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【旅話】黒猫の山道

(前書き)
先の記事に続いて、「24時間歩行」企画二作目である。
だがまだ旅は始まらない(何でやねん)。
友達との約束時間を待っているときに一匹の黒猫が目の前にやってきたのだ……。

長い電車旅も漸く終わり、私は尾道の地に降り立った。

ぐわっと熱風が吹く。暑いのが苦手な私は一歩目で尾道がトラウマになった。もう尾道には当分行かないことだろう。少なくとも春・夏は行かない。

さて友人とは現地集合の約束だ。約束の約1時間前に着いてしまったので随分と手持無沙汰である。取り敢えず駅の目の前にあるベンチに座って悠然と待とうと思ったときだった。

目の前を黒猫が過ろうとした。

黒猫。スピリチュアルやらオカルトやらに触れてこなかった私も、「黒猫が前を通ると不吉なことが起きる」という迷信を聞いたことがある。そしてそういう迷信には滅法弱い。「下らない」と思いながらもいちいち気にしてしまう達なのだ。

このときも例に漏れず思った。
「ここで黒猫に前を横切られては、ただでさえ先行き悪そうな旅路が取り返しのつかないことになる」と。

私は、黒猫が目の前を通らないように、「シャーっ」と威嚇した。黒猫はちょこんとその場に座ると首を少し傾げた。そして一言「ニャン?」と呟いた。

私は猫が嫌いだ。だが癪なことに、私はこの猫に好感を持った。何その可愛らしい仕種。乙女がやればどんなムキムキ脳筋野郎もイチコロだ。

私は大いに見惚れた。見惚れていると、猫がおいでとでも言うかのように、しっぽをふりふりしながら前を歩いていった。これは乙女顔負け猫の熱い罠かもしれぬ。罠かもしれぬが男たるもの付いていかないわけにはいかない。

私はうっとりしながら猫についていった。


猫はだいぶ前で歩いている。時々立ち止まっては後ろを振り返って私がいることを確認する。そしてまた歩き始める。

道は少し急な階段だ。猫はひょこひょこと軽快なステップで登っていくが、陸上競技部最弱のフィジカルを持つ私には少々きつい。猫は時々後ろを振り返ると、心配そうに首を傾げた。

それがもう愛おしくて愛おしくて、これが道行く乙女だったら一撃で一目惚れしただろうなと考えてゾッとする。

尾道は暑い。汗が滴り落ちる。


「……。」

ふと気がつくと、目の前に小学生三人がいた。小学生たちは異様に深く黒い眼をしている。彼らは覗き込むように私の顔を見ると、無言で去っていった。私は面食らった。面食らって我に返った。これから24時間歩く身、こんなところで体力を潰してしまっては元も子もない。

私は顔を上げて、案内者の黒猫と対峙した。黒猫は私にもうついていく気が無いことに気づいているらしく、切なそうな声で「ニャン」と一声無くと踊り子のように去ってしまった。

私は取り残された。急に寒くなったようで私は身震いした。黒猫が前を過ってしまったことに気づいたのは、漸く下山しきった時である。

旅の前のちょっとした道草の話だ。



……。

さて、尾道は早くも夕陽が街を照らし始めている。

夕陽で紅く染まったあのバスは、きっと友人が乗っているバスだ。



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