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シンデレラの、魔法は解けた。


旅立ちの日の朝は、いつだって忙しい。


シャルル・ド・ゴール空港に向かう朝は早起きして、Champs-Élysées Clemenceauあたりを散歩しようと思っていたのに、荷物詰めが地獄すぎてそんな優雅なことをしている余裕は一切なかった。

その代わり、6:00に起きてまだ寝ているルームメイトの邪魔にならない程度に窓を開けて、パリに日がのぼっていく様を空の色が変わるたびにぼんやりと眺めた。

はじめてこの部屋を訪れたとき、窓の風景を見て「パリだ…!」と思った。そして、”今日からは毎日、カーテンを開くたびにこの風景が広がっているんだ”と思うと心が躍ったことを昨日のことのように思い出す。


8:30に語学学校の送迎タクシーが来て空港に送ってもらう予定だったので、チェックアウトのために7:30頃にロビーへ行った。まだ誰もいなかった。
よく考えたら「チェックアウトは9:00」とメッセージが来ていたことを思い出して、慌ててレジデンスマネージャーにメッセージを送った。しばらく待ってみてロビーに彼がこないので諦めて部屋に帰ると、彼が部屋の前に立っていた。”君はもう、しょうがないなあ”というかのような顔で「君の荷物、取りに来たよ」と言った。

部屋を出るタイミングで、寝る時に来ていたユニクロのエアリズムワンピースがベッドの上に置かれたままだった。つまり、スーツケースに入れ忘れたということだ…!と気づき、彼が持って降りてくれたスーツケースをその場でロビーの床に広げて詰め直した。「何してるの?」と尋ねた彼に、「これ入れ忘れたの」というと、またいつもの”君は本当にしょうがないなあ”というような顔をした。

荷物詰めが落ち着いたころ「(空港まで)タクシーで行くの?」と彼が話しかけてくれた。だけど私は、その言葉を聞き取るのに3回くらいかかった。早起きと荷物整理の疲れであまりにも頭が回っていなさすぎた私に、彼は少し呆れていた。のちにタクシーだよ、と答えた私に、「タクシー、何時に来るの?」とさらに会話を続けてくれた彼は、最後に「Bon voyage!」と締め括った。


まだ45分ほど時間があったので、noteでも書こうかとパソコンを広げたけれど、荷物の重量オーバーが怖すぎてその検索ばかりかけていた。そうしている間に朝食が出てくることを期待したけれど、一向に出てくる気配がなかった。少し経った頃、1人の寮生が来て「なんで今日、朝食ないの?」と私に尋ねた。「私もわからない」と答えた。

さらに時間が経った頃、寮のお世話係(朝食準備や掃除をしてくれるレディ)の人がきて、朝食の準備が始まった。それと同時に訪問者が来て出て行ったはずのレディが帰ってきて、私の名を呼んだ。訪問者は私のタクシードライバーで、時計を見るとまだ8:20だった。

慌てて支度したけれど、最後にと思ってレディに「ここの朝食、好きだったの」と言うと、バゲットを入っていた袋から取り出して、そこにクロワッサンとパン・オ・ショコラを詰めて「持ってって!気をつけてね!」と言って渡してくれた。



パリ市内とシャルル・ド・ゴール空港を結ぶ高速道路から見るパリの朝は、結構好きだ。来た日も帰る日も、タクシードライバーは音楽をかけることはあっても話しかけてくることはなかったので、私はそれを窓越しにぼんやりと眺めていた。



そこから日本に帰るまでは怒涛の展開だった。

まず、預け入れ荷物の重量が余裕でオーバーして122€払った。スーパーのお菓子がほとんどなのに何がそんなに重かったのだろう。やっぱり服はあんなに要らなかったな。

そこのカウンターで「あなたのフライト45分遅れているからね」と告げられた。

その後、入国審査等を経て搭乗口へ向かう途中に免税店エリアがあった。DIORやVUITTONなど、誰もが知る高級ブランドがずらりと並んでいた。ピエール・エルメやラ・メゾン・デュ・ショコラ、ラデュレといったスイーツもあったけれど日本でも帰るし、そのほかのお菓子や食品も免税なはずなのにパリ市内のMonoprix(スーパー)で買う方が安かったので買うのをやめた。

