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ガラスの靴は履いたままで


大学生のうちにパリに行くのが夢だった。

夢が叶い、その日々が過ぎ去ってしまってからの1週間、私は夢の国を抜け出せずにいた。



9月24日(日)

列車の到着と同時にホームにたどり着いてなんとか乗り込んだ成田エクスプレスで、スーツケースを特大荷物置場に置いて、席を探した。

予約者とブッキングして二度ほど席を移動したけれど、切符の確認にまわってきた車掌さんに事情を説明して席を押さえてもらって、窓際に座れた。

ふと自分の姿を見ると、床に下ろしたリュックはきっちり足で挟まれ、ショルダーバッグは肩に下げたまま、チャックを締め切った状態で身体の前で自分の腕に抱かれていた。

そういえば機内でも、外国人のCAの方にずっと「Merci」と言ってしまっていた。

この1ヶ月で身についた、貴重品に対する警戒態勢、「ありがとう」は「Merci(beaucoup)」、「すみません(呼びかけ)」は「Excusez-moi」、「ごめんなさい」は「Pardon」「Sorry」(急に英語)で言うクセ、なんでもとりあえず英語で伝えようと脳内で英語変換するクセ、そういった癖が抜けてくれていない。それは、パリにいた証拠のようで嬉しかった。


成田エクスプレスを降りて、東京駅で新幹線に乗り換えるとき、余裕で制限オーバーだった29kgのスーツケースを両手で押して歩いていた。身体には機内持込制限の10kgなんてとっくに超えていたであろう無印のリュックと、パリを一緒に旅したレスポートサックのショルダーバッグを纏い、手にはとっくに用無しと化したパリで買ったトレンチコートを引っ提げながら。

ゴロゴロと、のっそりと、歩く私の横を通り過ぎていく人たちの視線は冷たかった。あるいは、はじめから私の姿など見えていなかった。

「邪魔だな」
「私は/俺は、忙しいんだ」
「そんなデカい荷物持ってくんなよ」


そう言われている気さえした。

元々身体が小さいのに、さらに小さくなった気がした。


他にももう一難あって、そのときも、きっとパリなら助けてくれる人がいるのにな、と思った。パリの次に憧れていた東京という街を寂しく、余裕のない街だと、思ってしまった。

手伝ってほしいわけじゃない。ただ、冷たい視線を浴びたくないだけだ。


だけど私が帰ってきた国は、これから暮らす街は、パリじゃない。



***


自宅の最寄駅に着くとそこは慣れきった日常の風景で「ただいま」のはずなのに、少しだけ知らない場所に来たかのような新鮮さを感じた。


母が車で迎えにきてくれていて、夜23:00ごろに家に着いた。

すぐにスーツケースをひっくり返して荷物を全部部屋の中に運び入れて、お土産開封式&譲渡式をおこなった。「なんでこんなもん買ったんだろう」と笑いが込み上げるようなものもあったし、こんな買わなくてよかったかもなぁと思ったけれど、それも含めてパリを感じられる時間は幸福だった。

途中、私の数十分前に登山から帰ってきた父のお土産で、信玄餅を食べた。パリにいたら1回くらいは 大好物の和食・和菓子が恋しくなるかもしれないと思ったけれど、実際は全くだった。それでも久しぶりの「和」は嬉しかった。


結局アップしなかったストーリー
バターとチーズ


しばらくしてお風呂に入った。

1ヶ月ぶりに湯船に浸かった。パリに行く前に使っていたYOLUのシャンプー・リンス、nanoeのドライヤーで、パリにいた頃よりも髪がサラサラになった。

だけど私は、パリで住んでいた寮の、湯船がなくてシャワーとトイレが同じ空間にある、あのバスルームを恋しいと思った。無印で”旅行グッズ” として展開されている吊るしておけるポーチに入った、無印のメイク落としや洗顔やブラシ、試供品のプラスチックボトルに入ったロクシタンのシャンプーやリンス、ホテルでもらった使い捨ての身体を洗うタオル、”旅行用”のコンパクトなカミソリ、それらで汚れを落としたあとに、顔だけいつも使っている化粧水と乳液で保湿する完璧ではない私の身体でいることも好きだったな、と思った。


歯を磨こうと、日本にいたときの歯ブラシと歯磨き粉を手に取りかけた。けれど、すぐに撤回してポーチの中からパリで買って使っていたフランス色の歯ブラシと旅行用サイズの歯磨き粉を取り出して、それを使って歯を磨いた。


私はまだ、夢の続きの中にいたい。




9月25日(月) ー 26日(火)

深夜3:00に寝て、昼の12:00に起きた。次の日、少しだけ危機感を感じて8:00からアラームをセットして9:00には起きるようにした。水曜のゼミの内容が「夏休みの思い出」の発表だったこともあって、「スライドのため」という大義名分が与えられたことで私のパリの思い出浸りはさらに加速し、月曜と火曜は起きてからずっと、カメラで撮ったパリの写真を振り返っているうちに1日が終わった。

どっちにしろ普段、そんな生活をしていたら(不眠症なんじゃないか)とか(昼夜逆転なんてやばいな…)と頭を抱えるというのに、「時差ボケ」という納得できる名前が与えられると「今パリなら20:00だしな。まだ家にも帰ってないんだから、寝られるわけないよな。」と開き直ることができる。

