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赤毛のかわいい女の子(18歳)が教えてくれた3つのJ POPバンド。

ぼくは興味を持った人には、好きな音楽を訊ねてみる。とくに偶然出会った外国人や、世代の違う日本人に。その人の好きな音楽を知ると、少しだけその人を身近に感じるものだ。



きょうぼくはいつものように近所のドン・キホーテへChilanoの赤ワインとフィリップ・モーリス14(煙草)を買いに行ったところ、レジに新入りの赤毛の女の子がいて、めちゃめちゃぼく好みで、ぼくはそわそわ心がときめいた。年齢を訊ねてみると、18歳だそうな。2004年生まれ! まさに在日日本人版ジェネレーションZ、デジタルネイティヴである。なお、ぼくと彼女は世代がかるく3つ違う。



ぼくは彼女に、好きな音楽を訊ねた。彼女は答えた、「J-POPが好きです。」ぼくは重ねた、「好きなバンドを3つ教えて。」彼女は3秒考えて、答えた、「マカロニえんぴつ。クリープハイプ。RADWIMPS。」なお、いまこの文章はネットにあたって情報確認した上で書いているのだけれど、しかし、この時点ではバンド名を正確に手帳に書き移すことさえ至難だった。



マカロニえんぴつ? どんな鉛筆だよ!??
 ぼくは訊ねる、「え、クリーム・ハイク?」彼女は柔らかに苦笑して答える、「違う、クリープ、ハ、イ、プ。」ぼくはとまどう、「ラット・ウインクス?」彼女は苦笑して言う、「ラッド、ウィンプス!」。ぼくは言う、「わかった。部屋へ戻ってYouTubeで聴いてみるよ。つづきはまた。」そしてぼくはドン・キホーテを去った、「お調子者で、ごめん」と彼女に囁いて。









こうしてぼくはあるひとりの在日日本人ジェネレーションZ少女の精神世界をほんの少しだけ知った。なお、ぼくは音楽をなんでもかんでも聴くものの、J-POPには縁遠かった。例外は椎名林檎さん~東京事変で、あとはBUCK‐TICK、しいて言えば くるり 、キリンジもちょっといいなとおもったことがある。Yanokamiを含む矢野顕子さんもよく聴く。遡れば、三柴江戸蔵さんが在籍してらした頃の筋肉少女帯、布袋寅泰さん、ボ・ガンボズ、そしてなんと言ってもレッド・ウォーリアーズが大好きだった。つまり、ぼくはまったくもってJ-POPの現在に関心がなかった。しかし、赤毛の女の子はそんなぼくの心をJ-POPの現在に差し向けてくれた。


なお、彼女が教えてくれた3つのバンドはいかにも都市の音楽だ。あらゆる音楽のヴォキャブラリーが組み替えられ、アマルガムを繰り返し、新しくかっこいい音楽が作られてゆく。音楽の向こうにいまの東京が見える、たとえば渋谷の雑踏のような。



マカロニえんぴつのこの曲は、優しい男の子の素直な歌詞に気をとられるものの、ピアノの使い方が洒落ていて印象的で、しかもシンセサイザーオーケストレーションも達者で、キーボーディストの音楽性の高さがわかる。というかメンバー全員がスタジオ・ミュージシャンが務まるほど演奏が巧く、しかも演奏に熱がある。もっとも、男の子が伝える、「体の関係じゃなくて、心の関係」ばかりを強調するのは嘘だろ、とはおもうものの、しかし、それであってなお、かれの言いたいことはわかる気が(少し)する。そもそも性を含めて恋愛を語るととたんに音楽はアングラになってしまう。
なお、この曲にかれらを代表させるのは不当かもしれない。たとえば「メレンゲ」という曲はロックっぽくて、しかもコード進行がやたらと凝っていて、さらにはビートルズふうな弦の使い方がプロの仕事だ。「悲しみはバスに乗って」のMTVは、映画的な設定があって、独自の文学性が凝った音楽に乗っている。



クリープハイプは、日本語の正直なおしゃべり風の言葉を素朴なメロディで8ビートに乗せて軽快に歌っているものの、ひそかに演奏は巧く、華やかなブラスセクションのリフを活かしながら、バンドはけっこう難しいことをやっていて、後半はファンクの語法を活かしていて、かっこいい。「憂、燦々」は映画的な魅力がある。なお、メンバーの尾崎世界観さんは小説も書いておられるそうな。



RADWIMPSは、演奏が全員めちゃめちゃ巧く、16ビートを正確に演奏し、RAP由来の端切れのいいヴォーカルを乗せている。音楽で観客を踊らせ、熱狂させ、劇的空間を演出することの巧いこと巧いこと。ステージの熱狂が伝わってくる。ただし、こういうふうに分析と批評の言葉で感想を書いたところで、なんかちょっと違う。なぜって、音楽は人をわくわくさせるためのものだから。


なるほど、いまのJ-POPってこんなことになってるのね!!! そして赤毛の女の子が音楽をめちゃめちゃ好きなことがよくわかる。カルチュアもアートも上の世代のそれをぶち壊して、自分たちの世代に最適化するものに作り直してゆくもの。もちろんそれによって年長者のそれは周縁に追いやられともすればときに葬られてさえゆくのだけれど、しかし、それこそがカルチュア~アートの健全というもの。あ、ついついまたオヤジくさい〆になってしまった。恥ずかしい! これでは(哀しいことながら)ぼくが赤毛の女の子に、接客~社交以上の好意を持たれることはなさそうだ。


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