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大丈夫だから、抱えさせてよ。


朝起きて、死にそうな勢いで咳をしている私を見て「どっかまともな病院ないかなー」と病院を探してくれる母に、やっと外出ができる!とニコニコして「帰りに本屋行っていい?」と訊ねると「これ(診断)次第やな」と至極真っ当な返事をされた。

用意しといて、と声をかけられて、病院に気合い入れた格好で行くのも重病だった時に滑稽だよな、と思って、化粧もコンタクトもせず、かろうじて髪は一つに束ね、伸び切った前髪はピンで留めて、Tシャツにジーパンでメガネをかけて外へ出た。


5日ぶりの外の世界は、蒸し蒸ししていて暑苦しくて、眩しいくらいに夏だった。

私はインドアもアウトドアも好きだ。ずっと家にいてもそれなりに楽しめるし、外出続きでも楽しめる。それでも、私にとって外の世界は美しいもので、外に出られるということは喜びだったんだな、と気づいた。



PCRは陰性で、熱もない今週の私を殺した謎の咳の原因は「多分最初は風邪かなんかで喉の粘膜がやられていたところを、エアコンとハウスダストにやられて、アレルギーになりかけてる」だった。

咄嗟に、来週の実習に行けてしまうな、と思った。それ以上に、今日の午前中こんなことでバイトを休んだのか、と泣きそうになった。


その病院の看護師さんは私には雑な態度で、母にはヘコヘコする、自分の休憩時間のことだけしか考えてないような人たちだったけれど、

呼吸器内科の先生は私の症状にちゃんと診断を下して、たくさん説明をしてくれる人だった。

母はそれを「丁寧」と形容したけれど、
私は”丁寧”とは違うよなあ、と思った。

確かに色々聞いてくれたけれど、一方的に尋問されている気分だった。いかにも、症状しか見ない医者らしい「問診」だと思った。他の医者と唯一違うのは、この症状ならこれだろう、と最初から決めつけてパターンに嵌めようとはしないことだけだ。


じゃあ診察は以上で…という雰囲気になったとき、"あ、ちなみになんですけど…" と先生が続けた。

「部屋に古い本とかありますか?」

母が、ああ、いっぱいありますわ、と言うと、
それは古書とか?と先生は尋ねてきたので、
「普通に文庫本とか単行本です。小説です。」
と答えると、

「ああ、捨てたほうがいいですね。どうしても取っておきたいのなら日干しにして、読み終わったらさっさと捨ててください。」

と先生は言った。


よく人が大切にしているものをそんなふうに言えるな、と思った。

この人には本に救われてきた私の気持ちは、1冊1冊に思い出があってずっと大切に取っておいて何度も読み返したいと思う人の気持ちは、わからないんだろう。

医者として見立てはいいのかもしれないけれど、看護師の態度も悪いし、もうこの病院には行きたくないと思った。ちなみに今のところ、薬が効いている気配はない。




終わったあと、久しぶりに本屋さんへ行った。


駅前のジュンク堂は、この辺の本屋さんの中では大きい方なのに、抜きん出て愛想がなくて(店員さんの、ではない)、ただ本が置かれているだけのような”書店”だ。新刊って普通もっと宣伝されるはずなのに、そういったことも全くない。大学へ行ってもバイトへ行っても帰りには絶対に通るから、毎日のように入るけれど、本の並びも全く変わらなくて、思わず飽きそうになる。

そんな駅前のジュンク堂を、今日は愛おしく感じた。愛想なさすぎて新刊コーナーすら設置しないこの書店で新刊がどこにあるかを手探りで探し当てようとする私を見て、母は「検索すればええやん」と言い放ったけれど、歩きまわって自分で探した。

この1週間、ここにさえ(本当は来ても良かったのに)来られなかったのだ、という絶望から解放された喜びで、いつの間にか手の中には3冊文庫本があった。


私は気分で読む本を選ぶ。


その時の気分によっては、遠い昔に積読に回っていた本になることもあるし、昨日まで読んでた続きが残っているのに別の本に向かうこともある。昨日までは心温まるような物語が読みたいと思っていたのに、今日になるとバリバリのミステリーが読みたくなっていたりもする。これもいいし、あれもいいし、それもいいな、とミステリーと心温まる系とエッセイで迷うこともある。

今日はまさにその日で、『向日葵の咲かない夏』『ほたるいしマジカルランド』『やがて満ちてくる光の』のうち、どれにしようかなぁと迷った。

『向日葵〜 』はミステリで、冒険の夏!って感じがして、この季節にぴったりな気もするし、

『ほたるいし〜』 は、寺地はるなさんの気になっていた新刊だし、何より帯の「あなたのそのがんばりを、見つけてくれる人が、きっといる。」という言葉にやられた。

『やがて満ちてくる光の』は、パリに向けてパリのことしか考えられなくなっている脳みそにとって、”異国”を感じる梨木さんの文章は ”合っているな” と思った。(その影響もあって今は、若林の『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んでいる)


結局はオマケに負けて、#新潮文庫の100冊 でしおりがもらえる『向日葵の咲かない夏』を選んだ。どっちにしろ近いうちに残り2冊も読むと思う。



母にも「読み終わったらすぐ捨てるか売るかしないと」と言われた。無視した。



電子書籍にもチャレンジしたことがあるけれど、あれは持ち歩くのが負担で書き込んだほうが理解が進む、教科書やビジネス本にはいいと思う。

雑誌にも電子のサブスクや、定期購読で本屋のカウンターですぐもらえたり自宅に届いたりする仕組みがある。

それでもきっと、私が小説やエッセイや雑誌を電子書籍で読むことはないんだろうと思う。


電子書籍でも紙の本でも「その本の文章を読める」という価値は変わらない。読んだら一緒じゃない、と言われたらそれまでだ。

だけど、本屋という空間自体を楽しんで、歩きまわってそのときの気分に合った本を見つけたときの喜び。それを自分の手にとれる幸福感は、紙の本でないと味わえないものだ。


アレルギーになりかけたのは、本だけのせいじゃない。だから本以外すべての要因を取り除く。エアコンはどうせ古かったから新しくしてくれると言うし、部屋だって綺麗にする。仮にその他全ての要因を取り除いても症状が変わらないとしても、本たちを取り除きたくはない。

これからも私は、私の愛読本たちを抱きしめて生きていきたいのだ。





p.s.

昨日の記事にたくさんの反響、ありがとうございます。

新しい世界は、私のストーリーをフォロワー65人中61人が見ていてくれて、そのうち半数以上の人がリアクションをくれるやさしく、心穏やかになる世界です。

私はこっちが本垢だと思っているけれど、フォローしてくれた人の中にはパリ用垢だと思っている人もいると思う。そうなのだとしたら、私のパリ自慢を受け入れてくれる人たちってことで、それってすごいことだな、と思うんです。

今まではずっと、イタい人にならないように、と一緒に遊んだ子が載せてくれたら自分も載せて、「ありがとう!」と言うような、ありきたりな使い方しかしていませんでしたが、
これからはもっと内面を見せて、自分らしさ全開の投稿もしていっていいのかな、と思えます。

私の半径500mくらいの世界は、思っていたよりもずっと、優しい場所でした。






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