カフェに入ろうかスタバに入ろうか迷ってスタバに入ると、トールサイズのスタバラテが5.45€だった。それでも安い方であることを高いなぁと思いながら注文したら、カップに名前を書いてくれた。


語学学校で仲良くしてくれた、チリ出身のジョナサンはなんと、カーリース会社の社長さんだった。4人の息子がいる。

ちょうどスタバに入った頃、ジョナサンからメッセージが来ていて、その返信に「帰りの荷物、重量オーバーにお気をつけて!」と書き添えると

「心配ありがとう。だけど僕にはきっとその必要はないよ!僕のチケットは直行便のファーストクラスで、スーツケースを3つまで預けることができるからね。」と返ってきた。物価が東京の1.5倍のパリで、「自分の国より外食が安い!だから僕は毎日外食してる」と言ってのけた彼なのだから、考えてみれば無用の心配すぎた。

「わーお、さすがだ!私もジョナサンみたいになれるよう来年から仕事頑張ります。」と送ると、

「ハハハ。僕にも学生時代はあったし、誰もがそのステージを経験するよ。だけどいつか、君が働くようになったら世界中のどこにでも好きなだけスーツケースを持って旅することができるようになるさ。」「今は君が持っているものを大切にして、あとから君が欲しいものを全部買っていく、という選択ができたときに、君はより感謝できる人になっているでしょう。なぜなら、この世で何かを手に入れるためにはコストがかかるということを知っているからだよ。」

というメッセージをくれた。


今回、私はパリでより自由になるために、バイトしてお金を貯めてパリにきた。

今私がパリで手に入れたかった自由は、行きたいところに行き、その場所の思い出をお土産という形で残すために心躍るものを買うことだった。

それら1つ1つはきっと、高級ブランドのバッグなどとは違って、ちょこまかとした些細な消費で、手が届くレベルのものばかりだ。それでも円安(1€=161円)かつ物価高のパリでは、そこに手を届かせるためには努力が必要だったし、お気に入りのカフェで最後の晩餐に食べたタルタルとシードルで27€支払うのは痛手だった。

だけどいつか、それらを「それくらい」と言える日が来るのだろうか。「それくらい」のお土産たちよりも、免税店でDIORを買うことを望む日が来るのだろうか。


パリは様々な楽しみ方ができる街だ。

王道のモニュメントや美術館を楽しむもよし、カフェやレストランでスイーツやフレンチを食べてグルメな楽しみ方をするのもよし、誰もが知る高級ブランドを買って大人な楽しみ方をするのもよし。だからこそ、年齢とともに訪れるたびにその楽しみ方は変わっていくと思う。


次に訪れるときは、高級ブランドの免税店を楽しめるようなレディになっているのもいいなと思うけれど、やっぱりいつまでも今回のように、パリという街そのものを味わうことを楽しめるような大人でありたいな、と思う。

その頃には、お土産やカフェで注文するものの値段を気にしないくらいにはなっていたいけれど。


そろそろか、と搭乗口に向かってからがほんとうに長かった。


パリ→香港のフライトは
11:55 搭乗、12:45 パリ出発、翌6:45 香港着
だったはずが
13:50 パリ出発、翌8:01 香港着 にリスケされたにも関わらず、さらに遅れて結局
14:30 パリ出発、翌8:32 香港着 くらいになった。


何時頃だったか、搭乗口で座っていると一人ひとりに遅延の説明をして回るムッシュがやってきて、(飛行機が)遅れてしまってすみません、ではなく「あと1時間、フリータイムだよ」と告げた。

そのときはなんて素敵な言い回しなんだろうと思って、感動しながらその1時間でパリのひとり思い出大会をして過ごし、またパリの日々が恋しくなって泣いていた。

飛行機に入ってからも最初のうちは「ああ、とうとう終わりか」と涙が溢れていたのだけれど、いつまで経っても飛行機が地面から離れなくて「なんで飛ばんの?」と思っているうちにすっかり冷めてしまった。私はまだパリの余韻に浸って別れを惜しんでいたかったのだけれど。

この写真の撮影時間が14:38。


香港→成田のフライトは
8:25 搭乗、9:05 香港出発、14:30 成田着
の予定だったけれど、当然乗れないので代わりのフライトが手配された。それが、
10:30 香港出発、16:05 成田着
で、それもさらに遅れて
11:05 香港出発、16:21 成田着。

