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人間として扱われたい

また、夜の布団の中で駄文を打とうとしている。これが本当に駄文で終わるか、それなりの文章になるかはわからない。

先日、学歴差別についての文章を書いた。これから論は人種差別や障害者差別に向かおうと思う。障害者とりわけ精神障害者について私はこれまでnoteに何度も執拗に書いてきた。私は統合失調症の当事者で障害者手帳を持っている。私は法的には精神障害者となる。しかし、私は自分を精神障害者と思っていない。なぜかというと、統合失調症という精神病は自分は健康だと思い込むだけでいくらか病状は良くなるからだ。「私は精神障害者です。トーシツです」と言ってアイデンティティにしているようではいつまでも治らないと思う。自分が自分をどう思うかは他人が自分をどう見るかよりも先にある。自分が自分を精神障害者だと思っているようでは、他人は当然自分を精神障害者として見るだろう。しかし、今回、話題にしたいのは、自分は自分を障害者と思っていないのに社会が自分を障害者と見ることで就職などで差別的扱いをされることだ。障害者だから障害者枠で採用になる場合が多いと思うが、それは会社が障害者を雇わないと納付金というものを政府に納めねばならないから、能力的に健常者と同じであっても障害者として雇えば納付金は納めなくて済む。統合失調症の場合、障害者として扱われれば「障害者らしく」振る舞うことを強制されて、治りが遅くなる。「人間らしく」扱われることが、統合失調症では一番大事なことだと思う。無論他の障害でも人間らしく扱われなければならないのは当然だが、統合失調症の場合、精神の病いという性質上「人間らしく」扱われることが何よりの薬だと思う。社会的な障害を無くすことが、統合失調症を治すために必要である。それは政治的な取り組みというより治療行為である。

この文章を駄文にしないためにここで終わろうと思う。本当は人種差別など社会のあらゆる差別について書こうと思ったが、人種差別については深い考察が私にはないので、恐らくそれを書けば駄文になる。ただ、私の当初の目論見としては、人間を分類することは是か非かという大きなテーマを考えていた。アリストテレスは学問を「名前をつけて分類すること」と言っているが、はたして人間を分類することは社会にとって良いことだろうか?白人黒人、障害者健常者、日本人在日朝鮮人、部落、大卒高卒中卒。私たちは個としての人間として生きている。分類されるのは個を構成する部分に過ぎない。肌の色、障害、国籍、居住地、学歴。部分は全体ではない。

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