きっと、なにが「異常」か なんて、簡単に変わるのだ。



火曜日には、バゲットとチーズという組み合わせが恋しくなって、お土産のチーズを食べるために昼ご飯用のバゲットを買いに行った。

持ち歩く財布が無印の旅行用の折りたたみ財布ではなく、彼から誕生日にもらった長財布に戻った。買い物バッグはMonoprixのエコバッグではなくて、軽井沢で買った編みバッグ(私の中ではパリっぽいもの)を持って行った。

少しずつ日常に戻ってゆくけれど、やっぱりまだパリが恋しいから生活の中にパリっぽさを取り入れていたい。



9月27日(水)

9:00には起きていたのに、13:00~のゼミに遅刻した。遅刻は初めてだった。

パリのスライドに力を入れすぎたといえばそれまでなのだけれど、やっぱり帰国後1週間で日常復帰は私には厳しすぎたらしい。

脳内お花畑のままな私に、ゼミに行くとみんな「(私の名前)ちゃんのインスタ更新されるの、いつも楽しみだった!」「見てるこっちが ”え?もう帰ってくるん?”って思ったくらいあっという間やったぁ」「(『地球の歩き方』を持って)パリの話聞かせて〜、どこ行ったん?」「行き帰り(飛行機の遅延で)、かなり苦戦してましたよね、お疲れ様でした」と声をかけてくれた。

ゼミ終わり、一緒に帰っているときに、何の話をしてもパリの話になってしまうことに気づいて「ごめん。マウント取ってるとかってわけじゃないの。ただ、私の近況がパリしかなくて」と謝ると、カレは「謝るようなことじゃない。マウントとか、思わんから。」と笑った。


ああ、そうか。

私が帰る場所はもう、私の幸せを喜んでくれたり見守ってくれたりする人たちのところなんだ。


きっと、中高時代にパリを知っていたら、一生日本に帰りたくないと思ってしまっていただろうと思う。だけど私は、パリを離れたくないとは思っても日本に帰りたくないとは思わなかった。

それはきっと、ガラスの靴を履いたままの私でも受け止めてくれる君たちと出会えたからだ。


***


ゼミから帰ってきて、VIVANTの最終回を見た。

『VIVANT』『トリリオンゲーム』『最高の教師』『どうする家康』。

パリにいる間に最終回を迎えた、楽しみにしていたドラマの録画を見ようと思いつつも、パリの写真を見てばかりでドラマさえも観れずにいた。そうしていないと、パリにいた日々が幻となって消えていきそうで、怖かった。

だけど、そろそろ戻ってこないといけない。


私の日常は、ここにあるのだから。



9月28日(木)

妹とカラオケに行った。

パリにいる間、自発的に音楽を聴くことがほぼなかった。街中ではしょっちゅう音楽の演奏が聴こえてきたけれどクラシックや洋楽ばかりだったから、いつもは歌いたい歌がありすぎて困るくらいなのに、何を歌うか、困った。

だけど2時間半、たっぷりJ-POPを歌って、本屋に寄った。

久しぶりの日常は楽しかった。



9月29日(金)

彼の家に行った。

近所のショッピングモールでお昼ごはんを食べたあと、用事があって彼が大学に行ってしまい、いつもはふたりで歩く彼の家までの道を、夜ご飯の買い物袋を持ってひとりで歩いた。

歩けた。


元来、私は方向音痴だ。自分が世界の中心にならない地図は使えないレベルなので、この道をひとりでは歩けないと思っていた。(だから長らく、GoogleMapsは店探し専用だった)

だけど、この日気づいたのだ。

私が方向音痴だったのは顔を上げて前を見て歩いていなかったからだ、と。


いつのまにか、下を向いて歩く癖がついていた。

小学1年の頃、私はいつも「姿勢がいいですね」と褒められていた。なのにいつからか、顔を上げれば誰かが私の方を見て悪口を言って嗤っているのでないかとこわくなって、俯いて歩く癖がついた。


パリは、私に俯く隙なんて与えなかった。

顔を上げれば、"憧れたちのほんもの" や "それが何であるか"はわからなくても美しいものがたくさんあった。俯くことかんて、できるはずがなかった。ずっと顔をあげて目を輝かせ、GoogleMapsを相棒にどこまでも自由自在に歩き回った。

だからこそ、頭の中に自分なりのパリの地図が出来上がるのがはやかった。どっちに行けば大体どこに着くか、手に取るようにわかった。そうして歩いて生きるのは、ほんとうに楽しかった。



彼が住む街で、顔を上げて歩いた道は楽しかった。綺麗だった。


きっといつだって、楽しみは身近なところに転がっていて、それに気づけるかどうかは自分にかかっている。



9月30日(土)

これまた久しぶりにスイミングスクールのバイトに行った。子どもたちはかわいいけれど、治った気になっていた時差ボケは健在で、フランス時間では深夜1:00〜6:00(しかもいつもより1コマ多い)だから半分寝ながら仕事していた。

だけど「パリどうだった?」とそこから話を聞いてくれる社員さんやバイトメンバーに恵まれているから、4年間このバイトができてよかったなぁと思える。


帰りはご褒美に本屋さんに寄った。

パリに行く前に読んでいた本の続きよりも、パリを思い出せるような本を、心が求めていた。






書きたいことが山ほどあって、何から書くか迷って全然note書けなくて、海外かぶれ、になってやしないかと心配しつつも、1週間前よりは確実に、前に進んでいるのを感じる。

こうやってきっと、ゆっくりと日常に還ってゆくんだな、と思う。

だけど今は
非現実と現実の間で彷徨うガラスの靴を履いたままの日々をそっと、閉じ込めておこう。






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