午後の煙草 おいしい無縁

労働者たちのため息は天高く舞い上がり、うやむやになって消えた。代わりに雨が降ってきた。銀色や青灰色の雨だ。

食事休憩のアディショナルタイム。五分だけ貰ったタバコ休憩室。休みなく回る疲れ切った換気扇の下に立つ。なかなか排出されない様々なケムリ達は、アナログな迷彩模様を作り苛々とした様子で中空を練り歩く。はめ殺しの窓を叩く雨は弱々しく女々しい。か細い音が神経を逆なでする。

煙を吐きながらケムリで茶色く変色した天井を見つめていると、引き戸を開けて後輩のケセランが入ってきた。目だけでそちらを見やる。
「また煙草はじめたんですね」
「休憩中なんだ」
ケセランは一瞬なにかとぼけようとしたが、小首を傾げて「いつでも余裕でやめられると思うと、逆にダメですね」と言った。
彼女が慣れた仕草で短い煙草に火をつけると、青白い煙がゆっくりと立ち上った。それはまるで正しい作法の様に無駄が無く、美しかった。希望の轍に見えた。

何本かのケムリが立ち上る。
煙の林にいる俺たちはコロポックルなのかも知れないと思った。大きな白い葉を持った絶滅危惧種の小人だ。指先の白い茎はユラユラと身をくねらせている。葉は雨から身を守ってくれるだろうか。細く吐き出した煙は心もとない。

「先輩、いいっすか」ケセランがくるくるにカールした髪を手で梳きながら切り出す。
「なに」
ぶわり、と吐き出した煙はケセランの顔を遮る。肺を通さずに出たケムリは濃い白色で強く逞しい。白いケムリが消えたとき、そのムコウにいる顔が変わっていたら面白いのに。だがそんな事は起きえない。これは現実だ。変面。今日は違う顔。そんなバカな話を彼女は分かるまい。

彼女は先輩の人形だった。
どこにでもある話だ。
先輩は既婚者だった。
どこにでもある話だ。

ケセランの何か言いづらそうな態度に興味を持てないでいると、彼女は不満そうな顔をして睨んだ。
「なんだよ」
白く細い指先に挟まる煙草が温度の低そうな陽唇に咥えられる様子を見ていると、ケセランはまたも不愉快そうな顔をした。
「そんな目で見ないで下さい」
興味が無くてもあっても不愉快だと言うとケセランを鼻で笑う。
「壁とでも話してろよ」
「聞いて下さいよ」
「聞いてるよ」

休みなく回り続ける換気扇は疲れ切っていて、いたずらに休憩室の空気をかき混ぜるだけだった。大きな雨粒がひとつ、音をたてて窓を叩いた。

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