ただ、10:50にこの状況。↓

11:05に出発できるわけなくて、結局
11:42 香港出発、16:30 成田着だった。



みんな心配してくれていたから、インスタには一応「ただいま🇯🇵」とストーリーを上げたけれど、帰国直後の私の機嫌は最悪で、そんなテンションではなかった。


それは主に度重なる飛行機の遅延とそのせいで成田エクスプレスや新幹線に間に合わず、最悪そのお金がパーになってしまったり、帰る時間が遅くなってしまったりすることに起因するものだったけれど、

それにトドメを刺すかのように

これまでの4本のフライト中、一度も言われてこず周りも持っていたのに、スマホやカメラが入ったショルダーバッグを上の荷物入れにあげられてしまい、私一人だけ座席ランプが消灯するまでスマホを使えなかった、とか

そして、スマホの機内モードをオフにしてすぐに(機内モード中にきていたとかではなく)バイト先から「金曜日にシフト入れないか?」と連絡が来ていた、とか

同時に、4月に引き受けたインタビューの再校ゲラを26日までに確認しなければならないことを思い出した(この出版社は7月末に送ると言っていた原稿がパリ留学中の9月頭になり、土日中に返信がなかったからと大学を通して月曜の語学学校の授業中に電話を入れてきた。そのくせ内容は読み物としても私への配慮も未熟なもので、その修正にパリ滞在中、夜中までかかった。「これ以上、パリにいる間に対応はしません。帰国は24日ですので、今後はそれ以降でよろしくお願いします。」と言いきり、それを踏まえても締切が26日だった。)とか、

そういったことが起こった。


各所、私がパリに留学していることを知っているにも関わらず、時差ボケがあるだろうな、とか、疲れているだろうな、とか、そういった配慮が一切なく「帰ってきたのか。じゃあ、お前のこと使わせてもらうわ。」という魂胆が丸見えで、

私はゆっくりと自分のペースでこちらの世界に戻ってきたかったのに、意図せず急速に現実に戻されていく感じがほんとうに許せなかった。


きっと、シンデレラの魔法が解けたときってこんな感じだったんだろうなぁと思った。


だけどそんな中でもいいことはあった。

こちらは新幹線の時間までに新幹線を無料で変更してもらう必要があってかなり急いでいた。

なのに入国審査には長蛇の列で、スーツケースがすぐには見つからず、免税がいらない人でも日本ではなぜか全員が免税の紙を書く必要があるということで出口に行くために書かされ、並ばされ、へとへとだった。

出口へ行くと、JRの窓口が並んでいて「終わった。これ、新幹線代もパーになるやつだ。」と思った。

だけどとりあえず、とその場にいたベテランそうな駅員さんに「飛行機遅れて乗れなくて、これ、新幹線の出発時刻までに変更してもらいたいんですけど、並んでたら間に合わないので、どうしましょう」と尋ねると
「そういうことなら、時間すぎても変更してもらわないと仕方ないね。(私を指差しながら)わたしはちゃんと新幹線出発までに来てるわけだから。まあ、とりあえず並んでよ。」と言ってくれた。

その後もちょくちょく「変更してもらうとき、飛行機遅れて、とか言わなくていいから。ここに並んでたら新幹線の時間過ぎちゃってっていえばいい。なんか不都合あったら、俺に言ってよ。」とか、
「成田エクスプレスも(時間1時間くらいオーバーしていたけれど)そのまま乗っちゃってくれていいよ。全席指定席って書いてるけど、券さえ持ってればほぼ自由席みたいなもんだし。あ、もちろん、座る人いるとこはダメよ?笑」とか、話しかけにきてくれた。

きっと私が不安そうにしているように見えたから、少しでも安心できるようにしてくれたのだと思う。



パリにいる間、パリの人たちの優しさに感動した。道に迷ってそうに見えると、誰かが声をかけて助けてくれようとする。目の見えない方がメトロに乗ろうとしているのを見つけて、もうすでに満員電車だったというのに、その方のためにスペースを空けて「こっちだよ!」と呼んであげる。日本ではみんなが見てみぬふりをするところから目を逸らさず、手を差し伸べようとするところが本当に素敵で尊敬に値すると思った。


成田エクスプレスの駅員さんに出会って、久しぶりに日本人の優しさに触れたな、と感じた。まだまだ日本人も捨てたものじゃないかもしれないな、と安心した。


成田エクスプレスから見た夕焼け


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