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本は私の一生の友


彼と別れそうになっていたとき、私が救いを求めた先は、人の前に本であり、小説であった。


カバンの中にいつも1冊の本を」という標語に笑っていた小学1年の私が、それを無意識に実践するようになるまでに時間はかからなかった。小学2年以降、青い鳥文庫を好きになって、お気に入りの巻を何周も何周も読み、好きなシリーズの新刊が出るのをいつも心待ちにするようになった。


一方で、新しい小説を次々に読むようになったのは中学の頃。その頃はやはり、救いを求めていた時期だった(決して怪しい意味ではない)。あの時期に小説がなかったら、私はどうなっていたんだろう。


高校、大学、と中学に比べれば充実していた頃にも、もちろん何冊か読んだけれど自分の中で考えると "小説を離れていた時期" 。

だから彼との関係が戻ったあと、改めて小説に向き合うとき、長い間会っていなかった旧友に久々に会うかのような気恥ずかしさがあった。

だけど彼らは、離れてたことなんてあったっけ?というかのように再会した瞬間、私をいろんなところへ連れていき、エッセイ、という新たな世界まで見せてくれた。

彼らさえいれば、この先どんな人生のどん底があろうとも、大丈夫な気さえしてくる。




先日、 #名刺代わりの小説10選  という無茶なハッシュタグをTwitterで見つけて、本気で悩んじゃいました。

だってそんなの、無理難題すぎる。

だけど時期別や自分なりのテーマをさらに指定して10選ならできるかも、となんとかやってみた。

#私の読書の原点

本を読み始めたきっかけ、という意味の原点篇。
小中学校時代に読んだものを並べた感じ。


この頃の私は、青い鳥文庫・中学受験の国語の問題・ドラマ/映画が小説との出会い場だった。


もっといろんな作品を挙げようと思えばいくらでもできてしまうだろう。


だけど、どうやったって青い鳥文庫は外せない。


若おかみにハマる前、学級文庫でなぜか人気だったから、周りに合わせてかっこつけたくて読んだ『アカネちゃんのなみだの海』も青い鳥文庫だった。

そして「そろそろ青い鳥も卒業か…」と思っていた頃に出会った探偵チームKZ事件ノートシリーズはボロボロになるまで何回も読んでた。(若竹和臣というキャラが好きすぎて、お気に入りの巻は彼がかっこよすぎる『キーホルダーは知っている』)高3の夏に、ラストチャンスだ!と高3までのサイン会に塾を抜け出して、最寄りから2駅先まで足を運んだし、今でも新刊が出たら読んでしまう。

『妖怪アパートの幽雅な日常』は幼馴染に薦められて小6のときに読んだもの。タイトルも表紙もジャンルも不思議な感じだったから、訝しんで読んだのを覚えている。だけど人生の救いとなる言葉がたくさんの小説だった。多様性、という概念を私はこの小説で知ったと思っているし、「君の人生は長く 世界は果てしなく広い 肩の力を抜いていこう」という言葉は今でも空で言える。香月先生が亡くなられたときは本当にショックだった。

『博士の愛した数式』『くちぶえ番長』あたりは中学受験の勉強の中で、国語の問題として出てきたことをきっかけに読んだもの。読んでて親がバカにしてこない、いわゆる「小説」を好きになれたのはこうした出会いのおかげ。中学、高校、大学の受験勉強を通して小説と出会えたことは、それだけでも受験した甲斐があると思っている。他、『夏の庭』『約束』(村山由佳さん)、『夜の朝顔』(豊島ミホさん)『卵と小麦粉それからマドレーヌ』『東京タワー』(リリー・フランキー)はみんなそう。


ここではドラマや映画になったことをきっかけに読んだものを極力省いたけれど、小中学校時代は連ドラが大好きだったから、そういう出会いもたくさんあった。『謎解きはディナーのあとで』『チーム・バチスタ』シリーズ(海堂尊さん)、『夜行観覧車』(湊かなえさん)なんてその筆頭。ちなみに『謎解き』は、シリーズ2作目の『完全な密室などございません』が1番好き。

ちなみに中学の頃にひたすら読んでいた東野圭吾さんとの出会いはイレギュラーで、旅先の空港の本屋さんかなんかでたまたま見つけた『ある閉ざされた雪の山荘で』が原点。なんでだ。だけどその後、東野圭吾さんの本は腐るほど読んだ。中2の読書感想文は『手紙』で書いたし、ミステリー要素が少なめな『白夜行』『時生』も好き。

湊かなえさんや東野圭吾さんにハマったおかげでミステリーに凝って、作家さん単位だと宮部みゆきさんもよく読んだし、今もミステリーは大好き。

『青が散る』は大学時代の青春が描かれたもので、昔ドラマにもなった1冊。中学の頃に父に薦められて読んだけれど、青春ものでキラキラしているようでいてドロドロ?している筋書きに、当時かなり衝撃をおぼえた。そのイメージが強すぎて、以来読み返してはいないけれど、私にとって忘れ難い1冊。

