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そして、私の心はオペラ座の怪人に捕らわれた。


クリスティーヌ役(ヒロイン)牧 貴美子さんの魂の琴線に触れる歌声が忘れられない。高音・低音なんていう概念がないかのような、透明感溢れる美しい歌声。

クリスティーヌという役柄さえ知ったのは昨日で、他の方のクリスティーヌも知らないのに、なんてお似合いなんだろう、と思った。ちなみに「魂の琴線に触れる歌声」というのは鑑賞中に頭の中にふと湧き上がってきた表現。

オペラ座の怪人ファントム(主役)を演じた岩城さんも素晴らしかった。ファントムの孤独な身の上が持つ、甘さも、切なさも演じ分けられる歌声は完璧だった。イケボ、なんていう軽々しいワードでは語れない。


9月3日(土)、20歳にして人生ではじめて家族で劇団四季の『オペラ座の怪人』を観て感じたことは「芸術・エンタメの力には敵わないなぁ」ということだった。


劇団四季自体は3年ほど前に(これまた家族で)『リトル・マーメイド』で観たことがある。あのときのアリエルの透明感溢れる歌声を今も忘れることができない。受験生であることも忘れ、没頭した。

今回、オペラ座は話の筋を知らない分、「どうなるんだ?」とさらに没頭した。素人の私には、ミュージカル特有の楽しみ方については何も語ることができない。演者それぞれの解釈の違いによる演じ方の違いも語ることはできない。

それでも今回の岩城さん演じるオペラ座の怪人、牧さん演じるクリスティーヌ、光田さん演じるラウルのオペラ座の怪人が"正しい"のではないか、と思えた。

淀川花火の感想として、花火はたとえVRが発展しようとも現実でみることを大切にしたい、と語ったけれど、ミュージカルも一緒。どれだけテクノロジーが発展しても、現実世界での観劇を再現することはできないと思う。あの迫力溢れる歌声に胸を震わせることも、セットや音響でアナログの力を最大限に利用して物を落とすシーンで思わず体をビクッと震わせることも、きっと。


昨日、20分間の中休みで吸い寄せられるようにグッズショップに足を運び、「何かいるか?」とたずねる父に「チャームとパンフレット」と答えていた。それは、第1幕の1時間20分で心奪われたことを意味していた。そして終わったあと、パンフレットに読み耽ったのは必然だったかもしれない。

妹が仮面、私がシャンデリアを引き当てたけれど、お互い欲しかったものがちょうど逆だったのでトレード。
財布につけた。


高校1年のとき。入学したての宿泊登山で、山を登っているときに話していた同じクラスの友人に趣味を尋ねると、彼女は「ミュージカルとかオペラとかの舞台を観るのが好き。劇団四季とか、宝塚とか。」と答えた。彼女だけに限らず蓋を開けてみれば、うちの高校にはその趣味を持つ子が結構いた。特に宝塚はその地が近いこともあって、実際に自分が目指している、という子もいた(彼女は志願し続けて2年の時には2次まで審査に進んでいたけれど、結局落ちてしまって今は普通に大学生をしている)。

そのときの私は、なんて高尚な趣味なんだろう、育ちが出てるなぁ、とか思っていたけれど、いざ観てみたらその魅力の虜となることに納得してしまう。チケットも9900円とライブくらいの価格なのだから、アーティストのライブに行くようなものだ。あれを小さい頃から見せられていたら自分はその魅力に囚われて、きっと憧れから逃れることができていなかっただろうと思う。





私は幼稚園から小学6年まで、クラシックバレエを習っていた。

踊ることは大好きだったけれど、バレエをやっていた甲斐もなく身体がすごく硬かったので、バレリーナになりたいと夢見ることもなく、中学受験を理由に教室を辞めた。(どれくらいかというと、体力テストで他種目が10点満点中8~10の成績で収まる中、長座体前屈だけ5だったレベル。)

小学校時代、同じくバレエを習っていた双子の同級生がいた。
途轍もないお金持ちの子で、今はヨーロッパでバレエ留学をしているほど、本気でバレエの道を生きている。

そんな彼女らに、一度「ドットちゃんはバレリーナになりたいの?」と”純粋に疑問なんだ”というテンションで尋ねられたことがある。「そんな本気でやってないよ」と本音で答えた。あれほど才能と経済力の差を悪意なく突きつけられたことはこれまでになかったので、すごく覚えている。


踊るのが好きだった。役を与えられて演じるのが好きだった。発表会の時に華やかな衣装とメイクに身を包むことも。成長のために小学校高学年になるまでトウシューズ(爪先立ち用の靴)は履かせてもらえない中、バレエシューズからトウシューズで初めて舞台に立てた日の感動を今も忘れずにいる。

きっと私に身体の柔軟性があれば、もっとのめり込んでバレエを続けていたと思う。だけど、歌うことも好きな私にとっては、その先に待つのはバレエの世界で生きることよりも、劇団四季や宝塚の世界で生きることに憧れを持ったかもしれない。


昨夜、父は「あんな、生まれ持つ美しい声で歌える上手い人たちがいるんやから、俺みたいなんが歌うなんて歌に失礼やから、もう一生歌わんとこって思った。」「芸術とかスポーツってものは圧倒的・才能の世界やな。努力が、というけれど、才能ある人もない人も、努力はみんなしてる。才能ないとどうしようもない。」と言った。母は「生まれ変わったらあんな世界で生きていきたいわ。努力が実を結ばない、とかそんな苦悩も知らずに済むほどの圧倒的才能を持って生まれたい。」と憧れを語った。


あの吸い込まれそうな程に華やかな世界を知ったのがこのタイミングで良かったと思う。才能と努力の差をバレエと水泳とで知って、叶わない夢を見ることなく、同じ土俵でこの芸術を観ずに済んで、ほんとうに。

それを知っているからこそ、セリフも役名もなくともバレエダンサー役を演じられる人たちの、”この舞台に立てていることだけでもすごいことである”という凄さを理解できる。役柄がメイン級になればなるほど、演者が素晴らしければ素晴らしいほど、その人の輝きと同時に夢敗れた人の存在も感じる。憧れてその道をゆこうとする同じ土俵から観て、夢敗れた側となっていたらこれほど純粋に没頭し、感動することはできなかっただろうと思うから。





この夏、原田マハさんによって絵画と歴史の世界に誘われた。


本、漫画、アニメ、ドラマ、絵画、歌、エトセトラ。
芸術やエンタメの世界はいつだって人を魅了する。


加えて、今回ミュージカル。

劇団四季によって私はまた1つ、美しい世界を知った。






***

オペラ座の怪人のストーリーについては空白が多く、話の筋1つ話そうとしても見る人の解釈が違えば見え方が変わることがあると感じ、今回あえてあらすじの解説を避けました。

気になる方はぜひ、以下から知ってみてください。▼







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