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フランス人の不器用さ。まじめさ。哲学的思考。官僚制。そしておもいもよらないまぬけさについて。

ただ料理をうれしがって食べて食べて食べまくる。ときには自分で作ってみる。ただそれだけのことでその国の文化についていろんなことが学べちゃう。


日本料理を食べれば、なだらかな山々は緑に覆われ、海に囲まれた島国の風土がわかる。しかも皿や茶碗には美しい装飾が施されて愛らしい。しかも食材や料理名、調理法には花鳥風月の心がある。雑煮を彩るニンジンやダイコンを花びらの形にカットする。長芋ととろろを蒸しておぼろ月におもいを馳せる。緑豆麺を春雨と呼ぶ。魚のすり身を棒につけて焼いたものを竹輪として愛でる。タラのすり身の練り物の内側に赤い色素を巻き込んで鳴門(ナルト)と呼んで潮騒を聴く。豆腐をすり潰したなかに各種野菜を混ぜ込んで整形して油で揚げたものにに、鴈もどきと名づける。伊達巻き。田づくり。いたるところに花鳥風月日本の風雅を感じます。


それに対して、フランス料理の骨格にあるものはなんでしょう? 官僚精神にもとづくフランス各地の全料理の体系化。野菜の各種切り方の基準。科学精神をもってなされた調理法の形式化。厨房の料理人たちの明確な役割分担。(前菜担当、魚担当、肉担当、ソース担当、デザート担当。)これらの決定が1900年前後におこなわれた。さらに言えば食のジャーナリストたるレストラン批評家たちによる評価の確立によって、フランス料理を世界一の美食として売り込むことにフランスは大成功します。


そもそも19世紀においてフランスは美食の国でもなんでもなかった。ヨーロッパでは、むしろロシア宮廷料理こそが最高の美食とおもわれていたもの。準じて、かのウィーンを擁するオーストリアはもちろんのこと、ハンガリーもまた多様な民族によって魅惑の料理を作っていたもの。フランスは18世紀末に暴力革命を起こして、上流階級をみな殺しにして、社会を転覆させた。(結果、宮廷勤めだった料理人たちが街場にレストランを作った。とはいえ)そんな社会をまとめたナポレオンはヒトラーさながらの侵略に情熱を傾け、そんなナポレオンは美食なんてチャラチャラしたものになんの関心も寄せなかった。食事なんてもはてっとりばやく腹に詰め込めればそれでよかった。それをおもえば、フランスの文化戦略の大成功が奇跡的におもえます。


さて、そんなフランスはあれだけの農業大国でありながら、しかし、野菜への関心はきわめて薄い。サラダ喰って、魚喰って、肉喰って、後はチーズかデザート。野菜は添え物の、ニンジン、インゲン、じゃがいも。(もっとも、そんなフランス人も春になればアスパラガスにだけは踊り踊っておおよろこびするけれど。)ぼくはここにフランス人のぶきようさと、それを克服する科学精神、あくなき努力、国家的文化戦略を立派におもうと同時に、他方で、かれらのおもいがけない死角に呆れもします。



また、フランス人はパンへの好奇心もまたちいさい。朝はクロワッサンにカフェ・オレ。昼食と夕食にはバゲットもしくはカンパーニュ。3時のおやつにブリオッシュ。これでかれらはsatisfaisant なのだ。



フランス料理には中華料理の八宝菜にあたるような多くの食材を組み合わせる料理がほぼ、ない。(しいて言えばブイヤベース bouillabaisse があるとはいえ。)不思議なことですよ。


さらに信じがたいことには、フランス
料理は1980年代に至るまで〈蒸す〉という調理法が存在しなかった! そんなバカな! Je ne le crois pas.とあなたはおっしゃるでしょう。でも、これ真実なんですよ。フランス料理に〈蒸す〉が導入されたのは、1980年代、とある学究肌のスター料理人が中国旅行をした折に、シウマイを召しあがって、びっくり仰天。こんな調理法があったのか! そこでかれは帰国後、フォアグラをロメインレタスに包んで蒸しあげて、ソースもかけずに、塩と胡椒で食べる料理を発明したのだった。その後「フランスの、フォアグラ入りの茶碗蒸し」も登場し、はたまたフランスには、川魚を白ワインで蒸すような洒落た料理も普及してゆきます。まさかこれが1980年代のことだったなんて!


いやはや、日本人、中国人、インド人こそびっくりですよ。あんたらフランス人は世界一の美食の国とか言っちゃって盛大に自慢しておられますけど、しかし、食材を蒸すことも知らんかったんか!?? ま、世の中こんなものですよ。人間、ちょっと隙があるほうがチャーミングなもの。



おもえば日本料理だって、鮨屋が極めた魚の扱いは世界最高ですし、コンブ、カツオブシ、シイタケ、干貝柱などを使ったダシの多彩な取り方も天下一品。醤油と味醂を混ぜて加熱する煮切り醤油だって立派なソース。酢味噌もある。ゴマの活用もある。もっとも、欧州基準で見れば火の扱いはいくらか素朴なもの。もちろん、これでいいんです。だって、すべては風土と国民性に由来することですから。
















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