『一瞬の風になれ』は中1の読書感想文に選んだのがきっかけ。当時、水泳をやっていた私はとにかく個人競技のものを読みたかったという理由で、陸上に関するこの本を選んだ。結果的に、駅伝に関する『風が強く吹いている』を読むことにも繋がり、中学時代に最も読み返した大好きな本。


#私の心の原点

上記は「本を読むようになる」きっかけで、小中学校時代に読んだものを挙げているのに対して、こちらは「読書の醍醐味を知ってから読んで好きになった」本を挙げようと思う。

羊と鋼の森 /宮下奈都
革命前夜 /須賀しのぶ
蜜蜂と遠雷 /恩田陸
medium /相沢沙呼
流浪の月 /凪良ゆう
かがみの孤城 /辻村深月
52ヘルツのクジラたち /町田そのこ
赤と青のエスキース /青山美智子
楽園のカンヴァス /原田マハ
ナナメの夕暮れ /若林正恭

きっとこれがベストではなくて、何度も選定し直すたびに違うことを言うのだと思う。町田そのこさん、凪良ゆうさん、原田マハさんあたりは迷いに迷って彼女らの本の中ではじめの方に読んだものを選んだにすぎない。作家さん単位で好きな本があまりに多すぎて気を抜いたら2〜3人で10冊なんてあっという間だから、同じ作家さんの本は1冊まで、という鬼ルールを自分に課して書いた。

凪良ゆうさんは『汝、星のごとく』『わたしの美しい庭』も好き。『汝』や『流浪』のように、どうしようもなく惹き込まれて「どうなるんだろう、これ」と思わされて時間を忘れて読む感覚がたまらなく好きだし、『庭』は宝物のような言葉がたくさんある。

原田マハさんはこの夏出会ったばかりだけど、ここまでハマったのは『楽園のカンヴァス』のおかげだし、自分が好む絵の系統は「わかりやすく美しい絵」であること、その中の1つに印象派があることを知れたのは『たゆたえども沈まず』のおかげ。アートじゃない作品でも『あなたは誰かの大切な人』『独立記念日』『常設展示室』とか、短篇の中に必ず何度も読みたくなる話があって、すぐに好きになった。


中学生の頃、ミステリーのように刺激ばかりを求めていたけれど『羊と鋼の森』を読んで、(他に比べて)特別なことは何も起こらない日常を生きるあたたかさのようなものを描いた作品が好きになった。(もちろん相変わらずミステリーも好き)

そんな中でも『medium』(というか、相沢沙呼さんのミステリ)は必ずどんでん返しが用意されていて、読んだことを後悔させない、という意味で期待を裏切らない。

『羊と鋼の森』『革命前夜』『蜜蜂と遠雷』はどれも音楽・ピアノの物語。ピアノを弾きたく、クラシックを聴きたくなってしまう1冊ばかり。あと、後者2つは海外が舞台になっていたり、外国人のキャラがいたりと、海外、というのが、自分が本を選ぶ上で1つの裏キーワードな気もしている。

『かがみの孤城』なんて、中学時代にあったらどれだけ救われていただろう、と思う物語だし、『ナナメの夕暮れ』なんて昨日読み終えたばかりだけど少しだけ生きやすくなる考え方を知れた気がする。『赤と青のエスキース』は一言でも語ろうものならネタバレになってしまうほど、見事であたたかい物語。



きっと、もっともっと読んだ本はたくさんあって、今思い出せるものがこれだけしかないのが悔しい。だけどこんなふうにして、これからも人生を変えるような本にたくさん出会うんだろうと思う。





世の中には読むべき本がたくさんありすぎる。


だけど "今、読むべき本" というのは、必ずそのタイミングで目の前に現れるものだ。

本屋に入って眺めるだけでは満足できなくなったり、本屋に行くたびにその本をつい見つけてしまったりといった場合、大抵その本は自分にとって "今、読むべき本" であり、運命の一冊だ。そして手にした途端、夢中になってすぐに読み終えてしまう。

それに抗おうとして、無理矢理読んでいる途中の本を読み通そうとしたり、「いやいや勉強しなければならない」とそれらしく堅苦しい本を読んだりしてはいけない。大抵そのように読んだものは心に残らないし、その前にまず読み終えずにどこかへ行ってしまう。


だから本くらいは、本だからこそ、
心赴くままに読もうよ。






p.s. 

2週間ほど前、大学に学割証と図書券(オープンキャンパスの時間外労働分)を取りに行った帰りに途中下車して久々に大きな紀伊國屋に行ったら、ついつい3冊買っちゃいました。(ヘッダー参照)

紀伊國屋のタダでもらえる紙袋を片手に颯爽と歩くとバケットを持って歩いているパリジェンヌのようで、好きです。


だけどずっと狙ってた認知科学講座、立ち読みするの忘れた…。(9/29 ちなみに今日も行ったのに読むの忘れました…)





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