた猫が、老衰で亡くなったから、また捜しているという方だった。亡くなってすぐは、さすがに次はやめておこうか?と思ったのだという。けれども時間が経つうちに、やっぱりずっとそばに寄り添ってくれていた存在がいないということの寂しさがつのって、またいっしょに暮らせる猫をさがしはじめたということだった。 飼育環境は、黒田さんのお眼鏡に適ったのだから大丈夫。「こはる」は、初対面でも人見知りをすることなく、とにか

          【三猫物語】<その 14> 猫にも、個性があってよいのだ!

          【三猫物語】<その 13> はじめての保護猫「預かりさん」体験!

          さて、保護猫ボランティアの会「ねこのしあわせ」が発足、それに相方が参加することになって、WEBページ更新のほかに、まずやってきた役割は、保護猫の預かりである。 ぼくも相方も、猫を飼育するのは「そら」と「ナメコ」がはじめてなので、もちろん保護猫を預かるのもはじめてである。 最初にやってきたのは、白黒とサバ白の2頭、どちらも女の子。子といっても、仔猫ではなく、もう1歳は過ぎているだろう大人。年寄りでもないので、まあ若い部類だろう。 もちろん「そら」や「ナメコ」と同じ空間に同

          【三猫物語】<その 13> はじめての保護猫「預かりさん」体験!

          暴力は人類にとって必然なのか?「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~3~ <ことばの森を逍遥する>

          さて考察はいよいよ、法と暴力の関係、目的と手段の関係というところから、暴力とはそもそも何か?人類にとって暴力の普遍的な意味とはなにか?というほうへ問題がシフトしていくようにみえます。 『つまり暴力が、運命の冠をかぶった暴力が、法の根源だとすれば、暴力が法秩序のなかに現出するときの最高の形態である生死を左右する暴力となって、法の根源が代表的に実体化され、恐るべきすがたをそこに顕示していることは、想像するにかたくない。』 いわゆる実力行使としての暴力には、さまざまな形態があっ

          暴力は人類にとって必然なのか?「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~3~ <ことばの森を逍遥する>

          戦争廃棄の理念は“お花畑”か? 「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~2~ <ことばの森を逍遥する>

          国家暴力のひとつの典型例は戦争です。いまのところ国家を超える規模の暴力は存在しませんから、国家と国家のあいだの対立は、究極的には戦争によって解決されるほかありません。戦争の勝者は相手国を自国の法に服従させるわけですから、戦争は法を措定する暴力だということができます。 これに対して、徴兵制あるいはミリタリズムは、法を維持するための暴力ということになります。警察は主に国内秩序に対するための法維持暴力ですが、軍隊は国内はもちろん国外へ対処する法維持暴力です。現在でも“抑止力”とい

          戦争廃棄の理念は“お花畑”か? 「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~2~ <ことばの森を逍遥する>

          世界から暴力を廃絶する可能性はあるのか? 「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~1~ <ことばの森を逍遥する>

          ここで批判の対象として取り上げられるのは、個人レベルで行使される自然的暴力のことではなく、集団によって行使される組織暴力のことです。人間社会の安定と安寧が維持されるためには、個別の暴力が抑制されなければならず、これを成し遂げるのが権力による法秩序であって、これは国家による集団組織暴力によって根拠付けられているという前提からはじまります。 『暴力批判論の課題は、暴力と、法および正義との関係を描くことだ、といってよいだろう。』 法の本質は、倫理や道徳などを成文化したもののよう

          世界から暴力を廃絶する可能性はあるのか? 「暴力批判論」 ヴァルター・ベンヤミン  ~1~ <ことばの森を逍遥する>