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理解できない人、ヤバい人に対する考え方~他人はどうしようもできない~

最近、理解できない人、ヤバい人に対する考え方が変わってきた。

感覚がずれている人には、説明しても、指摘しても無駄たと感じることが最近増えてきて、悟りの領域に入ってきたのかもしれない。ただ、この考えの方が相手に期待することが減るからストレスを受けている側からすると良い考え方なのかもしれない。

それは、本当に理解できない人とかやばい人は根幹の感覚がずれていて、そのずれた感覚を人が改善することは難しいし、本人が自力で改善することも難しい。一種の病気的なものだと考えるというものだ。自分の中では、病気という言葉のニュアンスでしっくり来ているが、この表現は適切ではないと感じている。自分が正しいという感覚のもとで使っているような印象を与えるし、病気と言われていい気持ちになる人はいない。だから人に伝える時には、特徴?個性?とかで伝えた方がよいのかもしれない。

例えば、前回の記事で書いたが、私が働くアルバイト先の店長は本当に相手の立場で考えてコミュニケーションが取れない人間だ。他人に伝わりにくい表現で意見したり、はっきりとした返事をしなかったり、質問に対してずれた観点で返事をしたりする。だから受け手も一度で理解できず、無駄なラリーが増える。これが日常である。

ただ、社会人になって20年以上たっているオジサンなのに、未だにコミュニケーションがうまく取れないのは、相手に伝えやすく努力しようという感覚がないのか、相手にとっての「わかりやすい」が分からないのか、自分の伝え方で誰でも理解できると思っているとか、だと思う。相手に伝わりにくい表現になっていると分かっていながら使っている可能性もなくはないと思うが、それによってラリーが増えて自分にとっても不利益になる事から、考えにくいと思う。人はそれぞれの感覚だったり考えがあってそれらによってアクションを起こすため、このようにどうしても理解が出来ない人には、自分が当たり前だと思っている感覚がないのだ、と考える。

一番身近な例が社長だったが、ニュースに出てくる露出狂だったり、殺人犯だったり、ストーカも同じだ。私はそもそも他人に裸を見せることなんて恥ずかしいからしたくないし、ましてやそれで興奮するといった感覚は分からない。わかりたくもない。けど、露出狂とって他人に裸を見せることは快楽なのである。仮に、人に裸を見せたい!という気持ちを持っていたとしても、露出狂が捕まることは知っているだろうから「裸を他人に見せて興奮したい気持ち VS 人に迷惑をかけてはいけない/犯罪者になりたくないという自制心」の戦いが起こるだろう。そこで自制心よりも、露出したい気持ちが大きくて実行に移してしまう人が露出狂になるのである。

露出したい気持ちを持っていても、自制心によって制御されているおかげで実行に移らない人も、恐らくたくさんいるだろう。ただ、露出狂はどうしても露出がしたいという気持ちが抑えられず行動に移してしまうのだ。

結局、人を突き動かすのは心で、人に裸を見せたい!!その気持ちがただただ人よりも過剰なだけ。ひとよりその感覚が過剰なだけ。その狂った感覚の生で、露出し捕まってしまうのはかわいそうな人だ。と最近は感じている。

欲が抑えられず、実行してしまう病気なのだから。人よりも強い感覚の進む方向が最悪だったのだ。

だれだって同じような他人にどうしようもできない根幹にある感覚だったり考え方はあると思う。私にだってある。

私の場合は、なんでもネガティブに捉えてしまうことが多くて高校生の時は一苦労した。部活でなかなかうまくプレーできず、自分はへたくそだ、ボールが怖い、先生の言う通り私はチームにとって必要ない存在だな、など考えてスランプになったことがあった。スランプから抜け出したくて、両親と色々話したり、ポジティブになれる方法を検索したりもした。ただ、物事をネガティブに捉えるのは私に染み付いた手ごわい癖で、結局ネガティブのまま時間が解決してくれた。

私にだって、人よりも感覚が違う事は当たり前にあるし、自分がすべて正しいとは思っていない。誰かから見たらめちゃめちゃずれている人間だという可能性もある。それは理解できないあの人、露出狂のやばい人も一緒なんだと思う。

この考えは、人に迷惑をかけたい!という一心で行動をしている人はいないという性善説を前提に考えている。

仲のいい友人とも、この話をしたが、この話で行くと、露出狂を創り出してしまうのはなんだろう。その人を取り巻く環境なのだろうか。彼が、露出を快楽と感じるような人間にしてしまった環境が悪いのだと私は思う。だからといって露出狂に出会いたくないし、もし出会ったら警察に捕まえて欲しいし、二度とやらないで欲しい。許したくはない。

ただ、同時にかわいそうにも感じる。そのひとは露出狂になりたくてなったわけじゃなく、生きている過程で露出を快楽と感じ、その感情が肥大してしまったずれた感覚の持ち主だというだけだから。

以上です。長ーくなってしまいましたが、言いたいことは「理解できない人は、感覚が良くない方向にずれてしまったかわいそうな人だ」という事。

この考えで、軽度のイライラは少し許容範囲が広がるかなぁ。

この考えに何か意見がある方、反対でも賛成でも、なんでも反応頂けると嬉しいです。ありがとうございました。

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