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【小説】牛丼屋(福祉に接続できます)

 暇と言う呪いがゆっくりと全身を侵食していく。
 労働はクソだが賃金だけの価値はある。だがそれ以上に暇と言う呪いを回避するのに役立つ。暇を回避した上で賃金が貰えるなら、労働にはそれだけの価値があるだろう。
 それにどれだけ厭だと言っても、向き不向きを問わず大多数の人間は労働に勤しまなければならない。だったら諦めてやるしかない。労働を。

 その労働も絶え間なく発生し続ける訳じゃない。それは恵まれた労働環境である事を意味するようになって久しい。
 少なくない企業が休みの無い労働を課したりしている。目の前の安い牛丼が福祉たる所以はそれが叶えられた祈りだからだ。
 つまりそれは誰かの涙なしには成立しない味と言う事だ。

 人間の労働で味付けされた牛丼に、鶏の労働である卵を落とす。生卵ですら労働を介してどうにか成立しているとすれば、この牛丼だけでも塩分過多だなと思う。
 笑えない冗談だ。
 生活には叶えられた祈りが多過ぎる。福祉だけで生きているとしたら、俺たちはすでに生きたまま全身が管に繋がれている死に体と大差ない。

 暇は呪いだ。
 目の前に牛丼を置かれて考えるのがこれだ。食欲以前の問題だ。
 俺は牛丼に落とした卵黄を箸で割る。真夏の太陽よりも毒々しい、平坦な黄色が茶色く煮込まれた牛肉と玉ねぎの隙間に落ちていく。

 番組の制作がバラしになった。
 暇になった。二週間の予定が全て無くなり俺はいまこうして誰かの労働を目の前にして箸を掴んだまま動けずにいる。
 本局の奴らはわかっていない。あいつらはエリートとして生きてきたしそれに無自覚だ。
 視野の広い気でいるし、世界のトレンドに敏感なつもりでいる。

 だがそれは違う。
 水面の波はそうかも知れない。だが水面下の動きはもっと激しく、濁っている。
 言語だとか文化だとか、もっと言えば自転車や電動キックボードの事故なんてのは些事でしかない。
 俺たちに必要なのは労働と賃金であり、安い牛丼やハンバーガーだとかの福祉じゃない。

 俺たちは労働をして賃金を得る。
 その中から価値を感じたものにそれ相応の対価を払いたい。
 安い事は重要じゃない。
 そんなものは二の次だし、単なる選択肢のひとつでしかない。それをわかっていないのだ。何故ならエリートだからだ。

 そうなるべくして育った人間たちは、自分が育った環境を当然と思う。
 俺だってそうだ。
 俺が育って、その過程で見てきた環境を標準として捉える。だから俺の視点と奴らの視点は全く違う。
 奴らからしたら俺は下品で反知性的で怠惰な人間だろうし、俺からすると奴らは鼻持ちならない傲慢な人間だ。

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